ジャータカ物語
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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「ライオンと虎が去った森」
出典:Byaggha jâtaka (No.272)
 ●監修 : アルボムッレ・スマナサーラ長老/●編集 : 早川瑞生

 これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のことです。ある雨安居(雨期の間の修行)の時、お釈迦さまの二大弟子であるサーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者のお二人は、祇園精舎を離れて静かに雨安居を過ごそうと、お釈迦さまの許しを得て、コーカーリカ国へ行かれました。お二人は、コーカーリカと呼ばれる出家者の寺で雨安居を過ごすことにしました。お二人は、自分たちの滞在を内密にするようにコーカーリカ比丘に言って、コーカーリカ比丘にも法話をしてあげながら、雨安居の三ヶ月間の間、静かに成就法の安楽を過ごされました。

 雨安居の時期が終わり、お二人の大長老は祇園精舎に帰ることにしました。コーカーリカ比丘は長老方について近くの村まで出てお二人を送ってから、村の人々に、「あなた方は、お釈迦さまの二大高弟といわれる仏弟子のお二人が三ヶ月もお寺に滞在しておられたのに何も知らなかったとは、まるで動物のようだね」と言いました。人々は、「なぜ教えてくれなかったのですか」と驚いて、たくさんの薬や衣や油などを持って長老方を追いかけ、「知らぬこととはいえ大変失礼致しました。なにとぞ私どものためにお布施をお受けください」とお願いしました。コーカーリカ比丘もそちらに来て、「長老方は小欲だから、きっと品物を私にくださるだろう」と期待して待っていました。しかし、これらのお布施はコーカーリカ比丘の言葉に促されて得られたものであることを知っている長老方は品物を受け取られず、コーカーリカ比丘も何も得られませんでした。彼はがっかりして腹を立てました。コーカーリカの人々は長老方に「では、私たちを憐れんで、ぜひもう一度こちらにいらっしゃってください」とお願いし、お二人はそれを承諾されて、祇園精舎にもどられました。

 お二人の長老方は、時期を見て、自分たちに従う五百人ずつの弟子たち、皆で千人の比丘たちを連れて、再びコーカーリカ国を訪れました。人々は喜んで毎日盛大な供養をしました。そちらではたくさんの衣や薬などもお布施されました。コーカーリカ比丘は、自分も当然何かもらえるものと期待していました。しかし、お布施を扱う比丘たちはコーカリカ比丘には品物を渡さず、長老方からの指示もありませんでした。コーカーリカ比丘は怒り狂い、長老方を非難しました。「前の時は自分たちもお布施を受けなかったが、今回はたくさんお布施されている。それなのにあの二人は人のことなど顧みず、何も渡さない」とお二人を罵ったのです。

 サーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者は、「この男は我々のために罪を犯している」と思われ、比丘たちを連れて立ち去ることにしました。コーカーリカの人たちが、もっと滞在してくださいと懇願しましたが、お二人のお気持ちは変わりませんでした。人々は、お二人が立ち去られるのはコーカーリカ比丘のせいだと気づいて彼を非難し、「長老方が滞在できないようにするのなら、あなたはここを出て行ってください。あの方々にお詫びして、もう一度来ていただくか、あるいはあなたが出て行くか、どちらかにしてください」と詰め寄りました。皆の剣幕に恐れをなしたコーカーリカ比丘は、お二人を追いかけて、滞在していただくように頼みました。しかしサーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者は、「友よ、帰りなさい。私たちは引き返しません」と、祇園精舎にもどってしまわれました。コーカーリカの人たちは納得せず、「こういう愚か者がいたら、優れた大長老はこちらには来てくれない」と、すごい剣幕でコーカーリカ比丘を追い出しました。

 コーカーリカ比丘はサーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者を連れて帰ろうと思い、祇園精舎にやって来ました。彼はブッダに礼拝した後、二人の高弟のところに行って、「友よ、コーカーリカの人々は、あなた方に来ていただきたいと望んでいます。一緒に戻ろうではありませんか」と言いました。しかし、お二人の高弟は「友よ、あなたは行きなさい。私たちは行きません」と断られました。コーカーリカ比丘は一人で帰るしかありませんでした。

 比丘たちが集まって、「コーカーリカ比丘はサーリプッタ長老とモッガラーナ長老と一緒にいることもできず、離れることもできないようだ」と話していました。そこに釈尊が来られ、何を話しているのかおたずねになりました。比丘たちがお答えすると、「過去においても、コーカーリカ比丘は、サーリプッタとモッガラーナと一緒にいることもできず、離れることもできなかった」と言われ、皆に請われるままに過去のことを話されました。

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は、ある森の樹の樹神でした。同じ森で、菩薩の樹からそれほど遠くないところにある大木に、もう一人の樹神がいました。その樹神は愚か者で、ものの道理がわかりませんでした。

 その森には、恐ろしいライオンと虎が住んでいました。そのライオンや虎を怖れた人々は、決して森に寄りつきませんでした。ライオンや虎はさまざまな獣を殺して食べ、満腹になると、死骸を残して放っておきました。そのため、その森には死の匂いがただよっていました。
 ある日、愚かな樹神が菩薩に、「君、我々の森は、ライオンや虎のために、汚れた死の匂いに満ちている。私はあいつらを追い払おうと思う」と言いました。菩薩は「この森は、彼らのおかげで護られている。ライオンや虎がいなくなったら人間たちが来て、多くの樹を伐り払い、畑を作ったり村を作ったりするに違いない。そうなったら君も困るだろう」と、次の詩を唱えました。

 おのれの安穏を壊してしまう
 悪い友人に対しては
 自分の眼を護るごと、
 賢者はおのれを護るべし

 おのれの安穏を増大させる
 善き友人に対しては
 他の為すべきを為すがごと、
 その暮らしを護るべし

 菩薩がこのように明確に説いたのにもかかわらず、愚かな樹神は、よく理解できませんでした。そしてある日、恐ろしい様相でライオンと虎を脅し、彼らを森から追い出してしまいました。
 ライオンと虎がいなくなると、人間たちが森へ来るようになり、森を壊し始めました。愚かな樹神はまた菩薩のところにやってきて、「君の言う通りだった。ライオンと虎がいなくなると、人間どもが森を荒らしに来てたいへんなことになってしまった。いったいどうすればいいだろう」と困り果てて言いました。菩薩は「ライオンと虎は向こうの森に移ったようだ。あちらに行って、彼らを連れ戻すのが良いだろう」と答えました。愚かな樹神はその森に行き、合掌して次の詩を唱えました

 さあ、虎よ、もどっておくれ
 大いなる森に、帰っておくれ
 虎なき森は荒らされている
 虎は、決して、森から離れるな

 そのように懇願しましたが、ライオンと虎は「お前は帰れ。俺たちは帰らない」と断りました。愚かな樹神は、すごすごと一人で森に帰るしかありませんでした。人間たちは好きなように森を切り開き、畑を作りはじめました。

 釈尊は「愚かな樹神はコーカーリカであり、ライオンはサーリプッタ、虎はモッガラーナ、賢い樹神は私であった」と語られて、過去の話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント
●この物語の教訓

 他人の役に立つ人は、社会に認められる。見返りを期待せず献身的に人々の役に立つような生き方をする人は、社会に尊敬される。他人に認められる生き方をするならば、自分の人生も安定するのです。コーカーリカ比丘は村の寺守をしていたが、村人たちの役には立たなかったようです。村人たちはコーカーリカ比丘に、盛大にお布施したり尊敬したりはしなかったのです。サーリプッタ・モッガラーナ両尊者は、皆の役に立っていたのです。日々説法することで、指導することで、忙しかったのです。お二人が釈尊の次に人々に尊敬されたのは当然のことです。コーカーリカ比丘は、自分が守っている寺にこの偉大なるお二方がお休みに来られたことで、自分も捨てたものではないと勘違いしたのです。お二人がその寺にわざと行かれたのは、その寺が誰にも知られていないからです。誰も知らない比丘が寺守していたからです。骨休めするためには絶好の場所でした。

 他人の力を借りて、自分も大したものだと言いふらしている人間は少なくありませんが、このような性格ではまっとうな人間にはなりません。人の道徳、能力に便乗して自我を張るのではなく、自分自身で道徳、能力などを身につけなくてはいけないのです。貧乏な人が、借りた宝石で一時的に身を飾っても、金持ちにはならないのです。

 人の権力、能力、財力、道徳などに便乗して、自分もその人々が得る徳の一部を分けてもらおうと思っても、上手くいかないのです。国の総理大臣の家に入ることは、一般人にはできません。立ち入り禁止です。しかし家政婦は簡単に毎日入る。勝手口から入るために合い鍵まで持っている。総理大臣と軽々く話す。場合によって、こうしなさい、これはダメですよ、と言うこともあり得る。しかし、家政婦に、総理大臣がもっている権力に便乗して何かできるのか? 何もできません。家政婦の格は変わりません。

 人の能力に便乗すること自体は悪くないのです。しかし、自分もその影響を受けて、良い人間にならなくてはいけないのです。徳を分けてもらおうと思う人は、偉大なる方々に見放されます。自分で努力する人なら、偉大なる方々に見守られます。

 「自然を真剣に守るべきだ」というのが最近流行っているスローガンです。それは、自然を破壊することで幸福になるのだという誤解に基づいて生きてきた結果、気づいたことです。しかし人が問題に気づいた時はもう遅く、やり直しが出来ないほど問題は悪化しているのです。お経では初めからも、人間と動植物は互いに調和して心配しあって生きていなくてはならないのだと知っていたのです。仏教徒は、木の枝一本でも、無闇に不必要に切ってはならないと説かれるのです。

 このジャータカ物語に出てくる頭の悪い樹神は、森にライオンと虎がいることを嫌がったのです。神だから清らかなところを好むのです。死骸やら、腐っている肉の悪臭やらは、とても嫌なのです。だからといって、ライオンと虎の森に住む権利を奪うことは、我が儘な自己主張なのです。森を守りたくてライオンと虎を追い出したことで、森を破壊してしまったのです。贅沢に住もうではないかと思って他人の権利まで奪うと、自分の住むところもなくなってしまうのです。

 この物語は、より楽でより贅沢な生き方を目指して現代人がやっていることを、二千五百年前に予言したようなものです。偉そうな態度で獣であるライオンと虎を追い出して威張っていた神が、後に惨めになったのです。プライドを捨てて、ライオンと虎の前に跪いて「戻ってください」と懇願するはめになったのです。しかし、一度破壊したものが元に戻るのでしょうか。現代人も大変惨めに、飲み水さえも金を払って入手しています。地球の周りに無限と言えるほどきれいな空気があったのに、今は皆、必死で空気のきれいなところを探しているのです。見渡す限りみどりで囲まれていたこの世界で、今の人間は、小さなポットの中で珍しくもない植物を植えて鑑賞するのです。壮大な自然の中で堂々と生きていられるはずでしたのに、今の人間の生き方は、とても悲しい、惨めなものです。傲慢になって自然をバカにすると、自然からバカにされるのです。

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