ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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他者を潤した修行者の話
ジャータカ物語 Amba - jâtaka(No.124)より

 この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、務めに励むあるバラモンについて語られたものです。

 彼はサーヴァッティーに住む良家の息子でしたが、教えに深く帰依して出家し、修行者が行うべき日常の作業においてよく気がついて励むものとなりました。

 阿闍梨や和尚などのための務め、飲食物や斎戒室、火舎などの務めを、実によく果たしました。また十四の大行や、八十の分行についても完全に行じていましたし、精舎を掃除し、さらに僧房、回廊、精舎まで通じる道をも掃除しました。また人々に飲み物を与えたので、人々は、彼の務めに励む姿を喜んで、五百人分ほどの食べ物を時期を定めて供養しました。多くの供物と尊敬が生じたのです。彼一人のおかげで、多くの人々が楽に暮らせるようになりました。

 ある日、比丘たちが説法場でこの件について話を始めました。「友よ、かの修行者は自分の務めに励んでいるので、多くの利益と尊敬とが生じました。彼一人のおかげで、多くの人々が楽に暮らせるようになりました」と。師がおいでになって、「比丘たちよ、ここに集まって何を話しているのか」とお尋ねになったので、「これこれのことです」と答えると、「比丘たちよ、この修行者が務めに励むのはいまだけではない。以前にもこの人一人のお陰で、果物を求めてやって来た五百人の仙人が、彼が得た果物で命ながらえたことがあった」と言って、過去のことを話されました。

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 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたときに、菩薩は、西北地方の高貴なバラモンの家に生まれ、成長してから、仙人として出家し、五百人の仙人に伴われて山の麓に住んでいました。

 その頃、ヒマラヤ地方はひどい干ばつにみまわれ、あちこちで飲み水が涸れてしまいました。動物たちは飲み水が得られなくて困り果て、渇きのために死にそうになっていました。

 すると、その苦行者たちの中の一人が、動物たちの渇きを知って、一本の樹を切り倒して、桶を作りました。そして穴を掘って井戸を作り、その水を汲んで桶に満たし、彼らに飲み水を与えました。多くの動物たちが集まって来て水を飲んだので、苦行者は果物を採りに行く暇がなくなってしまいましたが、彼はそれでも食べずに水を与え続けました。

 動物の群れは考えました。「彼は、わたしたちに水を与えるために、果物を採りに行く暇がない。空腹のために非常に疲れている。さあ、わたしたちは、計画を立てようじゃないか。」彼らはつぎのように計画を立てました。「これからは、水を飲むためにやって来る者は、自分の力に応じた果実を持って来なければいけない」と。

 それ以来、動物たちは、それぞれ自分の力に応じて、甘い甘いマンゴー、野バラの実、パンの樹の実などを持ってやって来たので、一人のためにもたらされた果物が、牛車二台半ほどの荷になってしまいました。五百人の苦行者たちがこれを食べても、残りをたくさん貯蔵出来るほどでした。

 菩薩である仙人はそれを知って、「一人の人が務めに励んだおかげで、このようにおおくの苦行者たちのために果物が集められ、日々の営みが出来ました。精進こそなすべきことです」と言ってから、次の詩句を唱えました。

 人たるものは、精進するべきである
 賢者は、倦怠することがない
 見よ、精進するものの成果を
 求めようとしなかったのに
 マンゴーを御馳走になっている

 このように、菩薩である偉大な人は、仙人の群れに訓戒を与えました。

 お釈迦さまはこの説法をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの務めに励んだ苦行者は、今の修行者であり、彼ら五百人の指導者である仙人は実にわたくしであった」と。

◎スマナサーラ長老のコメント

【この物語の教訓】
 出家した比丘たちが毎日行うべき仕事は、前もって決まっています。べつに珍しいことではありませんが、掃除を丹念に行うこと、水を汲んでおくこと、病人が出たら看病することなどです。
 経典では、この日常作業をいろいろな項目に分けてきめ細かく書いています。掃除を例に取ると、ただ単に「掃除しなさい」とだけ言うのではなく、きちんと項目を立てて説明するのです。庵の掃除の仕方であれば、庵を使うことになった出家がまず家具などの配置を確認します。順番で家具、絨毯などを外へ出し、虫干しします。その間、壁や窓の掃除をします。次に埃を立てないように気をつけて中から外へ床を掃除する。それからまた絨毯からはじめ、家具などを元の位置に戻す。阿闍梨のお世話の仕方なども、このようにうるさいほど詳細に書かれています。
 出家サンガは論理的には平等な社会です。目上の比丘を敬うことは当然ですが、目下の比丘に命令したりすることはしないのです。監視、監督、見張りのような役は成り立たないのです。怠けたい人にとっては絶好の環境です。ただし自分の意志で作業しなくてはならないので、作業の「仕方」だけは詳細に教えてあげる必要があるのです。また作業を行うことは、自分自身の修行の一部となっているのです。「作業を行わない者は、戒を満たさない」という訓戒まであります。
 従って、全ての作業を自ら進んで行う出家者が、大変まじめな修行者であるということを理解できます。信者もそのような出家者を大事にします。  日常作業について励み努めることは、個人の幸福にも、周りの幸福にもつながります。誰かに命令されるまでもなく、こなすべきことを迅速に行うべきなのです。
 自分の身の周りの仕事は自分でやるというのは、当たり前の話です。しかし、共有する場、また公の場などでやるべき仕事は、命令されないと、管理されないと誰もやる気にはならないものです。例えば、道路に落ちている空き缶、ゴミなどを拾うことなどです。誰かがやるでしょうと思って、そのまま通り過ぎることはよくないことだと、仏教では教えます。問題を見つけた人がそれを解決するべきなのです。(汚れていると気がついた人に、掃除する義務が生じるのです。)

『ヴィパッサナー通信』2001(H13).10号 より
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