パティパダー巻頭法話
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No.107 (2004年1月)
「戦争は愚か者の見せ場です」

〜戦争には正当な理由は成り立ちません〜
  War is the haven of idiots.
A・スマナサーラ長老

 釈迦族とコーリヤ族の間で争いが起きました。釈尊は釈迦族の人で、妃であったヤソーダラー夫人はコーリヤ族の人でした。両国とも、ローヒニー川の水で農業を営んでいたのです。
この年は水不足で、農民たちは、自分の畑に水を求め、我先にと競争したので争いになりました。この戦いはエスカレートして、政治的な問題にまで発展したのです。そうなると、王家の人々は軍人を動かし、本格的に戦って川の所有権を奪わなくてはいけないことになりました。両民族とも負けず嫌いで、戦術の達人でした。戦いに挑むときには、「勝つか戦場で死ぬか、どちらかしかない」という気持ちで戦いに挑むような性格だったのです。両民族の英雄気取りは皆の破滅の原因になると釈尊は察知し、両隊の間に入ったのです。釈尊は、両族の親戚です。両側から尊敬されていました。釈尊がどちら側の味方になるかは誰にも読めないので、双方はいったん戦いをやめて釈尊の言い分を聞こうとしたのです。

 釈尊が素朴に「将軍よ、この戦争の目的は何ですか」と聞くと、将軍たちは「ローヒニー川の水の所有権を獲得するためです」と返事をする。「将軍よ、この水の価値(値段)はどれぐらいですか」と聞くと、「値段を付けるほどの価値はない。水はタダです」と返事をする。「この戦いで、将軍の命と兵隊の命は大量に失われます。あなた方一人の命の価値はどれぐらいですか」。「命は、値段を付けられない尊いものだ」と返事をする。「では、価値のないタダの水のために、価値をつけられないほど尊い血を流すのは、利口なことだと思いますか。それで、正しく政治を営んで、国民の命を守ったことになりますか。明らかに愚かな行為をすることが、政治家にふさわしいことだと思うのですか」と、釈尊は諭したのです。皆、あまりにも恥を感じ、戦いをやめました。釈尊は、資源が少なくなれば、皆節約して、均等に分けて、互いに協力して生きることが正しいやり方だと教え、川の資源を均等に使えるようにしてあげたのです。

 このエピソードは、昔から今まで、ろくでもない言い訳をして戦争をしたり、虐殺をしたりしてきた人間の愚かさを物語っているのです。もっともな理由で起きた戦争は、ひとつもありません。今まで地球上で起きた全ての戦争が、まったくくだらない、何の意味ももたない言い訳によって起きたものです。

歴史を書く人々も、戦争を引き起こす原因の愚かさをハイライトしないで、誰が勝ったか、誰が負けたか、戦術はどうなのかということを延々と物語って、負けた人より、たくさん人を殺して戦争に勝った悪人を英雄として讃えるのです。歴史を習う子供たちも、戦争の愚かさに気づくどころか、自分も英雄気分になりたがるのです。無知な人に管理されているこの世界では、一向に人殺しは消えません。戦争もテロも消えません。

 愚か者は戦う。土地を自分のものにしようと戦って地主になるのではなく、戦場で犬死にするのです。自分の民族を自由にさせてあげるぞと愚か者が思い、戦いを挑み、守りたかった人々も引きずって、無数の人々を死におとしいれるのです。女も子供も年寄りも、容赦なく虐殺の的にしてしまうのです。アフリカ、南アメリカ、中東地域の財産を、別の国の会社が独り占めにしたくて、政治家という愚か者を刺激して、戦争、暗殺、クーデター、紛争などをまき散らして人を殺すのです。人の役に立つものを開発する能力はひとかけらもない愚かな科学者たちや技術者たちが、精密な大量破壊兵器を開発するのです。兵器の値段を何十倍にも跳ね上げて売るために、人々の調和を残酷に壊すのです。単に無制限に儲けるためにです。自分たちの力を他人に見せびらかすためにです。あるいは、無意味な主義を正当化するためにです。また、聖書などに書かれているフィクションを現実化するためにです。

 無制限に金を儲けても、それは悩み苦しみの原因になります。一人の人に一生必要な金の量など知れたものです。高級車を100台持っていても、豪邸を20軒持っていても、一個のからだで全部使えるはずもない。世間知らずで幻覚に悩む妄想家たちが遠い昔聖書などに書いた神話を、現代社会で実現させても、時代遅れでうまくいくはずもない。結果は、人間差別と憎しみと殺し合いだけです。智恵がある人は、一切の生命を慈しむのです。やはり、愚か者でないと戦争はできない。

 人は、平和を築くために平和を壊す。幸福になるために幸せを壊す。悩み苦しみを増幅する。豊かになるために資源を破壊する。仲良くするために他人を差別する。気に入ってもらうために相手をいじめる。その上、自分の生き方、考え方、主義主張こそが正しいと固持する。他人の心までコントロールする。世間のこの愚かな生き方にケチを付ける人がいれば、その人を変人扱いする。仲間はずれにする。弾圧をする。正しい意見も弾圧しながら、言論の自由を公言する。

 世界はこんなもので、あべこべでなのです。理性のある人はどうすればよいのでしょうか。皆がやっていることは、やらないことです。愚か者に誘惑されないことです。根性がない弱きものは「皆がやっているからやる」。芯の強い英雄は正しいことをする。釈尊は説く。皆、怒りに、憎しみに苦しんでいるが、我々は怒らず、憎まず、喜んで生きてみよう。人は皆、争いにふけって苦しんでいる。我々は争いをやめて、平和で幸福に生きよう。皆、敵を倒そうとして、自滅する。我々は敵の過ちを許して、慈しみで包んで、味方にして共に喜ぼう。これが、智恵のある人の、仏教徒の道なのです。

 今月の法句経の偈は、釈尊がローヒニー川のほとりで、戦おうとしたご自分の両家の親戚たちに語られたものです。

今回のポイント 

◎経典の言葉
Susukham vata jîvâma - verinesu averino,
Verinesu manussesu - viharâma averino.(Dh. 197)
怨みをいだく人のなか、我ら楽しく生きんかな
怨みをいだく人のなか、つゆ怨みなく住まんかな
Susukham vata jîvâma - âturesu anâturâ,
Âturesu manussesu - viharâma anâturâ.(Dh. 198)
悩み落ち込む人のなか、我ら楽しく生きんかな
悩み落ち込む人のなか、つゆ悩みなく住まんかな
Susukham vata jîvâma - ussukesu anussukâ,
Ussukesu manussesu - viharâma anussukâ. (Dh. 199)
貪り深き人のなか、我ら楽しく生きんかな
貪り深き人のなか、つゆ貪らず住まんかな
(和訳;江原通子)
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