パティパダー巻頭法話
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No.90 (2002年8月)
空を飛んでみたい
〜俗世間を乗り越える道〜
 A leap beyond the paradigm
A・スマナサーラ長老

 子供たちは、自由に空を飛んでいる鳥たちを見るとうらやましくてたまりません。
空を飛べればいいなあと思ったりして、頭の中でも空を飛ぶシミュレーションをして遊ぶのです。今は飛行機に乗れば空を飛べるので、飛行機のおもちゃで空を飛ぶ気分になって遊びます。おもちゃがなくても、両手を広げ、口からヒューンと声を出して空を飛ぶ気分になるのです。経験もないのに、なぜ空を飛ぶことが面白いのでしょうか。それは、人間には決して空が飛べないからです。飛ぶことができれば、なんと便利なことかと思うからです。地上の動きは時間がかかるし、苦しいし、大変不便なものです。この地上の動きに対する不満と苦しみが、空を飛ぶ夢を生み出すのです。

 これは子供だけの話ではありません。現在の飛行機と宇宙船の文明も、空を飛びたいと思ってきた夢の結果です。地上を歩くことは不便で苦しい。自由自在に動けない。条件が多い。この短所を理解した結果、空を飛ぶ法則を発見できたのです。それなりの道具を開発して、今、人間は空を飛ぶようになりました。

 仏教は、この世の短所を語っているのです。瞬間に消える束の間の快楽があっても、トータル的に見ると、生きることは、大変苦しく虚しいものです。あらゆる条件の中で、やっと生きているだけです。楽に生きていきたい、豊かになりたい、贅沢な生き方をしたいと思えば思うほど、条件が増えるのです。忙しくなるのです。苦しみも増えるのです。世俗的に成功している人々もたまにいますが、その成功を築くために経た過程は、赤いじゅうたんを敷いた道ではありません。苦労の末に幸福になったとしても、具体的に考えて差し引いて計算してみると、苦しみのほうがはるかに多いのです。

 地上の動きの短所に気づいて、空を飛べることを祈願する人々と同じく、釈尊は、俗世間を脱出することに気持ちが傾いたのです。生きることが苦であるならば、その苦からの脱出は、最高の幸福、平安ではないかと思ったのです。なぜ人間は空を飛べないのか、鳥たちはなぜ空を飛べるのかと、つぶさに観察して、空を飛ぶために必要な条件を発見した人間は、空を飛べる機械を作りました。(しかし、道具は空を飛べるようになりましたが、いまだに人は空を飛べません)釈尊も、なぜ輪廻を脱出できないかを探求したのです。

 こころが、もっと生きたい、死にたくないと思っている。それを『渇愛』と名づけました。

 頑張って生きていても、死は避けられないし、生きること自体も、不満と苦しみに満ちている。しかし、この現実にまったく気づいていない。この状態を『無知・無明』と名づけたのです。

 そこで釈尊は、こころから渇愛と無明を根絶する方法(八正道)を発見し、実践してみたのです。そして解脱を経験しました。自由、安らぎ、究極の幸福、苦しみの終焉を発見しました。いかなる生命にも、いまだかつてできなかったことに成功したのです。

 それから45年間、その方法、その道を無数の人々に教え、究極の安らぎを経験させたのです。

 仏教では、日常生活に役に立つ話がたくさんあります。幸福に生きる方法なども、具体的に教えられています。厳密に科学的に行う手術でも、成功率は100%ではありません。科学の世界で作り出す機械などの機能も、100%確かではありません。しかし我々は、医学も科学も疑うことなく信じるのです。頼るのです。一方、仏教で語ることの成功率は100%です。しかし、その方法を信頼して実行する人々はごくわずかです。

 たとえば、殺生するなかれ、嘘をつくなかれ、生命に対して無制限に慈しみを実行するべきであるといった話を、真剣に信頼して実行する気持ちになるものでしょうか。「信頼していますよ。しかし実行は難しい」と思う人もいるでしょう。これは誤解だと思います。こころというのは、完全に信頼するものを確実に実行するのです。こころのどこかで「嘘をついた方がよいときもありますよ」と思いつつ、「でも嘘をついてはいけない。それが正しい生き方だ」とも思う、半信半疑のこころでいるのです。ということは、本当には信頼していないということです。

 日常生活にブッダの説かれた真理を取り入れると、100%の確率で人生は幸福になるのです。 しかし、ブッダの教えは人生を成功させるためのものではありません。幸福に生きるということは、誰もが切望することです。でも、それを目的にして仏道を歩んでみても、矛盾にぶつかることは避けられません。いくら成功しても、生きることは苦なのです。たとえゴミを有効に使う方法があっても、ゴミは所詮ゴミであって、ダイヤモンドに変わるわけではありません。

 仏道は『空を飛ぶ』道なのです。出世間論です。飛行機、パラグライダーのような道具のおかげで、一時的に空を飛んだ錯覚を作る世界ではなく、鳥になって空を飛ぶ方法なのです。地上(輪廻)から、完全に脱出する道なのです。無知のせいで日常生活に起こる苦しみをなくそうとする人、平和で幸福に生きられる方法を信頼する人さえ稀なこの世で、解脱を目的にする人々はもっと稀です。生きることは、苦の回転以外の何ものでもない、と発見できる智恵がある人は、解脱を目指すのです。

(スマナサーラ師の聞き書きにより構成しました/編集・文責:舟橋左斗子)

今回のポイント

◎経典の言葉
Hamsâdhicca pathe yanti - âkâse yanti iddhiyâ
Nîyanti dhîrâ lokamhâ- jetvâ mâramsavâhinim. (Dh.175)
 白鳥は空を行き、神通力を持つ人も空を行き、智恵のある人々は、
悪魔(煩悩)とその群勢にうち勝って世俗の次元から己を連れ去る。(Dh.175)
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