根本仏教講義
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2.テーラワーダ仏教
(1)テーラワーダ仏教とは
A・スマナサーラ長老

 きょうは仏教、とくに私たちが日頃言っているテーラワーダ仏教そのものについて改めてお話したいと思います。テーラワーダ、日本語で上座仏教、別称として原始仏教と言いますが、これはあくまでも他の仏教の宗派とはっきり分けるためにそう呼んでいることはもちろんですが、上座仏教の人々は釈迦尊の教えを忠実に守って実践していくことに誇りを持っています。と言うのも仏教はこれまで二千年以上の長い年月のあいだにいろいろな人々の解釈の違いやら発展的な方向転換等によって、お釈迦さまの説かれた教えとは趣を異にしたかたちとなって現在に至っています。お釈迦さまが説かれた本来の教えをそのままに実践したいとする人々が現れるのは当然の成り行きで、原始仏教と呼ばれているのはそうした意味からです。

 仏教はお釈迦さまがはじめて真理の悟りを開き、その道を説かれたものです。それは世界中に広がりを見せるほど説得力があり、示唆に満ち溢れているものでした。その修行方法も、実践の方法もすべてお釈迦さま自らが示されたものです。上座仏教を学ぶものは従って自分たちもお釈迦さまの教えどおりに実践して真理を悟りたいと修行に励んでいるので、お釈迦さまからはなれて自分たち独自の道を歩もうとはまったく考えません。生命の究極の目的は悟り、涅槃であり、それだけが苦しみを乗り越えられる方法であることを把握し、体験していくのです。苦しみを乗り越え、二度とふたたび輪廻転生しなくてすむその真理を体験できるのですから、その道を示してくださった先生であるお釈迦さまに対して当然尊敬の心を抱きます。さらには自分たちがお釈迦さまの教えのとおりを実践して悟りを得られるのですから、この素晴らしい方法を他の人たちにも伝えるためには自分たちの勝手な考えを加えたりすることはできません。お釈迦さまが直々(じきじき)に説かれた教えが最良のものであると確信していますから、お釈迦様の説かれた教えのとおりに人々に伝えていこうとするのです。

 お釈迦さまの教えを忠実に守りそれに固執(こしつ)するあまり、上座仏教の人々は仏教の保守派と見られることもありますが、それほどまでにお釈迦さまの教え以上の道はないと上座仏教の人々は確信しているのです。もし、お釈迦さまの説かれた方法からはなれ悟りの道を開く違う方法が見つかったとしたら、それはお釈迦さまの道から離反することを意味し仏陀からはなれることになります。仏陀の教えからはなれるということは仏法僧からはなれることであり、仏教徒ではないと言わざるをえません。お釈迦さまの教えに忠実に従うことこそが上座仏教であり、上座仏教だけがお釈迦さまの示された悟りの道へ到達することができるのだと確信しているのです。

 その悟りのために示された道とは四念所(しねんじょ)と言われる身受心法(しんじゅしんぼう)のヴィパッサナー冥想法であり、それに八正道(はっしょうどう)という教えです。悟りを開いて解脱するために必要なことは心の執着をなくすことであり、煩悩を消すことであるとお釈迦さまは言われました。これはお釈迦さま自らの体験に基づく方法であり、執着心と煩悩を消さないかぎり苦しみから開放される道はないと言い切っておられるのです。

 このように上座仏教はお釈迦さまの教えから決して()れることなく、ましてや新しい経本を作ったりすることもなく、ただ一心にお釈迦さまの教えを忠実に守っていくということに自分の全責任を置いて学んでいくというところが、他の宗派と大きく区別されるところだと思います。

 お釈迦さまの入滅後、いろいろな人たちがお釈迦さまの教えに自分なりの解釈をつけ加えたりしたようですが、上座仏教はそのようなことはいっさい拒否して(かたく)なに教えを守りました。そのため新しい解釈を試みた人々は自然に上座仏教からはなれていきのちに大衆部と呼ばれる宗派を結成しましたが、その大衆部もいくつもの分派が出来その数は18種にも上ったと言います。仏教の、そしてお釈迦さまの教えを敷衍(ふえん)するために自分たちの解釈を加えていくという方法のなかにはもちろん秀でた素晴らしいものもあることと思いますが、上座仏教の立場から言えばそういうものを認めるわけには行かないのです。なぜならば、一度べつの解釈が加えられますとそれが(せき)を切る合図となってひとはどこまでも改善していきたがるものです。そしてそれはお釈迦さまの教えから段々とはなれ、人間が悟りを開くために説かれた方法がつまるところ信仰の教えと変化していってしまうのです。もうそうなると仏教とは呼べない、べつの宗教、仏教ではない仏教ということになってしまいます。

 厳密に言うと、上座仏教だけがお釈迦さまの教えを忠実に守っている唯一のものであるとは言えないかもしれません。やはり上座仏教の分派で経量部と言われた宗派があります。
彼らはいわゆる戒律やアビダルマなどはべつに置いて、お釈迦さまの教えはお経の部分だけであると主張しお経だけに基づいて仏教を語るべきであることを実践しましたから、大きく考えれば彼らもまたお釈迦さまの教えを忠実に守った宗派と言えなくもありませんが、現在では経量部のような宗派はどこにも存在していません。宗派仏教で現在存続しているのは上座仏教のみとなりました。

 大乗仏教で小乗仏教と言われていた宗派はお釈迦さま入滅後200年ごろインドで上座仏教から分かれていった部派仏教の宗派で、その仏教を非難して大乗仏教が形成されていったという史実がありますが、大乗仏教から小乗仏教と呼ばれていた部派仏教はいまでは何も残ってはいません。従ってテーラワーダ仏教のことを小乗仏教と呼ぶ人もいますが、それは歴史的事実を知らない人の認識不足でテーラワーダ仏教は最初からお釈迦さまの教えだけを受け継ぐことを目的として連綿(れんめん)とつづいてきた仏教であり、大乗仏教や小乗仏教とはその成立過程も主張も根本的に異にするものです。

 テーラワーダ仏教を正しく理解していただくために、もう少し仏教成立の歴史的事実を見ていきましょう。先ほどもお話しましたが、上座仏教から分かれて大衆部という分派が誕生しました。これが学問的に言う部派仏教の始まりで、紀元前100年頃までにいくつかの部派仏教が誕生しています。これはちょうど日本の宗派と同じように祖師によって少しづつ考えが違って分かれていったのであろうと推察できます。西暦元年(釈迦入滅後500年)、大乗教典が書かれはじめ、西暦100年頃までには『般若経(はんにゃきょう)』『法華経(ほけきょう)』『華厳経(けごんきょう)』『唯摩経(ゆいまきょう)』などの初期大乗教典が完成しています。西暦 200年頃、竜樹による『中論(ちゅうろん)』『十二門論(じゅうにもんろん)』につづき、『解深密経(げじんみっきょうよ)』『如来蔵経(にょらいぞうきょう)』『涅槃経(ねはんきょう)』などの教典が完成、さらには、400年頃世親の『唯識二十論(ゆいしきにじゅうろん)』が書かれました。日本に仏教が伝来したのはこの『唯識二十論』完成の約百年後とされていますが、日本では最初から中国で書かれた大乗教典を仏説の仏教と認めて勉強しましたので、大乗教典が仏説であるか否かの論議はほとんど起こらないまま受け入れられてしまったようです。わずかに江戸時代の富永仲基や明治に入ってパーリ語教典を勉学した前田慧雪、村上専精などの学者によって『大乗非仏説論(だいじょうひぶっせつろん)(仏教統一論)』が出版され論議を(かも)したことがあるくらいのものでした。大乗教典が書かれたのは西暦元年から400年までのあいだのことですからよく考えてみれば仏説と言える根拠には乏しいのですが、それらの教典が仏教の教えにかなっているとする見かたが一般的で日本ではそれほど大きな問題とはならなかったのです。

 しかし時代は移り、変化してきました。仏教伝来から1500年という長い年月を必要としましたが日本でもやっとお釈迦さまの教えであるテーラワーダ仏教を学ぶことが出来るようになりました。
 テーラワーダ仏教ではお釈迦さまの直接の言葉を口述筆記で記録し、2500年という年月を何万人という長老の比丘たちによって語り継がれてきました。この間、説を曲げたり改変が加えられたりしたことはただの一度もありません。お釈迦さまはインドのマガタ国の言葉を話されましたから、パーリ語と言われるその言葉によってのみ記録されてきたのです。ですから二十世紀ももう終わろうとする今日でも、2500年前にお釈迦さまが説かれたそのままを私たちは学ぶことが出来るのです。

 それだけの年月を色()せることもなく文明がこれほどまでに発展してきた今日でも燦然(さんぜん)と輝いて人々の生きる指針となっているということは、それだけお釈迦さまの教えが唯一無二の真理を語られているということの何よりの証明でもありましょう。

 たしかにこのお釈迦さまの教えの素晴らしいところは、それが戦乱の世であろうが不況に沈む暗い時代であろうが、いかなる時代にあっても、また日本人であろうとアメリカ人であろうとヨーロッパの人たちであろうと、どんな人種であっても、あるいは幼い子供であろうと老人であろうと、科学者であろうが学校の先生であろうがどのような職業であろうとも、そういうことはいっさいお構いなくだれにでも理解でき、だれにでもすぐ実践できるという永遠の生命を持った方法であるということです。ですから、長老たちの努力によって記録されてきた方法が、ただの一度も改変されることも但し書きが加えられることもなく命脈を保ってきたのでしょう。

 お釈迦さまの教えは2500年経ったいまでも、それを学んだものには常に新鮮で、感動的であり、驚きを体験する不思議な力を持っています。その教えは、日常の生活のなかに自然に溶けこんで社会や人々の生活とともにあるのです。社会がどれほど変化しようとも、また人々の考え方がどんなに変わっても真理は永遠のものであり、真実は一つしかあり得ないのです。永遠の真理には改変の余地はありません。もし、お釈迦さまの教えに疑問があるのであれば、まずお釈迦さまの教えを実践してみることです。この教えを実践した人で異議を挟む人はひとりもおりません。お釈迦さまご自身、もし改変できるものなら改変してみなさいと言っておられるほど、その方法は完璧だと申せましょう。真理は改変できないものであると、お釈迦さまはご自身の体験からはっきりと悟ったのです。

 皆さんもまたお釈迦さまの教えが時代遅れと思うなら、また科学の法則に照合して矛盾があるならばそれを指摘してください。原始仏教という響きが何となく古くさい印象を与えはしますが、お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教であり、2500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実に誇りをもって学んでください。

(スマナサーラ師講講義より構成しました)

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