パティパダー巻頭法話
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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No.30 (1997年8月)
聖者(阿羅漢)の心(1)
〜すべての束縛の繋ぎから逃れ出るために〜
A・スマナサーラ長老

 心に何か悩みがあったり、不安があったりすると私たちは、ヴィパッサナー冥想でもしたら明るくなれるのではないかと思います。あるいは体が病気で悩まされているときも、冥想でもしたら早く健康になるだろうと期待します。要するに、「冥想」をすることで「幸福な人生」を作ろうと思っています。理論的に考えると、そういう目的は不可能でもないのです。なぜならば生きているすべてのものの行動は、心によって生まれるものです。まず考えて、次に行動します。ということは、考え方から人生は築かれていくということです。となると思考が乱れている場合、明確に働かない場合、またしっかりした判断が出来ない場合、生き方は混乱に陥って不幸に終わるはずです。悩みのない、失敗の少ない明るい人生を築くためには、冥想をして、悶々とした状態から脱出して、思考を明晰な状態にする方が早道ではないかと思うのが論理だと思います。さらに、人は誰でも思考で生かされていますので、冥想という行為は、悩みに明け暮れている特別な人間だけのやり方ではなく、どんな人間にも必要な行動だと言わざるを得ません。世の中に知られている様々な冥想法の中でもヴィパッサナー冥想は、特に簡単に人の心を直視する方法ですから、効き目が早いと思います。

 では、釈迦尊が教えられたヴィパッサナーという実践法は、人の日常の悩みを解決してくれるカウンセリング方法だったのかというとそうではありません。
釈迦尊は「一切の苦しみをなくす道」と言われたので、日常の苦しみが消えていくのはほんの「おまけ」ではないかと思います。現代の我々は、この「おまけ」だけに惹かれてヴィパッサナーを実践していると言えるかもしれません。
この「おまけ」を悪いとは思いませんが、ヴィパッサナー本来の目的も理解して、存在の苦しみの一切をなくし究極的な平安を味わおうと努力することも悪くないと思います。

 今月からヴィパッサナー実践を達成した聖者の心の状態はどのようなものかということをお話ししていきたいと思います。

 ヴィパッサナー実践を完成すると、「生きるJという「冒険」も終わりです。「存在し続ける」という旅の終了、或いはゴールでもあります。普段の私たちは、生きていかなくてはという強迫観念に襲われ続けています。なぜ生きていかなければならないかということは誰にもわかっていないのですが、この強迫親念に悩まされていることは事実です。心には常に「何かしなくては」という不安があって、一瞬でもホッとすることは出来ません。私たちは生きるという砂漠の旅をしています。ちょっと間違えば命がないので、砂漠を乗り越えるまではホッとすることはできません。

今現在の人生においては、生きていなくてはという強迫観念が理解できますが、恐ろしいことに仏教には輪廻転生という概念もあります。存在というものは死で終わるのではなく、また生まれ、また死んで、終わりなく生死を繰り返すのです。輪廻転生がもし事実であるならば、生きていなくてはという強迫観念は想像を絶する恐ろしいものだと感じるでしょう。とにかく生き続けなければならないので、人間には、精神的に落ちつくことは不可能です。生きるという砂漠のど真ん中にいるのです。それを乗り越えなくては…と必死になって生きるための戦いを続けます。もし今世という砂漠を乗り越えたところで、また来世という砂漠があるならば大変な苦しみです。
そこでヴィパッサナー実践をすることで、生きるとは何か、その目的とは何かという人間にはなかなか解決のつかない問題を解決するのです。それで冒険の旅が終わります。その落ちつきのない心がやっとほっとします。

 人間は様々な義務感、使命感、責任感、個人の意欲、希望などで常に燃えていて、いつでも束縛されています。個人のこと、仕事、家族、社会、そういういろいろな束縛から逃れられません。心の自由を奪われる「束縛」というものは、生きるということにどういう意味があるかを理解していないために起こるものです。ヴイパッサナーの成就者は心にいかなる束縛もありません。完全な自由を味わっています。束縛ある人は、否応なしに生きていなくてはならず、生きることが楽しいことであっても苦しいことであっても、とにかく生き続けなくてはいけないのです。それで必ず心にストレスがたまるのです。ストレスのたまらないような生き方はありません。束縛からの自由を体験した人も他の人と同じく生活をしていますが、何のストレスもたまらない生き方をしています。
たとえでいえば、檻の中で飼われている鳥と野生で生きている鳥ほどの違いがあります。

 悩み、苦しみ、不安、不満などが人間にあるのは当たり前ですが、ヴイパッサナーを通して真理を体験した人には、精神的な苦しみは一切ありません。(たまに病気になって、体の痛みや不自由はあるかもしれませんが、心の悩みはありません)

 心に悩みを引き起こす原因は4つあります。

  1. 余計な欲
  2. 余計な怒り
  3. 習慣、苦行まがいの行、超自然的なことに対する憧れなどにとりつかれていること
  4. それから、自分の知識範囲に、それだけが正しいと固くしがみついていることです。

 しかし真理を知ることで、心の悩みと束縛を引き起こす繋(つな)ぎを解き放ち、その人の心から、すべての悩みの炎が消えます。

 おまけのためにヴィパッサナーをするよりは、ヴィパッサナーの本当の目的である解脱を目指した方が良いと思います。解脱、悟りというのは何のことかと、さっぱりわからない、悟りなんかなくてもいい、またそんなことは出来るわけがない、そのように考えるのは勿体無いのではないでしょうか。
 釈迦尊は解脱こそが人間にとって究極の幸福であるとおっしゃっていますから、チャレンジした方が賢い生き方だと思います。
たとえわずかでもヴィパッサナーを実践すると、それなりのいい結果が必ず得られます。悪いことはひとつも起こらないと思います。

今回のポイント

◎経典の言葉
Gataddhino visokassa - vippamuttasa sabbadhi
Sabba ganthappahînassa - parilâho na vijjati.(Dh.-90)
すでに人生の旅路を終え、憂いから離れ、心がほーっとして、あらゆる束縛の繋(つな)ぎから逃れた人には、悩み、苦しみは存在しない。(Dhmmapada−90)
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