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沙門果経(1)(はじめに)
沙門果経は出世間の智慧を語る
A・スマナサーラ長老

 これから、一つの経典を読みながらお釈迦さまの基本的な教えを紹介していきます。ここで取り上げる Sâmaññaphalasutta〔沙門果経〕という経典は、昔からかなり古い教え(お釈迦さま在世当時の教え)をまとめている経典として、仏教を学問的に研究する先生方は最古層に入れています。それで後世の学者方もこのような経典からお釈迦さまの言葉を引用するのです。ですから、世の中にあるいろいろな教えが一括りで仏教と言われていて、どれがお釈迦さまがおっしゃったものか、どちらがそうでないかということはちょっと分かりにくいのですが、この経典は確実にブッダの教えだという定評があるのです。

 またこの経典に特色がありまして、お釈迦さまの教えというのはあらゆる面で完成されていて、いろいろな側面から話されています。仏教というと皆さんがよく知っているのは「悟りの世界」。これは我々の日常生活とは関係のない世界です。仏教でも世間の知識世界からかけ離れた「出世間の智慧」と言っています。それなら仏教は世の中とは無縁の話ではないかと思うかもしれません。

 でもお釈迦さまは「出世間の智慧」に限らず、我々の日常生活にもすごく役に立つ智慧のことをたくさん教えているのですね。そこで日常生活の指針となるのが仏教かというと、また疑問がでてきます。「他の宗教や人々にも同じようなことを言っているものがたくさんあるのではないか。例えば子育ての方法とか、じょうずな人づき合いの仕方とか、平和な世界はどのように築けばよいかとか、世の中で正しく生きていられる方法を教えたものは、仏教でなくてもいっぱいある。一体《仏教の特色》は何でしょうか」と。

 結局仏教の特色は、この「出世間の智慧」の世界なのです。これから読んでいく経典は、仏教だけに特別にある出世間的な世界のことを話しているのです。ですから最初は簡単で分かりやすいかもしれませんが、どんどん難しくなってしまう可能性もあります。とは言え、これはあくまでも一人の王様に教えた経典です。王様というのは殆ど政治ばかりされていて、宗教や哲学など深みに行くところまでは勉強する暇がないでしょう。その王様にも納得いくようにお話ししたものだから、我々にもいくらか理解できるだろうと思います。

 Ajâtasattu(アジャータサットゥ)王様をはじめ、この経典に登場するのは全部歴史上実在した人物で、創作は何一つありません。

 この経典の基本的なところはそういうところです。経典というものは、お話ししたものをテープレコーダーのように、そのまま記録したものではありません。全部要点だけをしぼって経典にしているのです。ですからときどき深い背景が隠れていて、長い説明が必要なものが入っています。この経典も私が大まかにでも詳しく説明すると、一年はかかるだろうと思います。一年なければこの経典の内容を全部説明することはできないのです。そのような内容の詰った経典をこの分量で収めてみましたので、いくらか大ざっぱになる可能性はあります。

 説明は原本のパーリ経典を基にしています。日本訳は駒沢大学教授の片山一良先生の訳です。学問的に非常に厳密に訳されておられます。ものすごく原文に近くなるようにと、気をつけて訳しておられますので、信頼できるテキストとしてお借りしました。

◆はじめに   名医になった捨て子

 この経典は、Magadha国の首都Râjagahaに近いJîvaka-komârabhaccaのマンゴー林が舞台となっています。マガダ国とは二千五百年以上前のインドに興った十六大国の一つで大変勢力があった国です。
 ジーヴァカ・コーマーラバッチャは王様のいわゆるホームドクターで、外科も内科も扱う大変大物の名医です。お釈迦さまや修行中のお坊さんたちが病気に罹るといろいろ治療を施したので、仏教の世界でこのジーヴァカというお医者さんを知らない人はいませんでした。注釈書の説明によると、ジーヴァカさんは捨て子で、ビンビサーラ王の養子として育てられたそうです。パーリ語でkumâraは王の息子、プリンス。辞書を引くと、少年という意味もあります。どちらにとるかは、その脈絡によります。普通の男の子の場合は成人になると、クマーラという言葉は使いません。王子の場合は、王にならない限りは六十歳になってもプリンスだから、クマーラなのです。bhaccaは育てたということですから、いわゆるプリンスとして、王子として育てられたという注釈なのです。

 一般的にもよくある話なのですが、物心ついて自分を育てた人々が本当の親でないと分かると、物凄く頼りない不安な気持になってしまうのです。そういう精神的な打撃もあっただろうと思いますが、コーマーラバッチャはちゃんと教育を受けて一人前になり、立派な医者として王様のところで仕事をもらったのです。

 彼は自分の生い立ちの影響もあって精神的なことに興味をもち、お釈迦さまに会って話を聴き、仏教はどういうものかとよく理解しました。そしてお釈迦さまに帰依して喜んだ彼は、王様からもらった大きなマンゴー林の土地をお坊さんたちに寄付したのです。

父王を殺した王様

 コーマーラバッチャが仕えた王様はフルネームをAjâtasattu Vedehi-putta(アジャータサットゥ ヴェーデーヒ・プッタ)と言います。ちゃんと家族がある人々の場合は、ファミリーネームに母親の名前を入れるのです。ヴェーデーヒが母親である皇后様の名前です。父親はビンビサーラという王様です。パーリ語でajâtaというのは、生まれた(jâta)という意味の過去分詞で父親のことなのです。Sattu(サットゥ)の意味は逆らう、反対する。結局「敵対する」ということになります。産んでくれたのは母親ですが、パーリ語では同じことを父親にも使います。産むのは母親でも、原因を作るのは父親だから両方の責任なのです。ですから、いわゆる生んでくれた人々に反対して立ち上がるというような名前になります。

 アジャータサットゥが父親を殺したのだから、この名前をつけたのだという説もありますが、インドの習慣では生まれてすぐ占星術で占って名前をつけるのです。勝手に後から名前を付け替えるということはしません。名前どおりかどうか分かりませんが、父親を殺したことは歴史的な事実なのです。注釈書には、このように載っています。お釈迦さまに敵対していたダイバダッタが、若いアジャータサットゥに親近してこんなことを言うのです。

 「あなたの父親はまだまだ若い。大人しく王になるのを待っていたら、あなたはボロボロの老人になってしまいます。それでは何も楽しめなくなりますよ」。「どうすれば早く王になれますか」。「父親がいる限り王にはなれません」とダイバダッタに簡潔に言われたところで、彼が父王の暗殺を企むのです。でも、それはすぐ露見してしまいます。

 ところがこの父親はものすごい親バカなのです。「自分は王位にしがみついていたいわけでもない。そんなに息子がなりたいなら王にしてあげよう」、と引退して息子に王位を譲るのです。父親が大臣たちを集めてちゃんと正式に彼を王にします。

\ しかし王になっても、そんな若者にインド一の大国の政治がちゃんとできるわけはないのです。だから大臣たちがコソコソと裏で前の王様からいろいろアドバイスをしてもらう。父親も引退生活しながら、それなりにアドバイスしたりする。そこは若者とダイバダッタにとって、すごくいやな状況なのです。そこで、アジャータサットゥ王は父親を誰にも会わせないように牢獄に入れてしまうのです。父親は瞑想の達人で、預流果という悟りの一番目の段階に悟っていました。ですから幽閉されて不便な生活をしていても、全然そういう不幸は気にしない。大変穏やかに、平安な気持で楽しくいる。「ひとりになってよかった。世俗的な束縛がなくなってよかった」と、刑務所の中でもずうっと瞑想したり、仏教の真理を観察したり、いろんなことをやっていて結構元気なのです。

 すると息子は父親の食事を止めてしまいます。自分では直接殺すことはできないのです。でもお后様が毎日食事を運んであげる。母親に行くなという命令を出すことはできませんから、食事を持っていけないようにする。それでも父親が深い瞑想をして、元気で頑張っている。今度は、部屋の中で歩いたりできるから元気だと、父の足の裏を切って炭を擦り込んで苦しめたのです。それで歩けなくなった父王はとうとう亡くなってしまいました。

ビンビサーラ王とお釈迦さま

 そのことはお釈迦さまにとってもかなり大きな出来事でした。お釈迦さまとビンビサーラ王はほとんど年が同じで、ものすごく親しかったのです。どれほどの間柄かを示すエピソードがあります。

 お釈迦さまが出家して間もない頃、托鉢して廻りながらマガダ国に入ったのです。当時の出家者たちは国々を自由に遊行していましたから、出家を装って他国の情報を集めるスパイも暗躍していたのです。「大変容姿の優れた出家の若者がいる。これはおそらくスパイではないか」と王様が訝しんで調べさせたところ、スパイでも怪しい者でもなく本物の出家者だった。

 「あなたは誰ですか」。「私はヒマラヤの方から来た者です」と聞いたところで王様はシャカ族の王子だとピンときたのです。その頃には王子出家のニュースが広まっていましたから。

 一目見ただけでビンビサーラ王様には、お釈迦さまがどれほどの人物かすぐに分かりました。そして自分のマガダ国を任せようと言われたぐらい、二人は信頼関係が篤くて、何でも通じ合える仲になったのです。「私は自分の国がいやで出家したのではない。真理を知るために出家したのです」と、お釈迦さまが王様の申し出を断ると、「そうですか。それなら真理をあなたが発見したらすぐに私に教えてください」と言って約束された。それでまたお釈迦さまも悟りを開くと約束どおりにこの国に来て、その王様に説法して、王様が悟ってしまうのです。

 ですから王様が信者さんでもあって、また友達でもあったのです。結局お釈迦さまも元は王子でしょう。同じランクの人でないと友達になれないですから、本当に仲のよい友達でした。隣国のコーサラ国の王様も友達みたいな感じでお互いにいろいろ話し合ったり、心配ごとを相談したりすごく仲良くしていたのです。その友人のひとりが息子に殺されたのだから、やっぱりお釈迦さまも大変ショックだったろうと思います。

 息子のアジャータサットゥは正真正銘の言うことを聞かない乱暴者で、お釈迦さまとは何の関係もなかったのです。でも彼の主治医で大臣役をやっているジーヴァカ・コーマーラバッチャがこの王様とだいたい同じ年齢でした。お釈迦さまから見れば、ジーヴァカが息子ぐらいの年です。アジャータサットゥが王位について、彼が顧問のようにいろいろアドバイスして仲が良い。一緒に育てられたから、いくら臣下として、医者になっていても友達関係は続いていているのです。

 若い王は欲に溺れて父親を殺しましたが、やっぱり死んでしまった瞬間ではショックでした。「父は自分に対して何も悪いことをしていなかったのではないか、なぜ殺してしまったのか」と。そこを分かったのは自分に子供が生まれたときです。生まれたばかりの赤ん坊を見てすごく愛情が湧いた。その瞬間で、父親の自分への愛情の深さもわかり、「父上をすぐ解放して宮殿に戻しなさい」と命令を出したのです。でも王様はすでに亡くなっていました。ですから直接殺してはいないのですが、彼のせいで父親は死んでしまったのです。

 父親を殺したことから、彼が大変悩んで、ずうっと苦しんで生活することになりました。結局自分の行いが悪かったから反省することになって、いろいろ宗教を探検していたのです。このような背景があって、出来上がった経典なのです。

(スマナサーラ長老の講義より 編集 杜多千秋)

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