パティパダー巻頭法話
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No.58 (1999年12月)
知らず識らず人は苦しみの原因に固執する

〜社会に幸福はあり得るか〜
A・スマナサーラ長老

 今月は、社会一般に見られる苦しみについて考えてみます。今の社会は昔より大変すばらしいと考えている人々がいます。「いいえ、今より昔の方がずっとよかった」と言う人々もいます。大抵の人々の意見は、この二つに分けられますが、今も昔もたいして変わりはないと言う人々も、少数派ですがいます。

 どの時代がよいかと判断しようとすると、見る角度によって上の三つのいずれかに適合します。しかしこれぐらいの思考では社会の問題を理解できません。幸せか、すばらしいかを判断するとき、背後には不幸と苦しみが潜んでいます。ですから、社会全般に行き渡っている「苦しみ」について考えた方が、よくわかると思います。昔よかったと思う人は、現在あまりよくないという立場をとる。今すばらしいと思う人は、昔はよくなかったと理解している。昔も今もたいして変わらないと思う人は、社会に対して楽観的か悲観的かは聞いてみないとわからないので、ここではおいておきましょう。どの立場をとっても、社会に苦しみがあるということだけは事実です。

 では、社会の苦しみとは何でしょうか。これは国によって、また時代によって、いろいろと異なります。現在の日本の社会が直面している主な苦しみは、経済的不安定でしょう。中小企業は倒産していくし、リストラで精神的に地獄の苦しみを味わい、個人的には先行きを心配するあまり恐怖感に陥っています。高齢化現象、若者の人生と社会に対する無責任な態度、環境汚染なども、日本の社会の悩みです。一方、日本の国では見られませんが、政治不安もまた一般の人々を大変苦しめます。暴動が起きたり、人が死んだりします。それによってまた、難民になったり、殺戮の犠牲になったりもします。さらにどんな国も、自然の脅威に襲われることがあります。干ばつ、洪水、地震、飢餓、伝染病などがそれです。

 ところで、地震、噴火以外のほとんどの社会の苦しみは、避けることは不可能ではありません。よく考えると、社会の苦しみは人為的なものだとわかります。人為的であることを理解しやすくするために、ここで「不正」という言葉を用いたいのです。すべての生き物の大事な財産である地球を、わがままで欲張りな力のある人だけが食い争ったので、今、人間だけではなく、動植物も絶滅の危機に瀕しています。地球の使用方法が「不正」でした。犯してはいけないものを犯してしまいましたので、犯罪なのです。欲におぼれ、物質的に豊かになることを目指して、自然を食い荒らしてしまった愚かな国々。その生き方を模倣する第三世界の人々も、豊かになろうと思って熱帯雨林などを破壊しています。第三世界の人々は、今まで自然を守っていたのに、無知が故に不正行為をやっています。

 自然に対する「不正」はあまりにも恐ろしく、その苦しみ自体はもう手遅れになっていますが、これらの「不正」は他のところにも見られます。たとえば、社会に見られる「不正」を考えてみましょう。民を本当に愛する正直な人は皮肉なことに政治家にはなりません。民主主義社会では、政治は人気商売です。人気がなければどうにもならないのです。政治家になるのは、国を治める資格や能力のある人ではなく、良かれ悪しかれいろいろと工夫して、一般の人の人気を勝ちとった人です。また、政治は権力でもありますから権力欲に病んでいる人々もそれにチャレンジします。一旦権力を握ったら、民のことを放り出して、自分の権力だけ確立しようとします。独裁者、汚職政治家、過激派、テロリスト、革命家気取りなどがはびこり民を苦しめます。仕事は「資格と能力のある人に任せるべき」という観念的な立場から見ると、昔から現代に至るまで政権を握ってきた人々は、国々を「不正」という方向で治めてきたのではないかと思われます。よく考えると、これも、一般の人々に対する「不正」であり、犯罪です。

 また、「金が物を言う」「力が物を言う」ことも世の中にはあります。客観的に真理を理解し、生命に対して慈しみを持つ人々の言葉こそ通用して欲しいと思いますが、残念ながら、世の中では力やお金のある人や武力や経済力をもつ国の言葉が通用してしまいます。たとえば、世界は核兵器を全面撤廃するべきですが、いくつかの大国の主張によってそれはできません。これも重大な「不正」です。金さえあれば、犯罪者でも裁判に勝つ等々、社会の中で不正行為は限りなくまかり通っています。社会の「不正」は、すべての人々に対する「犯罪」行為だと思った方がよいでしょう。昔から社会はあまりにも「不正行為」に犯され続けてきたので、社会的な苦しみは一向に変わりません。人種差別、男女差別、主義・宗教差別、階級差別などは「不正」の結果です。「不正」というのは、やってはいけないことをやることでもあるし、正当な人々に対する犯罪でもあります。結果として、社会の苦しみをなくす真理と正義は、いつも蛍の明かりのように小さくて隠れており、不正の力は太陽のごとく表舞台で輝いています。知らず識らず、人類は不正を大事に守ってきたのです。(これからも、不正を守り続けるでしょう。また、未来社会の人間にも、かなりの苦しみがあるでしょう)ですから、社会の苦しみは人為的だと考えられます。  お釈迦様は、侵すべきでない人を侵すと10種類の苦しみが現れると説かれました。(偈文参照)

今回のポイント

◎経典の言葉
Yo dandena adandesu - appa dutthesu dussati,
Dasannamaññataram thânam - khippam eva nigacchati (Dh.137)
Vedanam pharusam jânim - sarîrassa ca bhedanam,
Garukam vâ'pi âbâdam - cittakkhepam va pâpune.(Dh.138)
Râjato vâ upassaggam - abbhakkhânam va dârunam,
Parikkhayam va ñâtînam - bhogânam va pabhanguram.(Dh.139)
Atha va'ssa agârâni - aggi dahati pâvako,
Kâyassa bhedâ duppañño - nirayam so'papajjati.(Dh.140)
手むかうことなく罪咎のない人々に害を加えるならば、次にあげる十種のどれかに間もなく出会うであろう
(1)激しい痛み(2)老衰(3)身体の障害(4)重い病(5)乱心(6)国王(国の法律)からの災い(7)恐ろしい告げ口(8)親族の滅び(9)財産の損失(10) 家の焼失。この愚かな者は、身破れてのちに、地獄に生まれる。
(Dh. 137、138,139,140)
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