パティパダー巻頭法話
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No.91 (2002年9月)
道徳のバロメーター
〜すべての罪は嘘に始まり嘘に終わる〜
 Lie is the death of morality
A・スマナサーラ長老

 釈尊は、王様たちにも、知識人にも、道端の人々にも、尊い真理を語りつづけました。
人の社会的な地位にあわせて真理を言い控えることはなかったのです。究極の知識人も、知識は何もない奴隷カーストの人々も、同じ真理を理解し、悟りを開いたのです。
仏教を理解するためには、論理的・客観的に、ものごとを考えられる智恵が必要です。釈尊の教え方は、誰にも真似できないほど優れたものでした。聞く相手の社会環境からたとえなどを出して、納得がいくように、明確に、大変親切な説法をなさったのです。相手が知識人の場合は、哲学的な概念に基づいて議論する。相手が王家の人々の場合は、政治の世界をたとえとして使う。百姓に話す場合は農業そのものから例を見つけて真理を語るのです。したがって、ブッダの教えに納得がいかなかった人はほとんどいなかったのです。

 有名な宗教家たちがたくさん活動していたインドの社会で、ブッダの教えは、ずば抜けて輝いていました。主流のバラモン教の人々も、仏教徒になって出家し、仏道を広めるために活動しました。釈尊の爆発的な人気は、他宗教の人々にとって、目の上のたんこぶのようなものでした。ですから、仏教に対する攻撃も絶えませんでした。

 ある他宗教の熱心な信者に、チンチャ―という若い女性がいました。彼女の信仰する宗教は、ブッダの伝道活動のせいで大変なダメージを受けていました。その宗教のお偉い方々は、チンチャーに、「君、何とかして我々の宗教を助けてくれないか」と頼みました。そこで、皆で、仏陀の人気を落とすための戦略を練ったのです。

 美しいチンチャ―が、おなかをふくらませ、妊娠しているように装って、釈尊が民衆に説法しているところに来ました。そして説法の最中に立ち上がって、大声で、叫んだのです。「皆に正しい生き方をしなさいと説法しているだけですむと思わないで、ご自分も責任を持って生きてみてはいかがですか。私とさんざん遊んだ挙句、私は今、妊娠しているのです。おなかにいるあなたの子供を、私ひとりでどう養えばいいのですか。自分で何もできないというなら、あなたには、王様たちや億万長者の信者さんがいるのではないですか。彼らに頼んででも、養育費を出してもらってください」。このように言いたい放題のことを言って、大衆の前で暴れまわったのです。ヒステリーになって泣き叫ぶ女の高い声で、説法は中断となってしまいました。完全に清らかな生き方をしていたブッダに対する突然の侮辱を聞いていた人々はどうすることもできず、ただ唖然としていました。お釈迦さまは、彼女を暴れたい放題暴れさせ、何も言わず沈黙していました。チンチャーが、これをいいことにさらに暴れると、彼女のおなかに入れてあったものが落ちてしまったのです。

 王様たちにも億万長者たちにも徹底した信頼を受けているブッダを、真っ赤な嘘で侮辱して、それがばれたショックは、彼女には大きすぎました。これはどんな人間であっても、絶えられるショックとは思えません。このショックで、チンチャ―は死んでしまい、地獄におちたのです。

 信者の悲しい運命について語る釈尊は、「嘘は一切の罪の根源である」と説かれたのです。現代社会でも、信仰にしがみついている人々は、自分の信仰を守るために、何でも無批判的にやってしまうケースも少なくありません。自分の信仰を守るために努力するというのは、理解できる行為ですが、だからといって、嘘をついたり罪を犯したり法律を破ったりしてはいけないのです。そのような行為は、自分の信仰を守るのではなく、結局破壊してしまうのです。理性に支えられていない信仰は、管理不可能な感情になってしまうのです。

 嘘をつくということは、事実をごまかすことです。人をだますことです。知られてはまずいものがある場合は、嘘をつきたくなるのです。知られたら困るものがあること自体が問題です。もし、人に知られると困ることがあるとするならば、その人の生き方は正しくないのです。正直で道徳的な人間ではないのです。「知られて困ることは、私には何ひとつない」と言える生き方こそが、正しい生き方です。ですから、人が嘘をついた時点で、その人の性格そのものを、全体的に疑問に思ったほうがいいのです。我々は、日常的に、何の躊躇もなく嘘をつくのです。この嘘は、人の人生がどれほど正しく道徳的かをあらわしてくれるバロメーターです。

 嘘もいろいろです。冗談で人を笑わせるための嘘、品物を売りたくて客に言う嘘、家族が互いに言うちょっとした嘘、権力を守るための政治家の嘘、犯した罪を隠すための嘘などがあります。その質や与える損害によって、嘘の『悪度』は異なります。日々我々がつく嘘を合算すると、自分がどれほど、道徳的な理想の生き方から脱線しているかということがわかります。この判断は他人にできるものではありません。嘘を言ってごまかして、逃げられる自信がある場合は、人は簡単に罪を犯すのです。犯罪までするのです。この世の中で起こるどんな犯罪も、どんな悪いことも、「嘘を言って他人をだます」という土台の上に成り立っています。人が嘘をつくからこそ、裁判というものは、大変な時間もお金もかかる、ややこしいものになっているのです。罪人を正しく罰せられないのも、無罪の人が有罪になるのも、嘘のせいです。

 罪を犯したくない、悪いことはしたくない、清らかな生き方をしたい、平安で幸福で生きていたいと希望する人は、世の中にある無数の悪い行為について悩まなくても結構です。『嘘をつかない』という一行を守れば善人になれます。

(スマナサーラ師の聞き書きにより構成しました/編集・文責:舟橋左斗子)

今回のポイント

◎経典の言葉
Ekam dhammam atîtassa _ musâvâdissa jantuno
Vitinna paralokassa _ natthi pâpam akâriyam. (Dh.176)
 (守るべき)唯一の法を離れて、偽りを語り、
あの世(の幸福)を無視する人には、犯すことのできない罪は何もない。(Dh.176)
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