パティパダー巻頭法話
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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No.42 (1998年8月)
「落ち込むのは、人間の本性」
〜良い目的はやる気を持続させる〜
A・スマナサーラ長老

 人の実行力、あるいはやる気というものは、あまり長く続くものではありません。すぐにやる気が消えてしまうという経験は、誰にでもあると思います。努力して、心に力をつけてあげても、またすぐ落ち込んでしまって力がなくなります。それにはいくつかの理由が考えられます。

 まず自分が望むほどの結果が出ないこと。その場合は、いくらやってもダメだなぁと落ち込んでしまいます。次の理由は自分のやることにいろいろな障害が出てくること。
そのときはものごとはうまくいくものじゃないと諦めたくなります。次には、自分の望む結果とまったく違う結果が出てしまうこと。そのときは自信がまったく消えてしまいます。そして次は、結果が出るかどうかが自分に思い描けない場合。その場合も自分はダメなんだ、いくらやっても無意味だと思ってしまいます。

 人がやることならどんなことにも、必ずと言っていいほど、次から次へとそのような障害が出てきます。「すべてうまくいった」「大成功した」ということは大変まれな珍しいことです。そういう場合は、どんな人でも正直に喜びます。しかし知識がある人は、まれに起こることを希望するのではなく、障害などがあるのは普通のことですから、それを理解して認めます。言い換えれば、いくら自信があって頑張っても「必ずどこかで落ち込みますよ」「やる気が消えますよ」ということを理解することです。

知識のある人の本当のチャレンジは、すぐ消えたがるやる気にエネルギー補給しながら、保ち続けることなのです。そうしないと人の人生の中で、「何かを成功させました」あるいは、「希望を実現しました」「何かを成し遂げました」とは言えなくなります。何かを成し遂げた、やり遂げたと言えない人生は、まったく無意味な人生であり、人生は無駄になったことになります。

 お釈迦様の弟子たちの中にサッパダーサという名前の修行僧がいました。大変まじめに悟りを開こうと修行を続けましたが、なかなか思うようにいきませんでした。望む結果が出ないだけではなく、彼の心にいろいろな障害も生まれてきました。障害というのは何かというと、心の中に、欲が生まれてきたのです。

出家としての、無欲の生き方が嫌になってしまったのです。そして還俗して家に帰りたくなりました。しかし彼のプライドが、尊い出家生活から欲におぼれる在家生活に戻るようなことを許しませんでした。出家は続けたくないし、在家にも戻りたくない、修行しても結果が出る見込みも見えない。それで彼は精神的にまいってしまったのです。どうすればよいのか、どう生きていくべきか、自分の生きる道が見えなくなってしまったのです。精神的に壁にぶつかった彼は、自殺を考え始めました。

 そのとき、お寺に毒蛇が迷い込むという小さな事件が起こりました。他のお坊さんたちが毒蛇を捕まえ、捨てようと持ってきました。それを見たサッパダーサ僧は、私が捨ててきますと、蛇をもらって森へ入りました。彼は蛇が入っていた竹筒の中に手を入れて、噛ませようと蛇をいじったのです。でも蛇は彼を噛みませんでした。彼は寺へ戻り、他のお坊さんたちに、何の毒もない青大将に大騒ぎするんじゃないと、文句を言いました。

 そして他の日、彼は自分で首を切って自殺しようと思い、かみそりを持って、森に入りました。
かみそりを首に当て、今まで自分の生き方を回想しました。大変まじめに修行しながら、自分が清らかな人生を送ってきたことを、思い浮かべました。その瞬間、自分の人生は無駄ではなかったと気付いた彼は、大きな喜びと充実感を感じたのです。今までの心の暗闇が消えました。心が落ち着き精神が統一されてゆきました。しかし、どれほど喜び、充実感を感じていても、「今」は死ぬ瞬間なのです。人の命は、すぐ消えるものです。すべてのものは、命と同じく、瞬間瞬間消えていくものです。執着してとらわれるようなものは、何一つ存在しない。彼はこの真理に気付きました。

完全に悟りが開かれました。穏やかな顔で、彼はお寺に戻りました。今まで生きる気力もなかった人の突然の変身に驚いた比丘たちが、理由を聞いたところ、「私は首を切ろうとして、結局煩悩を切ってしまいました」と答えました。比丘たちには、ほんの一瞬の時間で、悟られるのかということが信じられませんでしたのでお釈迦様に伺いました。お釈迦様は彼が悟ったことを認めました。

 この出来事について、お釈迦様は比丘たちに戒めて説法しました。人はたとえ瞬間でも怠けてはいけません。自分の目的、希望を達成するまで、自己を励み努力するべきです。結果が出ないと落ち込むことが、怠けることなのです。怠けるものは、何かを達成することはなく、自分の持っている徳をなくしてしまいます。怠けの道は堕落の道で、破壊の道でもあります。たとえ100才まで生きていても、努力をしない、怠け者の生き方は、無駄な生き方です。目的を達成するために必死で努力して励むものは、たとえ一日の命でも有意義な命だといえます。その人こそ、無駄に生きたことにならないのです。サッパダーサはずっと落ち込んでいて、自殺まで計っていましたが、怠けて無駄に生きることはしなかったのです。どうでもいいからと思って何もしないで、鬱(うつ)病のような状態で食べては寝て、ということを繰り返したわけではありません。結果の見込みがなくても、修行に障害が出ても、自分の修行を続けたのです。それでわずかな時間で完全たる悟りを開くことができたのです。お釈迦様はいくら落ち込んでも怠らないで、努力し続けなさいと戒めました。

 目的さえ正しく素晴らしいものであるならば、落ち込んで何度倒れても、また立ち上がればよいのではないかと思います。落ち込みがちな人々は、何か有意義な目的を作れば人生は幸福になるでしょう。

今回のポイント

◎経典の言葉
Yo ca vassasatam jîve - kusîto hîna vîriyo,
Ekâham jîvitam seyyo - vîriyam ârabhto dalham.(Dh.112)
怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きる方がすぐれている。(Dh.112)
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