ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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「ジャッカルに仕えたライオン」物語
出典:Mano jâtaka (No.397)
 ●監修 : アルボムッレ・スマナサーラ長老/●編集 : 早川瑞生

 これは、シャカムニブッダがマガダ国の王舎城近郊にある竹林精舎におられた時のお話です。

 仲の良い二人の若者がいて、一人は竹林精舎のお釈迦さまのもとで出家し、もう一人は僧団の和合を破って僧団を出て行ったデーヴァダッタのところで出家しました。仲良しの彼らは出家してもたびたび会い、互いの僧院にも遊びに行きました。デーヴァダッタは阿闍世王子を信奉者にしてガヤーシーサに僧院を建ててもらい、毎日、五百の銀皿に、三年越しの香米とごちそうを溢れさせた供養を受け、贅沢に暮らしていました。デーヴァダッタの弟子は、釈尊の弟子となった比丘に、「君は毎日毎日、托鉢に歩かなければならないね。我々のガヤーシーサの精舎は、阿闍世王子の供養を受けて、すばらしいごちそうにあふれているよ。何もそんな苦労することはない。托鉢の時間にはこちらに来ておいしい食事をとればいいじゃないか」と勧めました。何度も勧められてその気になった比丘は、ガヤーシーサでごちそうを食べるようになりました。

 それを聞いた比丘の友人たちは、彼に事情を聞きました。その比丘が「私はデーヴァダッタにもらうのではない。友人に勧められているだけだよ」と言いわけするのを聞くと、比丘たちは彼をお釈迦さまのところに連れて行きました。

 お釈迦さまは「比丘らよ、なぜこの比丘を無理に連れてきたのか」とお訊きになりました。「尊師、彼はデーヴァダッタが不法に得た食事を食べています」「比丘よ、それは事実なのか」「尊師、私はデーヴァダッタから食事をもらうのではありません。友人に勧められて食べているのです」「比丘よ、そのような言いわけをすることはよくない。デーヴァダッタは行いの悪い破戒者だ。君はここで出家して私の教えを聞きながら、なぜデーヴァダッタが不法に得た食べ物を食べるのか。昔から君は、誰彼かまわず、すぐに信じてしまう性格だったのだよ」と、過去の話をされました。

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はライオンでした。菩薩には息子と娘がいました。息子の名はマノージャといいました。成長したマノージャは妻をもらって一家の働き手となり、歳を取った両親と妻と妹のために狩りをして、家族は仲良く暮らしていました。

 ある日、牧場で一匹のジャッカルが悪事を企んで、隠れるために地面に伏せていました。マノージャはそこを通りかかり、「どうしたんだい?」と訊きました。ずるいジャッカルは、「あなた様にお仕えしたくて頭を下げています」と言いました。マノージャは「よし」と、ジャッカルを連れて自分の洞窟にもどりました。

 ジャッカルの名はギリヤといいました。菩薩である父ライオンはギリヤを見て、「マノージャ、ジャッカルは性格が悪い。きっと悪い影響をお前に与えるだろう。あいつとは親しくつきあうな」と忠告しました。しかしマノージャは、毎日のようにギリヤを従えて狩りをつづけました。

 ある日ギリヤは馬の肉が食べたくなって、マノージャに言いました。「旦那、私たちは馬の肉は食べていません。今度は馬を襲いましょう」「ギリヤよ、馬はどこにいるのか」「バーラーナシーの川岸にいます」。マノージャはギリヤを従えて川に行き、川で沐浴している馬を襲いました。彼は、家族のために、馬を背中に乗せて洞窟に帰りました。

 菩薩の父ライオンは馬の肉を食べ、「息子よ、馬は王の財産だ。王は、獣を仕留める手だてを持っている。馬を食べるライオンは長生きはできない。馬を襲うのはやめなさい」と忠告しました。しかしマノージャは父の言うことは聞きません。相変わらずギリヤを従えて、馬を襲いつづけました。

 馬がライオンに襲われると聞いた王は、城内に池をつくらせて、城内で馬を飼いはじめました。マノージャは城内に忍び込んで馬を襲いました。王は柵のある厩をつくらせました。マノージャは、厩の柵を飛び越えてまで、馬を襲いつづけたのです。王は、とうとう弓矢の名手を呼び、「お前はライオンを射殺せるか」と訊きました。彼は「できます」と、ライオンの通り道に櫓をつくり、中に隠れて待ちました。

 何も知らないマノージャが、城の外にギリヤを待たせ、馬を襲いに来ました。弓矢の名手は、「ライオンは来る時は非常に素速くて仕留めるのは難しい」と考えて、マノージャが馬を殺してもどるのを待ちました。仕事を終えて馬を背中に乗せたマノージャが通り過ぎると、弓矢の名手は、後ろから鋭い矢を放ちました。矢はマノージャの体を貫きました。マノージャは「やられた!」と咆哮を響かせ、弓の名手は、弓の弦を雷鳴のごとくうならせました。ギリヤは、マノージャの慟哭と弓の音が辺りに響き渡るのを聞いて、次の詩を唱えました。

 弓が張られ、弦がうなり
 わが友、獣の王、マノージャの命が消えた
 さて、俺は、気が向くままに森へ去ろう
 友は死んだ
 また新しい友をさがせばいいさ

 マノージャは何とか自分の洞窟までたどり着いて馬を背中から下ろし、その場で倒れて死にました。マノージャの家族は外に出て、血まみれになって死に絶えたマノージャの亡骸を見ました。マノージャの家族はそれぞれ、詩を唱えました。

 世に悪友とつきあって
 幸福になる者などいない
 悪友ギリヤに惑わされ
 見よ! 徒死したマノージャを(父)

 悪友の仲間となった我が息子
 母を悲嘆にくれさせる
 ここに血まみれになり倒れ
 見よ! 徒死したマノージャを(母)

 幸福を知る善友の
 忠告の言葉を聞かぬ者
 悪に交わり、滅ぶまで
 悪果を受けるはめとなる(妹)

 最高位にありながら、最劣の者につくす者
 彼は、最劣以下の者
 王でありながら、下郎に仕え
 見よ! 射殺された獣の王を(妻)

 最後に、ブッダは次の詩を唱えられました。

 劣る者につくすなら、彼はいずれ落ちぶれる
 同等の者につくすなら、彼は落ちることはない
 尊い人に従えば、彼はすみやかに向上す
 ゆえに、人は、おのれより、すぐれた人に従うべし

 釈尊がこの話の後しばらく法話を続けられると、デーヴァダッタのところで食事をした比丘は預流果の悟りを得ました。釈尊は、「その時のジャッカルはデーヴァダッタ、マノージャはこの比丘であり、妹はウッパラヴァンナー、妻はケーマー、母親はラーフラの母であり、マノージャの父は私であった」と、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント
●この物語の教訓

 生まれてきた人はどのような人間に成長していくのかということは、その人が誰と仲良くしているのかということを観察すると、推測できます。人は、決して「自分」というものを明確に確立していないのです。人は誰でも自分が何ものか、将来どんな人間になるのかわかっていないのです。ですから、とても不安なのです。落ち着かないのです。場合によって、恐怖感に悩まされることにもなるのです。

 この状態から脱出したいのです。安心感を味わいたいのです。自分に対する、将来に対する不安を乗り越えたいのです。そのために、どんな人間でもやることは決まっているのです。それは、仲間を作ることです。仲間というのは、安心して生きるために必要な「環境」なのです。環境が良ければ、動植物も人間も、スクスク繁栄するということは言うまでもありません。しかし、人間の場合は、「良い環境」というのは、きれいな空気、水、有機栽培の食べ物だけでは決して足りません。物質的な環境は好ましくなくても人工的に環境を作る能力、技術は、人間が持っているので、それほど問題にならないのです。

 人間にとって一番大事な環境は、仲間です。自分が生きている社会です。社会という環境から支えられて、人間が成長していくのです。家族、学校、会社、友人達などは、性質は異なった個別の社会ですが、一人の人間がこの個別の社会をまとめて、「自分だけの社会」を築くのです。自分の将来は、この「自分だけの社会」が定めるのです。従って、幸福になりたい、人生を成功したい、まっとうな人間になりたいと思うならば、自分が置かれている「自分だけの社会」はどういうものかと注意しなくてはいけないのです。

 「自分だけの社会」は、自分自身で作るものです。それがあまり良くないと発見したら、変えることができるのです。変えなくてはいけないのです。教育よりも、仕事よりも、身体の健康よりも、自分が置かれている「自分だけの社会」は、自分に影響を与えるのです。知識社会で天才的な能力を発揮しても、環境が悪ければ何の役にも立ちません。嫌になるほど財産に恵まれても、環境が悪ければ、犯罪者で人生を終えるのです。人は良い躾で、説教で、良い人間になると思っているようですが、それが勘違いなのです。躾をしても、説教をしても、面白いことに人の耳に入らないのです。人を育てるのは、「自分だけの社会」なのです。

 こういうわけで、仏教はこの問題を最優先にしているのです。「善友に巡り会えたら、人は仏道を完成するのです」というのは、仏陀の言葉です。完全たる悟りをひらいて、輪廻転生を乗り越えることさえできるのだ、という意味なのです。一人の能力では冥想実践して成功させることさえもできないのです。冥想実践は、全くも独りで行う挑戦であることにも関わらずです。自分が誰と一緒に生活しているのかということは、自分の幸福に対して絶対的な条件であると、肝に銘じておく必要があります。決して軽く見てはいけないのです。

 この物語で主人公を演じる獅子マノージャ君は、初めはなかなかの人格者でした。勇気がある、怠けることなく努力をする、親も家族も大事に守る。人間でいえば文句のつけどころのない、理想的な孝行息子です。すべてのジャータカ物語の中で、悪役を演じるのは、ジャッカル(豺狼)の仕事です。やり手のマノージャは、ジャッカルのギリヤが僕になってくれて、気分が良かったでしょう。ジャッカルを仲間にするなよと、親に注意されたのに、その躾は耳に入らなかったのです。(環境の影響は絶大なのです。)

 立派な人間になりたければ、自分より性格が優れている人々の中に強引にでも入り込むことです。優れている環境の中では、自分がプライドを捨てて僕になっても構わないのです。

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