ジャータカ物語
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ヴァッチャナカ仙人と長者の話
出典:Vacchanakajâtaka (NO.235) 
アルボムッレ・スマナサーラ長老/編集:高橋清次


 この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、マッラ人ロージャについて語られたものです。

 彼はアーナンダ長老の在家の友人でありましたが、ある日、自分のところに来てもらうために、長老に信書を送りました。長老はお釈迦さまの許しを得て出掛けました。彼は長老を種々最上の飲食物でもてなし、かたすみに坐って長老と親しくうちとけ、長老を世俗の享楽と五種の欲によって誘い、つぎのように言いました。

「尊師アーナンダ様、わたくしの家にはたくさんの人的財産と物質的財産とがございます。これを二等分して、半分をあなたに差し上げましょう。さあ、二人で在家の生活をいたしましょう。」長老は彼に欲望にある危難を話して、席を立って精舎に帰りました。

 そこでお釈迦さまは長老にお尋ねになりました。「アーナンダよ、ロージャに会いましたか。」「はい、尊師よ。」「ロージャに何を話したのですか。」「尊師よ、ロージャは在家の生活をしようと私を誘いました。そこで私はロージャに、在家の生活と五種の欲望にある危難を話しました。」

 お釈迦さまは、「アーナンダよ、マッラ人ロージャが、出家者を在家の生活に誘ったのはいまだけではありません。以前にもやはり誘惑しました」と言って、アーナンダの求めに応じて、過去のことを話されました。

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 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、ある市場が立つ村で、バラモン階級の家に生まれ、成年に達すると仙人の生活に入り、ヒマラヤ地方に長期間住んでいました。

 あるとき、バーラーナシーに行って塩と酸味のものを得るために、まず王の御苑に泊り、翌日バーラーナシーに入りました。そのときバーラーナシーの長者が菩薩の善行を喜んで、自分の家へ案内して食事を供養し、御苑に住むように約束してもらい、その場所で菩薩のお世話をしました。そして二人は、お互いに親愛の情を持つようになりました。

 そこである日バーラーナシーの長者は菩薩にたいする愛情と信頼からこのように考えました。「出家者の生活というものは苦しみである。私の友人のヴァッチャナカ仙人を還俗させ、全財産を二分してその半分を彼に与え、二人一緒に仲良く暮らそう」と。

 彼はある日、食事がおわったとき、菩薩と気持ちよく打ち解けて話し、「尊師ヴァッチャナカ、出家者の生活というものは大変苦労の多いものでございます。在家の生活は楽でございます。さあ、二人で一緒に、諸々の欲望を享楽して暮らしましょう」と言って、第一の詩句を唱えました。
 
 財産にあふれ 豊穣である
 家は ヴァッチャナカよ 実に楽しい
 そこでは よく食し よく飲み 
 苦労も知らずに暮らせるのだ

注釈:出家者と違い、在家は財産も食物も豊かである。贅沢な寝具なども用い、快適に眠れる。在家生活はとても楽しいものです。

 これを聞いて、菩薩は、「大長者よ、あなたは無智であるために欲望に溺れて、在家生活の長所と、出家生活の短所をお話しになった。今度は私があなたに、在家の生活には長所がないと諭します。今お聞きなさい」と言って、第二の詩句を唱えました。

 苦労せずして 在家は成り立たず
 嘘偽りを言わずして 在家は成り立たず 
 他を悩ませずして 在家は成り立たず
 回避できない欠陥に満ちて 在家生活を営む

注釈:毎日農耕などの仕事をして苦労しないと在家生活は成り立たない。バカ正直で嘘を言わないでいると、財産を手にすることも守ることもできない。雇用した人々に圧力を掛けたり、不正を見つけたら処罰したりしないと、在家の経営は成り立たない。在家としての成功は、そうした悪いことの上に成り立っている欠陥だらけのものです。

 このように、偉大な人は在家の生活の過失を説いて御苑の方へ去っていきました。

 お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときのバーラーナシーの長者は、マッラ人ロージャであり、ヴァッチャナカ仙人は、実にわたくしであった」と。

◎スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

 俗世間では成功したいという期待を、誰もが持っています。俗世間は、成功者に対して手放しで賛美賞賛するものなのです。どういう手段を取ったとしても、お金を儲けることこそ唯一の生きる目的だと思っているのです。

 しかし、豊かになる道は競争が激しく、残酷なものなのです。嘘をついたり、ごまかしをしたり、他人に迷惑を掛けたり、人を陥れたりして、成功の道を歩むのです。成功するために不可欠なこれらの行為は、決して清らかな行為ではなく、悪事なのです。罪に染まらない在家生活は成り立たないのです。

 もし人が、罪を犯さずに在家生活を営もうと思うならば、その人は欲を少なくしてあらゆる誘惑に負けない強い精神を持って、苦労もしなくてはなりません。楽をして、しかも贅沢に暮らそうと思えば、あらゆる悪事を犯すことになり、その上それなりの苦労をしなければなりません。一方、質素でもいいから悪事を犯したくはないと思う人は、さらにその何倍も苦労しなくてはならないのです。

 どちらにしても、在家生活は苦労の多いものなのです。

『ヴィパッサナー通信』2002(仏暦2546/平成14).10号 より 
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