ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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チュッラカ長者の話(その1)
出典:Cullakasetthi jâtaka(NO.4)
●監修 アルボムッレ・スマナサーラ長老/●編集:高橋清次

 この物語は、釈尊がラージャガハ近郊のジーヴァカのマンゴー林に滞在しておられたときに、チュッラパンタカ長老について語られたものです。

 この場合、まずチュッラパンタカの出生について語らねばなりません。伝えるところによると、ラージャガハの長者の娘が、自分の下男とねんごろになり、「他の者が私たちのこのふるまいを知るかもしれない」と恐れて、このように言いました。「私たちはこの場所に住むことはできません。もし、私の両親がこの過ちを知るようなことがあれば、私を切り刻んでしまうでしょう。他国へ行って暮らすことにしましょうよ。」そして手持ちの大事なものを持って表の門を出て、「どこでもよいから他の者に知られない場所に行って暮らしましょう」と、二人は出て行きました。

 彼らが、ある場所で一緒に暮らしていくうちに、彼女のおなかに子が宿りました。彼女は臨月が近づいたので、夫と相談しました。「私のおなかの子は、もう間もなく生まれます。知人や親戚のいない場所でお産をするのは、私たち二人にとってはとてもつらいことです。家に帰りましょうよ。」しかし彼は、「もし今私が行けば、命がない」と考えて、「今日は行く、明日は行く」と言いながら、一日また一日と空しく過ごしていました。彼女は思案しました、「このバカ者は、自分が犯した過ちを恐れて思いきって行くことができないのだ。世の中で両親というのは絶対に我が子を心配するもの、この人が行こうが行くまいが、私は行くことにしよう」と。

 彼女は彼が家から出かけているあいだに、家財道具を整理し、自分の実家に行くことを隣の家に住む人々に告げて旅路につきました。さて、その男は家に戻っても彼女が見えないので、近所の人たちにたずね、「実家に行きましたよ」と聞き、急いで後を追い、途中で追いつきました。ちょうどそこで彼女は出産していました。彼は、「子どもはどうなの?」とたずねました。「あなた、男の子が生まれたのよ。」「さあ、私たちはどうしたらよいだろう。」「お産のために、私たちは実家に行こうとしたのに、途中で生まれてしまったのだから、あちらへ行ったって何になりましょう。引き返すことにしましょう」と言って、二人は心をあわせて引き返しました。そして、その子供には、道路で生まれたということで、パンタカ(旅人)という名をつけました。

ほどなくして、彼女に別の子が宿りましたが、すべて前と同じ次第になりました。その子供も道路で生まれたことから、初めに生まれたほうをマハーパンタカ(マハーは、大という意味です)という名にして、次の子にはチュッラパンタカ(チュッラは、小という意味です)という名をつけました。彼らは、二人の子供を連れて自分たちの住む所に戻りました。彼らがそこで暮らしていたとき、幼いマハーパンタカは、他の子供たちが「おじさん」とか「おじいさん」とか「おばあさん」と言っているのを聞いて、母親にたずねました。「お母さん、よその子供たちは『おじさん』とか『おじいさん』とか『おばあさん』とか言っているよ。僕たちには親戚はいないの。」「そうよ坊や、ここにはおまえたちの親戚はいないのよ。でもラージャガハの都には、お金持の長者であるおまえたちのおじいさんがいます。そこには、おまえたちの親戚が沢山いますよ。」「お母さん、どうしてそこへ行かないの。」彼女は、自分が行かない理由を息子に話しましたが、息子たちが繰り返しそのことを話すので、夫に言いました。「この子供らは私をとても困らせるのよ。両親は私たちを見ても怒って肉まで食べるようなことをするはずはないわ。さあ、子供らにおじいさんの家を見せてやりましょう。」「私は顔を合わせることはできないが、おまえをそこへ連れて行ってやろう。」「けっこうよ、あなた。どんなふうにしてでも、子供らにおじいさんの家を見せてやればよろしいのよ。」

 二人は子供たちを連れて、やがてラージャガハに着き、都の門のところにある一家屋に宿をとり、子供の母親は、二人の子供を連れて戻って来たことを両親にとりつがせました。両親はそのことづてを聞くと、「輪廻の世界にいる私たちに息子や娘がいないわけはない。だが、彼らは私たちに大きな罪を犯したから、彼らを私たちの目の届くところにおくことはできない。これだけの財産を持って二人は安穏な場所へ行って住めばよい。しかし子供たちはこちらへ連れてきてくれ」と言いました。長者の娘は、両親から送られた財産を受け取り、子供たちを、やって来た使いの者たちの手に渡して送り出しました。

 それから、子供たちは祖父の家で成長しました。彼らのうちで、チュッラパンタカは幼すぎましたが、マハーパンタカのほうは祖父と一緒に十力具者(お釈迦さま)の法話を聞きに行きました。彼はつねにお釈迦さまの面前で教えを聞いているうちに、出家することに心が傾いていきました。彼は祖父に言いました。「もしおじいさんたちが承知してくれるなら、ぼくは出家したいのだけれど。」「願ってもないことだよ。全世界の人が出家することよりも、わしらにとってはおまえ一人が出家するほうがめでたいことなのだ。おまえ、もしできると思うなら出家しなさい」と承知して、お釈迦さまのもとへ一緒に出かけました。

 お釈迦さまは言われました。「長者よ、この子供はそなたの何にあたるのか。」「はい、尊師よ、この子供は私の孫でございまして、お釈迦さまのもとで『自分は出家したい』と申しました」と答えました。お釈迦さまは一人の長老に、「この子供を出家させよ」と命じられました。その長老は、彼に髪の毛、身体の毛、爪、歯、皮膚という五つの観察を説いて出家させました。彼は多くのブッダの教えを習得し、成年になると比丘戒を受け、比丘になりました。比丘として受戒した彼は、徹底的に、専心して修習し、阿羅漢の境地に到達しました。

 彼は冥想の喜悦と、解脱の安穏とを享受しつつ、日々を送りながら考えるのでした。「いったい、この喜悦と安穏をチュッラパンタカに与えることができるだろうか」と。そこで、祖父の長者のところへ行き、「大長者よ、もしあなたが承知してくださるならば、私はチュッラパンタカを出家させたいのですが」と言いました。長者は、「尊師よ、出家させてください」と言って承知しました。そこで長老マハーパンタカは、幼いチュッラパンタカに沙弥出家を授けて、十戒を堅く守らせました。沙弥のチュッラパンタカは、出家はしたけれども、愚鈍でありました。そのため、

 美しく慕わしく香る紅蓮華が
 暁に綻びるような
 太陽が大空に輝くような
 釈尊をご覧になれ

というこの一つの詩句を四ヵ月かけても習得することができませんでした。

 実は彼は、昔カッサパという正覚者の時代にも出家して、賢い人でありましたが、ある一人の愚鈍な比丘がお経を習うのに苦戦しているのを見て、嘲笑しました。彼に嘲笑されたその比丘は、恥じて落ち込みました。それからお経を習得することをやめてしまいました。その業によって、彼は今出家したけれども愚鈍になったのです。一偈の前半を習って、後半に移るとき、前半を忘れてしまいます。彼がこれだけの詩句を習得しようと努力しているあいだに、四ヵ月もの日々を費やしてしまいました。
(次号に続きます)

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓…

 子供は、甘えたい放題親に甘える。わがままも言いたい放題です。親に逆らうことになったときも、やりたい放題で容赦しないのです。しかし親は一貫して子供のことを心配するものです。子供の幸福を願うのです。
子供には親の気持ちが全然理解できないという事実は、誠に悲しいことです。親に反抗するのは勝手で構わないが、親に再び顔を合わせられないほどに逆らってはならないと思います。

『ヴィパッサナー通信』2004(仏暦2547/平成16).3号 より 
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