パティパダー巻頭法話
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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No.67 (2000年9月)
説法は耳障り
〜美も醜も同一のものです〜
A・スマナサーラ長老

 仏陀の教えがたとえわかりやすくて真理であっても、すべての人に親しまれたわけではありません。違う信仰を持つ人に好まれないのは当然のことですから、それは問題になりませんが、仏教徒の中でも、教えに対する人気度がさまざまでした。お釈迦さまのはなしは、直接的で、人の心の問題に的中したため、このようなことになったのです。自分の問題を正しく理解して、完全にそれを解決する方法をしっかりと教えてくれるのは、たいへんありがたい話です。でもそのように、素直に教えを受け入れなかった人々もいました。仏陀の教えは広く伝わって、大勢の人々に信じられるようになったことは事実です。この点では大変人気があったと言えますが、仏教を信じる人々の間での人気度が問題でした。

 お釈迦さまが、殺生をしないように、嘘をつかないように、よこしまな行為をやめるように、飲酒をやめるように、話をすると、今までそのような行為をしながら生きてきた人々にとっては、耳の痛い話になります。

 狩猟者、漁師などの仕事で生計をたてている人が不殺生の話を聞くと、否定もできず実践もできず、かなり混乱します。それでも、これくらいのことでならまだわかりやすいのですが、もっと複雑な側面もあります。

 欲望、怠け、怒り、嫉妬、憎しみ、などの問題で悩んでいる人も、欲望などの危険性を語られると、おそらく良い気分ではなかったでしょう。昔お釈迦さまに出会った人には、今の人もよく言う「おっしゃることは事実でそのとおりですが、なかなか実行できない」という精神状態が、もっと強くあっただろうと思います。

 「好きだけれど、やりにくい」「わかってはいるけれど、実行はむずかしい」と思うのは、どんな人にもある普通の気持ちです。その気持ちを認めてしまうと、人はまったく成長しないのも事実です。そうなってくると、普通、お釈迦さまの立場なら「何のためにしゃべっているのか」という疑問が生じるものです。それでお釈迦さまは、直接的な言葉を使って、力強く、否定できないよう、やらずにはおれないように、相手の気持ちにのせられずに、説法したのです。

人気がなかったのは、初期仏教のこの強い態度だったのです。のちに仏教が発展すると、仏教が人気がなくては困るので、人に優しく、相手のことを賞賛し、できるところではおだてながら、語るようになったのです。結果として、「仏教って、ありがたい教えだなあ」という感想だけで、終わるようになったのです。まじめに実践したら日常生活に役に立つ、生きた教えでしたのに、徐々にその役目が薄くなっていったのです。(少々気に入らなくても、きつく感じても、真理は、飾らず語られた方が、役に立つと思います)

 お釈迦さまの親戚にあたるナンダーという絶世の美女がいました。ところが彼女の親戚達も、婚約者も、出家してしまったのです。婚約者は自分のことをかわいく思って、修行をやめて戻るだろうと幾年も待っていましたが、顔を見せませんでした。結婚できなくて、不幸を感じていましたけれども、彼女は仏教まで嫌いと思うことはなかったのです。彼女も仏説こそ、こころの真理をありのまま語るものだとわかっていました。戻らない恋人に少々怒りを感じることもあったかもしれませんが、恋人が戻れない理由も、よく理解していました。釈迦族の皆が出家して、民族そのものが徐々に消えていくこともわかっていた彼女でしたが、自分も出家することに決めました。

 絶世の美女は、髪を剃って、糞掃衣をまとい、比丘尼達と共同生活していても、やはり目立つ存在でした。ときに目立つことをいやがったり、美人なのに出家したことを皆にほめられることを喜んだりしていた彼女のこころは複雑でした。知らず知らず、美しくきれいでいるように、気をつけていました。(おそらく、歯を余分に磨く、顔や手足を丹念に洗う、衣を丁寧にまとう、くらいのことでしょう)他の比丘尼達から説法もよく聞きました。世の欲を否定的に見ることや、からだを不浄のかたまりと観る見方や、老病死の話や、苦・無常の話など、説法の内容もさまざまでした。

 仏陀に直接会って挨拶したら、自分に何をおっしゃるのだろうか、と彼女は、頭の中で想像し始めました。仏陀はこころのなかの感情にずばり的中したお話しをされるので、複雑な複数の感情でこころが乱れていた彼女には、何も想像がつきませんでした。自分がまじめだから、ほめてくれるだろうか、自分の美を否定して叱るだろうか、ときに現れる自分の高慢さを非難するだろうか等々と妄想しました。妄想にばかりにふけって、釈迦尊に会うことは一度もなかったのです。

 彼女が修行した寺の比丘尼達が、徐々に心配し始めました。仏陀に会うことは他の修行者にとってはこのうえなくありがたいことなのに、彼女だけは何の興味も示さないのです。ある日、比丘尼達が、彼女を強引に説法会に引っぱり出しました。彼女はお釈迦さまに顔を見られないように、後ろの方にそっと隠れて座りました。自分のことを皆の前で堂々と非難されるだろうと思って、仏陀に会うことを遠慮していた彼女に対し、お釈迦さまは、彼女に気づかないふりをして説法をしたのです。彼女の人生にとって大きな悩みは、自分のずば抜けた美しさでした。美は彼女のせいではないのです。

「人のからだを、ひとつの町にたとえましょう。きれいだと思っているこの町は、実は骨でできているのです。人骨で骨組みを作って、壁は血で練った肉で作るのです。きれいだ、美しいのだと思ってとらわれているからだというこの町のなかに、何があるのでしょうか。町であるならば、美しい道、公園、湖、花園、遊び場、などがあって、楽しいはずです。人体というこの町は、また違います。この町にあるのは、苦しみ、痛み、悩み、憎しみ、高慢、他を軽視する気持ち、敵対心、などです。見た目の美をボロボロにする老い、また必ず訪れる死などのみ、あるのです。

 では我々は、骨と肉と血で築かれているこのからだのために、苦しむべきでしょうか、悩むべきでしょうか。私、私と主張して威張るべきでしょうか。他を軽視したり、非難したり、憎んだりすることに何の意味があるでしょうか。このからだが『私』であり、大変大事なものだと思うこと自体が、一切の悩み苦しみの原因ではないのでしょうか。」と説法をなさいました。
ナンダーが、悟りました。

今回のポイント

◎経典の言葉
Atthînam nagaram - mansa lohita lepanam,
Yattha jarâ ca maccû ca - mâno makkho ca ohito (Dh. 150)
骨で城がつくられ、それに肉と血が塗ってあり、老いと高ぶりとごまかしとが、その城の中に治められている。(Dh. 150)
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