ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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賢い隊商主の物語
出典:Apannakajâtaka(No.1)
 ●監修 : アルボムッレ・スマナサーラ長老/●編集 : 早川瑞生

 これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は隊商主の家に生まれました。立派に成長した菩薩は、五百の車からなる隊商を率い、東から西、西から東へと商いの旅をしていました。

 ある時、菩薩は五百の車に高価な品物を満載し、商売の旅に出ることにしました。ところがちょうどその頃、同じバーラーナシーに住むもう一人の隊商主の息子も五百の車に商品を満載し、同方向に旅に出ようとしていました。その隊商主の息子は賢くはなく、愚鈍でした。
菩薩は「あの愚か者の息子と一緒に街を発つと、あわせて千もの車が道を通ることになる。それは道の許容量を超えた数であり、薪や水が不足し、牛が食べる草もなくなってしまう。どちらかが先に出発し、時期をずらして行く方がいいだろう」と考えました。
そこで、もう一人の隊商長を呼んでそのことを話し、「君は、先に発つか、後から発つか、どちらがいい?」と訊きました。
愚かな隊商長は考えました。「我々は先に発った方が利得が大きい。先に発つと、道路も荒らされておらず、牛たちの草も手つかずだ。 我々が食べる葉っぱも、水も、汚されずにたっぷりあるだろう。商品の値段も好きに決めることができるぞ」と。そこで、「では、僕が先に出発するよ」と答えました。

 菩薩ははじめから、自分たちは後から発った方がいいと思っていました。「後から行けば、先に通る一隊がでこぼこ道をなだらかにしてくれるだろう。牛の食む草も、先発隊の牛たちが古い草を食べた後の甘い新芽が生えているはずだ。我々も新しくておいしい葉を食べられる。彼らが水がない場所に井戸を掘ってくれるから、水も楽に手に入る。品物の値段を決めるのは人の命を奪うようなことだ。先に定められた値段で品物を売った方がいい」と思ったからです。

 二人はお互いにその決定に満足し、愚かな息子の率いる隊商が先に街を出発しました。

 旅に出た隊商は人里を離れ、難所にさしかかりました。難所には、盗賊、猛獣、乾き、悪鬼、飢饉という五種類の難所があります。
ここは、水不足と悪鬼という二つの苦難があるとされる難所でした。愚かな隊商長は、水を満杯にした大きな瓶を車に積ませ、六〇ヨージャナの難所に入りました。難所の中程に達した頃、ここに住む夜叉(鬼神)が、「あいつらに水を捨てさせて、弱らせてから、全部食べてやろう」と考えて、策略を巡らしました。
夜叉は、魔力で、真っ白な若い牛に曳かせた牛車をつくり、十人の手下の鬼たちを武士に化けさせました。彼らは、頭や衣を水で濡らし、白や青の蓮華で飾り、蓮華の花束を持ったりレンコンを食べたりしながら車輪を泥だらけにした牛車を牛に曳かせ、隊商の来る道に向かいました。

 隊商主は、砂塵を避けるため、向かい風の時は従者に前を囲まれて進み、風が背後から吹く時は後ろを囲まれて進みます。その時は、隊商主の車が先頭に立って進んでいました。彼らは反対方向から出会って挨拶を交わし、すれ違おうとしてお互いに道を譲りながら言葉を交わしました。

 隊商主は「友よ、私どもはバーラーナシーの都から来ました。あなた方は向こうから来られたが、手に手に蓮華を持ち、レンコンを食べ、水に濡れておいでだ。雨でも降ったのですか。この先に池があるのですか」とたずねました。
夜叉は「友よ、なぜそんなことを訊くのですか。あそこに緑が広がっているでしょう。あそこから先は水が豊富でいつも雨が降っています。蓮華の咲く池もたくさんありますよ。ここまでは水が必要でしょうが、もうだいじょうぶ。重い水は捨てて、楽に行きなさい」と話し、「では失礼します。我々は少し遅れました」と先を急ぐふりをして、見えなくなるところまで進んでから自分たちの住処にもどりました。

 愚かな隊商長は夜叉の言葉を信じ、水をすべて捨てさせて荷を軽くし、先を急ぎました。ところがそこから先には一滴の水もありません。人々も牛たちも乾き切って、喉がからからになりました。日が没して円陣を組んでも、飲み水も粥もありません。
皆が疲れ切って眠ったところに夜叉たちが襲いかかり、簡単に皆殺しにして、血肉を喰らい、骨だけ残して立ち去りました。リーダーの無能のせいで、すべてが破滅したのです。

 菩薩たちは、一ヶ月半遅れて出発し、快調に旅を続けて同じ難所にさしかかりました。菩薩は皆に、「これから私の許しなしには、誰も一滴の水も使ってはならない。また、この辺りには毒の植物がある。見たことがない植物は食べる前に私に訊くように」と命じ、水を満杯にした水瓶を車に載せて、難所に入りました。

 夜叉たちが前回と同様に、体中を水で濡らし、蓮の花やレンコンを持って現れました。そして、この先はよく雨が降って水がとても豊富だとウソをつき、水を捨てて荷を軽くするようにと菩薩の一行に勧めました。
菩薩はすぐにおかしいと気づきました。「ここは『水がない難所』として有名な所なのに、この者たちの目には怖れの色がない。彼らには影もない。きっと夜叉に違いない。彼らの様子からして、先にここを通った隊商は、だまされたらしい。おそらく水を捨てさせられて疲れ果て、夜叉に食べられてしまったのだろう。だが、私も同じようにだまされると思ったら大間違いだぞ」と思い、「お前たちは立ち去れ。我々は商人だ。新しい水を見つけないうちは、決して水は捨てない。水を見つけてから、重い水を捨てて荷を軽くするのだ」と言いました。夜叉たちは何も言わず、見えないところまで進んでから、自分たちの住処にもどりました。

 夜叉たちの様子にすっかりだまされた人々は、口々に、「旦那様、あの人々は、この先は水が豊富だと言いました。重たい水を捨てて荷を軽くし、楽に進みましょう」と訴えました。
菩薩は車を止めさせて、全員を集めました。「この難所に池があるという話を聞いた者はいるのか」「いえ、旦那様、そんな話は聞いたことがありません」「先程の人々は、緑の見えるところには雨が降ると言った。雨風はどれくらいの広さで降るだろうか」「一ヨージャナくらいです」「誰か、雨風を感じた人がいるか」「いいえ、感じません」「雨雲はどれくらいのところに見えるだろうか」「一ヨージャナぐらいです」「誰か雨雲を見た人がいるのか」「いいえ、見えません」「稲妻はどれくらいのところで見えるだろうか」「四、五ヨージャナくらいです」「誰か稲妻を見た人はいるのか」「いいえ、いません」。このような会話を皆と交わしてから、菩薩は、「先程の一行はきっと夜叉に違いない。我々に水を捨てさせ、弱らせてから襲いかかろうとしたのだろう。彼らの様子を見ると、先に出発した隊商は、だまされて喰われてしまったのだろう。我らは一滴の水も捨てずに先を急ごう」と言いました。

 果たして、進んで行く途中には、水は一滴もありませんでした。さらに進むと、商品を満載した五百の車と、たくさんの人骨や牛の骨が散らばっているのが目に入りました。菩薩は車を止め、車を円形に並べて野営を張り、中央に牛を入れ、皆にたっぷりと水分と食事を摂らせて休ませました。そして自分は武器を持った者たちを率い、夜中じゅう見張りをしました。翌朝は荷物を整理し、古くなった車を捨てて丈夫な車に替え、安価な品物を捨てて高価な品物を積んで出発しました。菩薩は、目的地に着くと、元値の二、三倍の値段で品物を売り、全員を連れて、再びバーラーナシーにもどりました。

 ブッダは、「このように、間違った思念にとらわれた者は滅び、妄想を離れて正しくものごとを見た者は鬼神の手から逃れて安全に目的を達した」 と説かれ、次の詩を唱えられました。

ある者は、道理を説き
またある者は、妄想を語る
賢者はこれを知りて
妄想なき道を選ぶべし

 釈尊は「愚かな隊商主はデーヴァダッタであり、その従者はデーヴァダッタの弟子たちだった。賢い隊商主の従者は仏の弟子たちであり、賢い隊商主は私であった」 と話されて、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント
●この物語の教訓

 いかがですか。判断能力に自信がありますか? いつでもしっかりと正しい決断をして、失敗なしに生きていますか? この物語は、正しい判断はいかに大事かと諭します。判断ミスが大変危険なのは言うまでもありません。しかし、より問題なのは、正しい判断をする確信がないことです。決断・判断の時に考慮すべきいくつかのポイントが、この物語で読みとれます。

 二人の隊商主の間で「誰が先に出かけるか」という問題が起き、判断が必要になりました。無知な隊商主は「早い方が勝ちだ」と決めたのです。メリットだけを考えて、デメリットの方は無視したのです。
経済の世界では、儲かることだけ考えると倒産するのです。商売に挑んでも、商売は一方的に儲かる道ではありません。競争があります。市場の状況もあります。政治不安も影響を与えます。宗教や習慣も影響を与えます。それらが全部うまくいっても、客に対して面白く、なおかつ丁寧に対応しなければならない。それが、商売がうまくはかどる命です。
無知な商人には、この能力がなかったみたいです。智慧のある商人は、悪条件を良い条件に変えてしまう能力があったのです。

 何かを判断する時、自分の好都合だけを考えてはいけません。感情的になって舞い上がっていると、正しい判断ができない。無知な商人が「楽々にボロ儲けできるぞ」と思ったのと同じです。感情ではなく理性に基づいて、状況を把握して、データに照らして、その場その場で具体的な判断をするべきです。

 物語の中で悪鬼が役割を演じているからといって、この話は決して神話的なものではありません。智恵の商人は、砂漠の先に水があるかないかを、具体的なデータに照らして判断したのです。
普通の人は、見ただけ、最初の印象だけ、聞いただけで判断を急ぐのです。情報が入り乱れている現代社会では、これは大きな問題です。ニュースを知る限り、世界中が誤判断の達人のように見えます。今は、正直に事実のみを伝える時代ではありません。ニュースも娯楽の一つになっています。面白おかしく聞かせたいと、皆の気を引き寄せる工夫ばかりしています。本当に起きた出来事は伝えてくれません。
情報がねじ曲がっている。だから無批判で情報を受け入れるのではなく、情報の裏も考えた方が良い。行間も読める能力が必要です。

 日常生活の中でも、常に、データに基づいた理性的な判断ができるように進まなくてはならないのです。
つい好き嫌いなどの感情で決めてしまう性格が、危険なのです。理屈と理性は違います。理屈を言い出すと、「そうでもないああでもない」と、いくらでもしゃべれます。それは明らかに妄想です。
理性というのは、データに基づいて至るべき判断に至ることです。そうすると迷いは生じないのです。判断に迷いがあるならば、その判断は正しくないのです。
ということは、「迷いのない判断」をするべきなのです。ものごとを正しく観察すると、自然に迷いのない答えが出るのです。

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