ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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死者を悼む話

 この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、サーヴァッティ在住のある資産家についてお説きになったものです。 

 その資産家は、兄弟が亡くなった悲しみのために、すっかりうちひしがれてしまい、入浴もせず、食事も喉を通らず、体に香油を塗ることもせずに、朝早くから墓場に行き悲嘆にくれて泣くばかりでした。お釈迦さまは早朝に世間を見渡されたとき、彼に預流果(聖者の最初の境地)を得る資質があることを見抜かれ、

「彼に昔の因縁を話して悲しみを鎮めてやり、預流果を得させてやることは、私以外の誰にも不可能である。私は彼を救ってあげよう」

とお考えになりました。

 その翌日の午後托鉢からお戻りになってから、お伴の比丘をつれて資産家の家の門口に行かれました。

「お釈迦さまがおいでになりました!」

という声を聞いた資産家は急いで座席を用意させ、

「どうぞお入り下さい」

と申し上げると、お釈迦さまは中に入られ、座席にお座りになりました。資産家も出て来てお釈迦さまに礼拝し、一方に座りました。

 そこでお釈迦さまは、

「ご主人、何か考えごとをなさっているのですか?」

と聞かれました。

「尊師よ、そのとおりでございます。私の兄弟が死んでからというもの、そのことばかりを考えてしまうのです」

「ご主人、すべての形あるものは変化していくものです。壊れなければならないものは、いつか必ず壊れます。それをくよくよと考えても仕方のないことです。昔の賢者たちは兄弟が死んでも、壊れなければならないものは壊れるものだと理解して、くよくよ考えたりはしませんでした」

と言って、お釈迦さまは彼の求めに応じて、過去の物語を説かれました。

 その昔、バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩(釈尊の前世のことです)は八億の財を所有する資産家の家に生まれました。

 彼が成人した頃に両親が亡くなったので、兄が家の財産を管理するようになり、彼はその兄に頼って生活をしていました。ところがその後、兄まで両親と同じような病気にかかり、死んでしまいました。

 訃報を聞いた親族・友人・同僚・知己の人々は集まって来て、両腕を拡げて泣き叫び、取り乱さずに冷静でいられる者は一人としていませんでした。しかし菩薩である弟だけは、泣きも叫びもせずに落ち着いていました。

 それを見た人々は、

「あれをごらんなさい。あの人は実の兄が死んだというのに顔の表情ひとつ変わりません。とても神経が図太くて、親の遺産を独り占めに出来るから、兄が死んだのをかえって喜んでいるのではないかと思えるほどです」

と彼の悪口を言いました。親戚たちも、

「おまえは兄さんが死んだのに涙も流さないのか?」

と非難しました。

 菩薩である彼は人々の言葉を聞いて、

「あなた達は自分が愚かであるために、世の中には付きものである八つの事柄(利益・損失・名誉・誹謗・賞賛・非難・楽しみ・苦しみ)もよく理解できず、『愛する人が亡くなった』と泣きます。
 いずれは、あなたたちも私も死ぬでしょう。人が死ぬことがそんなにも悲しい、悪いことであるならば、あなた方もこれからその悲しい悪いことに必ず出会うでしょう。
 死んでしまった人のことを無駄に心配するより、自分の身に必ず降りかかってくる死に対して、泣いたりわめいたり悲しがったりした方がよいのではないでしょうか。他人の死を悲しむより『我々も死ぬのだ』と言って自分のことで泣くべきではないのですか。
 すべての形あるものは、はかなくてとどまることがありません。この法則によれば永遠に続くものなど、ただのひとつもありません。あなたたちは無知であるために泣きますが、なぜ私まで泣かなければならないのでしょうか」

と言って次の詩句を唱えました。

あなたたちは、すでに死んでしまった者のことばかりを悲しみ
これから死んでいく者のことは悲しまない
身体をもつすべてのものは、次々に命を失っていく
神も、人も、四つ足で歩く獣も、鳥の群もとぐろを巻く蛇も
その身体には力がなく
楽しみを追い求めながらも死んでいく
このように変化し定まらない人間の苦や楽に嘆き悲しんでも無益であるのに
何故あなたたちは心をかき乱されるのか
博打打ち・大酒のみ・悪人・愚者・
世渡りの上手い人・戦争に勝つ勇者・心を育てていない人は皆
「世間の法則」を知らないが故に愚者である
と賢者は説く

 このようにして、菩薩である資産家の息子は、人々のために教えを説いて、彼らから悲しみを取り除いてやりました。

 お釈迦さまはこの物語を説かれて真理を解き明かし、聞いていた資産家は預流果の悟りを得ました。お釈迦さまは、

「その時大勢の人々に法を説いて、悲しみを取り除いた賢者は私であった」

と話を結ばれました。
 

◎スマナサーラ長老のコメント

 人が死んだら悲しくなって泣くのは、世間の常識になっています。

 あり得ないことが起きたら、誰でもびっくりするでしょう。例えば、ある人に翼が生えてきて、空を飛んでいったとか。母親が産んだのは赤ちゃんではなく、八十歳の老人であるならば、あまりにも不幸なことで、悲しくなっても構いません。

 でも、海の水はしょっぱくて飲めませんと、降ってくる雪が暖かくないと、泣く人がいるならば、愚か者という他ありません。おかしいことに、人は誰でも死ぬのにも拘わらず、親しい人が死んだら周りが悲しんだり泣いたりします。

 人との死別が悲しみの原因になるのは、自分が喪失して、損をしたからです。

 人間は、心の中で「私は死ぬ訳がない」と思っているのです。だから人々は、生きることだけに執着し、悪事を犯してでも生きようとして、愚かで無意味な人生を送るのです。
  

『ヴィパッサナー通信』2000(H12).9号 より
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