パティパダー巻頭法話
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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No.96 (2003年2月)
仏陀は皆に好かれる
〜人のエゴは幸福を壊す〜
 Egoism wrecks happiness.
A・スマナサーラ長老

 『好かれる』という言葉の意味を、我々はよく知っています。他人に好かれたくないと思う人はいないと思います。むしろ、皆に好かれる方がありがたいのではないでしょうか。他人に気に入られること、親切にされること、他人と上手く交流できることは、社会で生きている我々にとって、とても大事なことです。スムーズな相互関係が成り立たなければ、この世の中では生きていられません。

 「昔は良かった」と嘆くことがよくあります。それは、昔のことを研究して言っているのではなく、今直面している何らかの問題に対して、不平不満を言っているだけです。他人との関係について「昔は良かった」と言うときは、今の人間関係に何かトラブルを起こしていることは確かです。しかしこれだけは言えます。もしある社会に生きている人々が、互いに心配の気持ちを持ち、互いの幸福を期待し、他人と対立して戦うことなく生活しているなら、その社会は平和で豊かな社会になります。日々繁栄する社会になります。敵にとっては「攻撃しにくい」社会になります。この様な社会が実際に存在しているかいないか、あるいは昔あったのかなかったのかはわからないことです。

 釈尊は、Vesâli 国の Vajji 民族の政治制度を高く評価しておられました。インドの国々は一人が統治する『王制』でしたが、Vesâli 国は多数の人に統治される共和国制度だったのです。現代民主主義に似ていない点というと選挙制度くらいだと思います。国民に、異論、反対意見などが起きないように、皆で一致団結して統治する7つの方法を釈尊が教えたのです。釈尊は「 Vesâli 国民がこの7つの方法を守る限りは、誰にも征服することはできません」と言われました。それはまったくその通りだと認めた Magadha 国の王 Âjâtasatthu が、工作員を雇って仲間割れをさせ、釈尊の7つの方法を守れないようにしたのです。それでVesâli 国も Magadha 国に潰されてしまいました。すべては無常ですので、たとえ良いことであろうとも長持ちはしないのです。

 国民が互いに仲良くして、平和で、豊かな国を築いていた Vesâli 国も潰れたのだからといって、互いに心配して互いの繁栄を期待して生きることが悪いことだとは言えないのです。どんな生命も、まったく一人で孤独に生活することはできません。生命のこころというのは、もともと弱いものです。互いに心配することで、こころが良い影響を受けて明るくなるのです。人間は、個人では大変弱いものです。心配する仲間の間では、この弱みがなくなります。一人でできないことも、仲間の協力があると実現できるのです。実は、この世に「私一人の力で成し遂げた」といえるものは一つもありません。善友の協力がないと仏道も完成しないと釈尊はおっしゃいます。冥想実践は一人でやるものではないかと思われるかもしれませんが、それは違います。人間にとっては、他人の協力は絶対的に必要なものです。他人と上手く交流できれば、人の努力は何でも見事に成功につながります。それで、生命は幸福を感じるのです。ですから、他人との関係は決して無視できない、大変大事なものなのです。

 人間関係について、ここで「他人に好かれる」という言葉を使ってみました。他人に好かれる人であるならば、人間関係に悩むことにならないと思います。他人に好かれないでいるよりも、好かれるためにどうすればよいかを理解しておけば、何ごとも成功して幸せな人間になることは、お手のものです。

 他人に嫌悪される最大の原因は、エゴです。エゴイストには自分のことしか考えられないのです。他人の気持ちも考えてあげることは、自分にとって損だと思うのです。ですから、エゴイストの思考は完全に主観的です。自分の利益しか考えません。エゴイストも他人に利益を与えることをすることもあります。しかしそれは、利益が何倍にもなって自分に返ってくるときです。エゴイストとつきあう人は、いつも損をするのです。損ばかりする人間関係は誰も好みません。ですからエゴイストが強引に成功して生きていても、長持ちはしないのです。やがて、まわりの人々に見放されて、不幸になるのです。

 エゴイストなんてそれほどいないと思われるかもしれません。それならこの世の中、大変平和で豊かな世界になっているはずです。人間関係で困る人は稀であるはずです。実状はそうでないことから、この世はエゴイストでいっぱいだとわかります。本当のところ、生命は誰でもエゴイストなのです。それだけではありません。皆、自分のエゴを徹底的に守るのです。そうすると、他人に好かれることはありません。人間関係で困ることになります。すると、生きることが苦しくなるのです。期待ははずれ、希望はかなわないのです。期待がはずれると、怒りも憎しみも生まれます。それにつれて競争、戦争、奪い合い、殺し合い、騙し合いなどのあらゆる不幸が起こるのです。

 釈尊は皆に好かれていました。なぜならば、エゴが完全に滅していたからです。エゴがない人は自分の利益などは考えません。他人のことを心配するのです。それは慈しみの精神です。お釈迦様にさからった Devadatta さえも、釈尊のことを嫌ではなかったのです。死の間際になったとき、釈尊に会わせなさいと自分の弟子たちに命令したのです。「一生邪魔ばかりして、今さら会うなんて?」と言った弟子たちに、Devadatta は、「私は釈尊に反対していたが、釈尊は一切の生命に対して限りない慈しみを持っているのだ」と答えたのです。人間だけではなく、天界の神々も梵天の神々も神霊たちも餓鬼道の餓鬼も動物たちも、釈尊のことを大変好きでした。ある日、一人になりたくて森の中に入った釈尊に、一頭の野生の象が出会いました。攻撃するはずの象が釈尊のことを好きになったのです。それから、釈尊の面倒を見ながら、3ヶ月間も釈尊と仲良く生活しました。また主人、子供二人、両親が皆亡くなって、頭が狂ってしまった Patâcârâ が、舎衛城をさまよっていたときも、「おいで」という仏陀の一言で彼女は正気に戻ったのです。

 仏陀は完全にこころを統一(サマーディ)していました。こころが乱れることなく、完全に落ち着いていたのです。ですから、仏陀に会うどんな乱暴な人でも、瞬時に落ち着くのです。悩み苦しみでどん底に陥っている人でも、仏陀を見ただけでこころが穏やかになるのです。仏陀に会った人は、釈尊が自分のことを、自分自身が心配するよりも心配してくれていることがわかるのです。また、仏陀は一切の欲から離れているのです。欲がない仏陀は、他人から何かを期待するのではなく、他人に何かをしてあげる気持ちでいるのです。仏陀に出会って損をした人は誰もいません。仏陀に出会うことで誰もが最高の幸福を得るので、仏陀は皆に好かれたのです。

 私たちも仏陀の性格を見習うと、皆に好かれる人間になって、幸福を得られると思います。落ち着いたこころを育てる。欲を控える。エゴを無くす。生命のことを心配する慈しみの気持ちを育てる。そうなれば、誰でも皆から好かれるようになるのです。

今回のポイント

◎経典の言葉
Ye jhâna pasutâ dhîrâ - nekkhammûpasame ratâ;
Devî'pi tesam pihayanti - sambuddhânam satîmatam. (Dhammapada 181)
常にこころを統一して、欲から離れて安穏を喜ぶ、
智恵ある覚者は神々にも好かれる。(Dh.181)
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