ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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ダサンナカ国製の刀剣の話(2)
Dasannaka jâtaka (NO.401)
アルボムッレ・スマナサーラ長老/編集:高橋清次

(前号から続きます)  それから彼らは、計画通りに見世物の用意を済ませました。彼ら三人の賢者は王のもとへ行き、「大王さま。王宮の庭で見世物を用意してございます。それをご覧になると、苦しみ、悲しみなんかは消え失せます」と申し上げました。王さまを案内し、窓を開き、見世物をご覧に入れました。
 大勢の人々がそれぞれ自分の得意とする技芸を披露しました。いよいよ、この見せ物の真打ちがやって参りました。一メートル弱の鋭い刃をもつ宝剣を飲み始めました。王はそれを見て、「この男は、あんな鋭い剣を飲んだ。いったい、あれよりももっと難しいことなんかがあるのか」と、感嘆の声を上げました。尋ねてみよう。賢者アーユラに対して、最初の詩句を唱えました。
 
 ダサンナカ国で作られた
 人の血を吸い尽くす
 鋭い刃を持つ刀剣を
 公衆の面前で男は飲みこむ
 これより至難の技があるのか
 もしあるとするならばそれを問う
 問うた私に答えを申せ

 
 そこで賢者は答えて、第二の詩句を唱えました。
 
 人の血を吸い尽くす刀剣も
 報酬のためなら飲みこむであろう
 しかし「私は与える」と発言するのは
 それよりも至難の技である
 他の行為は容易いもの
 かく知り給え、マッダヴァ国王よ

 
 王は、アーユラ賢者の言葉を聞き、考えました。「『わたしは与える』と発言することは、危険な剣を飲むことよりも難しいことなのだ。」王さまはハタと気づきました。「わたしは『司祭の息子に妃を与える』と言った。そうすると、わたしは、最も難しいことをしたことになる」と思い、心のなかの苦悩が、少し薄らいできました。それから、「『他人に与える』と発言することよりも、他にもっと難しいことがあるのだろうか」と考えて、プックサ賢者に語りかけて、第三の詩句を唱えました。
 
 俗事聖事に博学な
 アーユラは私の問に答えた
 今プックサに我は問う
 これより至難の技とは何か
 もしあるとするならばそれを問う
 問うた私に答えを申せ
 
 そこで王に答えてプックサ賢者は、第四の詩句を唱えました。
 
 宣言されても実行されない
 言葉はむなしい発言である
 「われは与う」と宣言し
 それを実行する
 これこそが更に難しい
 至難の技である
 かく知り給え、マッダヴァ国王よ
 
 王はその言葉を聞いて、「わたしは、『司祭の息子に妃を与える』と言って、言葉通りに与えた。わたしは、まったくなしがたいことをしたのだ」と思いめぐらしたので、苦悩が一層薄らいできました。そこで王さまは、こう思いつきました。「セーナカ賢者よりもっと賢い者は誰もおらぬ。この質問を彼に尋ねてみよう。」そこでそれを質問して、第五の詩句を唱えました。
 
 俗事聖事に博学な
 プックサは私の問に答えた
 いまセーナカに我は問う
 これより至難の技とは何か
 もしあるとするならばそれを問う
 問うた私に答えを申せ

 
 そこで王に答えてセーナカ賢者は、第六の詩句を唱えました。
 
 人は多かれ少なかれ
 財宝を施すことはできるだろう
 しかし与えて悔まぬということは
 それよりも至難の技である
 他の行為は容易いもの
 かく知り給え、マッダヴァ国王よ
 
 王は、菩薩の言葉を聞いて、反省しました。「わたしは、自分の意志で、司祭の息子に妃を与えながら、自分の心を抑えることができずに、悩み疲れている。これはわたしにふさわしいことではない。もし妃がわたしに愛着があるのなら、この富を捨てて逃げ出したりはしなかったろう。わたしに愛情を示さずに逃げ去った女に、何の用もないではないか。」王がこのように考えたとき、まるで蓮の葉の上にある水滴がころげ落ちるように、すべての苦悩が消え去ってしまいました。ちょうどその瞬間に王の内臓は回復し、王は健康で安らかになって、菩薩を誉めたたえ、最後の詩句を唱えました。
 
 アーユラは問に答えたり
 賢者プックサもまた然り
 されどセーナカの解答は
 あらゆる問を圧倒する

 
 王は、このように菩薩を賞讃して喜び、たくさんの財宝を彼に授けました。
 
 お釈迦さまは、この話をされて真理を説き明かされ、過去を現在にあてはめられました。(真理の説法が終わったとき、悩んで修行に身が入らなくなっていた比丘は、預流果の境地に達しました)「そのときの王妃は比丘の前妻であった。王は悩んで修行に身が入らなくなった比丘であり、アーユラ賢者はモッガラーナ、プックサ賢者はサーリプッタであり、セーナカ賢者は実にわたくしであった」と。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓
 
 王は、大変優しい人でした。司祭の息子がお妃に恋こがれてしまったことを、よく理解しました。恋の発作というものは、罰することでも説教することでも、治められるものではありません。司祭の息子の淡い初恋だと思って、自分のお妃を貸してあげたのでしょう。一週間経てば「これは実る恋ではありません」という事実に気づくだろうという、王さまの親心です。しかし、今も昔も若者といえば、大人の気持ちを理解しようともしないで、自分のわがままを通してしまうものです。それはそれで一向に構いませんが、王さまが受けた精神的なショックは、並大抵のものではありませんでした。お妃が駈け落ちしたら、国家を統治する王さまのメンツはガタ落ちです。それでも現代の政治家と違って、報復、制裁、略奪、殺戮などに走ることはしませんでした。しかし、自分が信頼していた可愛いお妃がいなくなったことは、とてもこたえたのです。胃に穴があいて、吐血することになったのです。もはや薬は効かない、精神的な病です。
 
 このエピソードで行っている治療方法は、簡単に見えますが、微妙に複雑なのです。人は気高い人格者になるべきです。人格者は、いかなる問題に出会っても、山の如くに動揺しないのです。ここでは三段階で王さまの人格に訴えているのです。自分が絶対に離したくないものを他人に与えようと考えるだけでも、並大抵のことではありません。この王さまは偉いのです。「あげる」と口に出すのも普通はできないが、大事なものを本気で他人にあげてしまったのです。それは桁違いの人格なのです。これを実行したこの王さまは、本当に偉い。しかし、あげてしまってから「惜しいなあ、寂しいなあ」と思ってしまうのは、人情というものです。「私はあげてしまった。相手がそれで幸せなら充分だ」と思って吹っ切れることは、勝れた人格者にしか出来ないことです。精神的に全く悩まないための秘訣は、これなのです。過去を引きずらないようにしましょう。

『ヴィパッサナー通信』2003(仏暦2547/平成15).10号 より 
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