パティパダー巻頭法話
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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No.99 (2003年5月)
「不朽不滅の勝利」
〜仏陀に替わりうる指導者はいない〜
 Let's celebrate the great victory of the Buddha
A・スマナサーラ長老

 この世で初めて完全なる悟りを開き、すべての生命に平安への道を解き明かされたお釈迦さまをお祝いするウェーサーカ祭(本年<2003年>は西暦の5月16日)がやってきました。この日はテーラワーダ仏教徒にとってのお正月です。

 我々の世界を見渡せば、人類はいつでも互いに競争し、戦い、憎みあい、殺しあいながら、他の動物たちさえ驚愕してしまうほど、見事に、弱肉強食の原理を体現して生きています。しかし、このような生き方が立派な生き方だとは、決して誰も思っていません。みんな平和に、仲良く、幸せに生きていきたいと、はかない夢だけを見ています。真理を知らず、こころの法則も知らず、無知を断つこともできず、平和のためと称して戦争に挑むのです。幸福になるために、他人の幸せまで壊そうとするのです。

 このような世界で平安の道を説かれた人は釈迦牟尼仏陀のみでした。時代は変わっても、社会がどのように発展しても、人間のこころは向上していません。ですから、いつの時代でも、どんな人に対しても、仏陀の教えの有効性は失われないのです。人類はこぞってお釈迦さまの記念日をお祝いすることによって、真の幸福へのほのかな光を見いだすことができるのです。

 ウェーサーカ祭にちなんで、お釈迦さまを讃え、お釈迦さまの徳を思い起こすことにいたしましょう。ウェーサーカ月の満月の下、菩提樹の下でお釈迦さまは正覚者になられました。それから幾週間か(テーラワーダ仏教では七週間です)を経たある日のこと。苦行中に自分の世話をした五人の比丘たちに平安への道を解き明かすため、バーラナシーの鹿野苑へ旅に出ました。そして旅の途中で、Upaka という行者に出会いました。Upaka は色々な悩みを抱えて落ち込んでいました。お釈迦さまの穏やかな顔を見て、彼は尋ねました。「貴方の顔色は美しい。目が輝いている。皮膚の色も輝いている。貴方の指導者は誰ですか? 誰の教えを実践しているのですか?」Upaka もその指導者に会って、自分の悩みをなんとか解決したかったのでしょう。彼は、お釈迦さまを見ただけで、完全に苦しみを乗り越えた人だと知りました。彼は決して特別な能力を持っていたわけではありません。どんな人でも、ブッダを見ただけで、安らぎの気持ちになったのです。

 お釈迦さまはUpaka の問いに答えました。しかしそれほど鋭くなかったUpaka は、あまりにも予想外の返事に、その意味を理解できなかったのです。「貴方の指導者は誰ですか?」との問いに、お釈迦さまはこのように答えられました。「Sabbâbhibhû 全てのものを乗り越えている」。サッバとは、全ての生命のことです。アビブーとは、勝利を得た、乗り越えた、つまり「私は一切の生命を乗り越えている」という意味になります。「Sabbavidû 全てのものを知り尽くしている」。サッバは全ての生命のことなので、「一切の生命を知り尽くしている」という意味です。「Sabbesu dhammesu anûpalitto 全ての事象に捉われることはない。 Sabbam jaho 全てを打ち捨てて、 tanhakkhaye  渇愛を滅し、vimutto  解脱をしています。 Sayam abhiññâya kam uddiseyyam 自ら悟りを開いたので、誰を師と仰げば良いのでしょうか。」 指導者は誰かと問うたのに、お釈迦さまはこのように答えたのです。Upaka は師の名前を教えてくれると期待して聞いていたので、お釈迦さまの言葉の意味がその場では理解できず、ポカンと口を開けていたのです。お釈迦さまは「彼は分かっていない」と気づきました。そこでお釈迦さまはもってまわった品の良い言葉で話すことを諦め、ズバリと説いたのでした。「私には指導者がいません。私に等しいものもこの世に存在しません。人も人が信仰している神もまとめて、この世で私に匹敵するものはありません。この世で私こそが、阿羅漢(完全な人)なのです。この上ない指導者とは、私のことなのです。私は独力で正覚者(完全たる悟りを開いた人)になったのです。心が安穏になりました。解脱を得ました。これから真理を説き明かすため、カーシー町へ赴くところです」。ここまで言われると、いくらなんでも理解できるはずですが、Upaka はショックで硬直したままでした。見ただけで心が和むお釈迦さまから、この尊い精神状態を自分ひとりの力で得たのだと聞かされたら、「どうか私にもその方法を教えて下さい」と頼むのが普通でしょう。しかしUpaka は自分の精神状態から抜け出せずに「貴方の言うことが事実であるならば、anantajino と称すべきです」と返しました。ananta  は無限という意味です。jino は勝利者です。お釈迦さまを打ち負かせる者はなく、お釈迦さまに理解できぬものも存在しません。anantajino とは不朽不滅の勝利者のことなのです。

 相手に理解してもらいたかったので、お釈迦さまは anantajino という言葉を使って更に説明しました。「不朽不滅の勝利者とは、煩悩を滅した私のような者を指して言うのです。私は一切の悪に打ち勝ちました。従って jino と称するのです」。それでもUpaka は「そうかもしれません」と頷いただけで、去ってゆきました。お釈迦さまも、悟りを開いてから初めて人に話してみたのに、全然理解してもらえなかったのです。お釈迦さまの失敗か、Upaka があまりにも愚かだったのか、疑問が残るところです。しかしその疑問には及びません。お釈迦さまの顔を見ただけで、誰の心にもその完全なる安らぎが刻み込まれるのです。Upaka もお釈迦さまの言葉を忘れることはできませんでした。この後、人生に完全に失敗してお釈迦さまのところで出家することとなりました。

 増上慢で気が狂って戦火を放っているこの世界にあって、お釈迦さまは正しい道を示しておられます。人は根拠のないあらゆるものを頼りになると、勘違いして信仰しています。しかしいくら祈っても一向に苦しみは消えないし、心は安らぎを得ません。苦しみで悩んでいる全ての生命に、お釈迦さまは安らぎのオアシスを与えているのです。不朽不滅の勝利者であり一切智者であるお釈迦さまを、喜びをもって思い出し、幸福を味わいましょう。

今回のポイント

◎経典の言葉
Sabbâbhibhû sabbavividû hamasmi,
sabbesu dhammesu anûpalitto,
sabbam jaho tanhakkhaye vimutto,
sayam abhiññâya kam uddiseyam (Majjhima Nikâya,I-171)
全てを乗り越えた。全てを知り尽くした。
全てを打ち捨てたから、如何なるものにも囚われない。
渇愛を滅し、解脱を得た。
独力で悟った。師として誰を仰ぐというのか。(Majjhima Nikâya, I-171)
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