パティパダー巻頭法話
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No.69 (2000年11月)
からだのことしか考えられない
〜智恵のない生き方はむなしい〜
A・スマナサーラ長老

 先月は日本中がオリンピック一色でした。同じ試合、同じ場面が、いくつものチャンネルで、何度も何度も朝から晩まで放映されることもしばしばでした。「○○さんが金メダルを獲った感動の場面を、もう一度ごらんになってください!」という言葉とともに、いくら感動的であるといっても、いやになるほどリピートし続けます。オリンピックに冷や水をあびせるつもりはないのですが、いくつか考えるべき点が思い浮かびました。

 オリンピックの選手たちは、0.1秒の差にチャレンジしています。もし、勝って、その差で金を獲れたならば、その国の大きな自慢になります。ですから皆、なんとしても金メダルを獲りたがるのです。

 とにかくオリンピックなどのスポーツは、肉体の競争です。記録を残すために、財産も、国によっては政治的な力もそそぎ込みます。しかし、体力はそれほど大事なものでしょうか。体力の超人がいるということだけで、自慢や名誉になるのでしょうか。金メダルを獲ること、世界チャンピオンになることで、その国の社会に、何を貢献できるのでしょうか。

 しかしこのような様子を見て、普通の人々は、子供のころから強い体力に憧れます。実現不可能な妄想の世界で、スーパーマンやジェームスボンドやウルトラマンを創り出します。もっと一般的なレベルで考えると、誰でも、健康で体力があって、プロポーションが良くて、うるわしい肌の色を持つことを、望んでいます。

 結局人々にとって何より気になることは、からだのことなのです。骨と肉だけでできているこのからだのために、死にものぐるいで尽くしているのです。でもいくら努力しても、からだは病に冒され、老いて、死んでしまうものです。体力や美しいからだを保っていられれば、どんな得があるのでしょうか。簡単な答えは、「ないよりはあった方がよいのではないか」というくらいのことです。具体的な答えはでてこないのです。健康であるならば病気の心配をしないですむ。体力があれば一日中仕事をしても疲れないですむ。休日は登山もできる。美しい人であるならば皆やさしく接してくれる。ときに体力や美は、仕事にもなります。しかしからだによる得はそのくらいのものでしょう。それらの得もまた、からだに関わるものです。いわば、からだのために、からだを育てるということなのです。

 すべての能力をからだのために注ぐ現代社会では、得だけではなく、必ず「損」も見いだされるのです。簡単にいえば、体力のあり余る人はちょっとしたことで暴力を振るうようになる。美しい人はあまりにちやほやされてしまって、わがままな性格になってしまう。まじめに勉強してまともな人間になろうという意志がうすれていき、遊ぶことだけに専念するようになる。登校拒否をはじめたり、すぐカッとなったりするようになる。肉体だけを中心にして生きていると、人間は必ず生きることにおいて社会に対して、不満や虚しさを感じるようになる。それで、「おもしろくない」「何もやりたくない」「人に言われるとおりにしたくない」「でも自分でも何をやればいいのかわからない」「人を殺してでも話題のタネになりたい」等々の考え方が生まれてくる。このような状況の原因は何なのかと皆真剣に探っているところですが、肉体的なからだこそすべてだと思っている人間の思考が原因だと思います。

蓮池 仏教の立場からは、どのように考えればよいのでしょうか。体力、健康などは、あっても悪くはないのですが、それこそが人生ではないのです。からだのことしか考えられない人間の生き方を、からだのことしか考えられない動物たちの生き方と比べてみると、人間の方は七面倒くさくて、社会的にも精神的にもトラブルだらけのように見えます。一度も行われたことのない人間と犬の会話を、ちょっとのぞいてみることにしましょう。

 人間「犬よ。君たちよりは私たちの方が偉いんだよ」犬「私はそうは思いません。なぜあなたはそう思うのですか」人間「私たちは高層のビルを造る。高速の乗り物を造る。ありとあらゆる服を作る。いろいろな薬も開発する。でも、君たちには何もできません」犬「そういうことをしなければ生きていられないあなたたちはきっと苦労が多いことでしょう。また我々よりも弱いのではないですか」人間「私たちはいろいろとむずかしい仕事をして、楽な生活をしている」犬「私たちは、少々しっぽでも振ってかわいい顔さえ見せれば、人間が全面的に面倒を見てくれる。そのほうが楽で、もっと楽しいですよ。結局は人間も、何かを食べ、楽しみ、苦労の多い人生を終えて、死ぬ。我々も、何かを食べて楽しんで、生きる苦労などあるのかどうかも知らずに死ぬ。そうは思いたくはないけれど、あなたと話すと、我々犬の方が偉く賢く感じられますよ」。

 負けて悔しがった人間が、賢者に会って愚痴をこぼします。そこで賢者は人間に言いました。「人間ならではの優れたものは何もないと思いますか。それは道徳、性格、人格のような言葉で言われているものでしょう。口先だけで、それはありがたいと言いつつも、あなたがたはからだのことしか考えていないのです。道徳を守ることも、人格の向上も、自分のことだけではなく、すべての生命のことを考えて行動することも、人間にしかできないのです。これらはひとつとしてからだと関係のない『こころ』のことです。人間は、すぐなくなってしまう『財産』のみを探し求めてはならないのです。老いて死ぬことで終わってしまう『からだ』を維持することだけに一生をかけてはならないのです。このふたつとも、生きるために必要な『道具』に過ぎないのです。おろかな人間は道具のために生きていますが、消え去っていかない、確実に自分のものになる、死んでも自分と一緒についてくる『徳』と『智恵』を、生きている間に獲得することが何よりも大事です。智恵の開発に努力しない生き方は、あまりにも虚しいです」と答えました。

 この私の作り話から、人間が何を大事にするべきかがおわかりになるでしょう。


今回のポイント
◎経典の言葉
Apassutâyam puriso - balivaddo'va jîrati,
Mansâni tassa vaddhanti - paññâ tassa na vaddhati.(Dh.152)
何も学んだことのない人は、牛のように老いる。
彼の肉は増えるが、彼の智恵は増えない。(Dh. 152)
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