根本仏教講義
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19.お受験で知識をはかれるか
(2)勉強の裏ワザ
A・スマナサーラ長老

 試験をする側は、あくまでも固定した尺度を持っています。それは変えられない。受ける側がそれに合わせて受験するのだというお話を、前回はしましたね。

■若いときは学ぶこと■
 試験で、自分の能力を全部はかることができるわけではないのです。たとえば数学のプロが英語の試験を受けて、落第してしまう。そこで、「私はこれほど頭がいいのに、この人たちにはわからないのか!」と、すごく怒る。わからないんですよ。相手は英語の試験をしているのですから。英語の試験を作った人から見れば、たとえ数学の教授であろうが、この人は英語をわからないのだということしかはかることはできないのです。この人が数学の教授で大変頭のよい人だいうのは、まったく関係のないことなのです。

 ですから、試験を受ける場合は、自分の人格は問われないのです。それを覚えておくことです。そうすると、どんな受験でも気楽に受けることができるのです。これは自分の生き方のすべてをはかるものではない。この試験さえ乗り越えてしまえばいいのだ。この学校に入るにはこの科目が必要だから、ちょっと勉強して記憶しておきさえすればいいのだ……。そう考えて、気楽に向こうの尺度に合わせるんですね。

 仏教では、若いときは、知識受験、いわゆる学校の試験を受けなさいと言っています。頭が悪くてはどうにもならないのです。子供の頃はやることがないでしょう?

 親が食べさせてくれるし、服も洗ってくれるし、悩むことは何もない。それで遊びだけしかなかったら、人生はものすごくつまらないのです。子供でもちゃんとした仕事をしなければなりません。そうすると、「ちゃんと仕事をしているんだ」とプライドを持って生きていられるのです。食って遊んで寝るだけだったら、ものすごくみじめで、親にまでバカにされます。人格がなくなってしまいます。

 お釈迦さまがおっしゃるのは、子供の頃はバリバリと勉強しなさいということです。そうすることで親と同格になるんです。父親が「私は仕事をして家族を食べさせている!」と威張っても、「私もちゃんと勉強して頑張っている。お互いさまです」と。母親にも同じことを言えます。それで人格が守られるんですよ。たとえ子供であろうとも。  仏教では、子供たちに、ちゃんと知識を獲得しなさいと、はっきり言っています。

 知識を得る場合にもいろいろ裏ワザがあります。学問的な裏ワザは皆さんも知っていると思いますが、みんなが忘れている一番大事な裏ワザがあります。我々は、いつでも人間と生活しているのです。先生も人間、教えてもらう学生も人間なのです。人間と人間の関係ですから、互いにやさしく、楽しく付き合うことが大事なのです。「先生はサラリーマンだ」と思うと、もう勉強はできません。つまり、教えてくれる先生と仲良くする、友達になる。教える側の愛情をなんとか買うということが、実はとても大切なことです。先生は、自分の生徒が可愛くて放っておけない、本気で心配する。そういう感情を持ってもらわないと、勉強は苦しくなるのです。先生から見て、生徒たちが弟や妹のように、あるいは子供のように思えると、愛情が生まれてくるんですね。そうすると、ものすごく容易に知識の伝達が行われるのです。そして先生の授業もよくわかるようになります。先生をよくわかっているならば、授業もわかるのです。授業だけを聞こうと思っても、普通の人間にはむずかしい。生まれつき、ものすごく脳細胞が働いている人だったら別ですけれど、自分はそれほど頭が良くないと思うならば、先生を友達にしてしまうしかないのです。友達にしてしまえば、「頭が悪い」と思っていた自分の頭も何ということもなく良くなるのです。それはすごく大事な裏ワザです。

 「学校はイヤだ」とか「学校に行きたくない」という問題は全部解決します。仲間に負けず、なんとかして先生たちの機嫌をとった方がいいのです。どんなワザを使ってもいいのです。自分を売りこむのです。人気を買うのです。先生たちの人気者になること。そうすれば学校も面白いし、勉強もものすごく簡単に進むのです。

■先生を敬い、世界一流になる■
 世の中で、「あの人は頭がいい」「この人は頭が悪い」「この人は勉強ができる」などと言われていても、たいしたことはありません。学校で教えることというのは、実はものすごく単純で、普通の人ならどんな人間にでも理解できることなのです。数学も工学も科学も歴史も社会も国語も実際の教育の中身に入ると、ものすごく単純です。だから「勉強ができない」ということは、私から見ればあり得ないことです。そこにあるのは別の問題なのです。

 乗るべき乗り物に乗っていないのです。バス停で待ったまま、バスに乗らないとどこにも行けないでしょう? 乗らなかった自分が悪いだけで、乗ってしまえばバスが運んでくれますよ。

 ですから『教育』という乗り物に乗ってみなさいと言うのです。それには簡単な方法がありまして、前述のように、まず先生たちと仲良くする。現代の言葉でいえば「仲良くする」「友達になる」で十分ですが、お釈迦さまは、尊敬しなさいとおっしゃいました。先生たちは親よりもたくさんのことを教えてくれますよ。親には教育はできないのです。親よりも色々やってくれます。

 たとえば親が普通のサラリーマンで、その子供が医学部に入ったとします。先生はその子を医者にしてくれるでしょう。親には、その子を医者にすることは、まるっきりできないのです。

 先生たちはすごいことをやってくれるのです。自分を社会で一人前にしてくれるのは、結局は先生なのです。そのぐらい大事な人たちなんです。その人を敵にまわして幸福になると思いますか?

 敵にまわして喧嘩するなんて、バカもいいところですね。

 お釈迦さまは、先生を敬いなさい、尊敬しなさいと言われました。先生との関係は、インド文化ではすごく厳しいですよ。ものすごく尊敬する。いつでも言うことを聞く。従う。今もインドでは、先生を尊敬する生徒たちはみんな頭がいいのです。世界一流になるのです。

 今も、世界でソフトを開発している人というのは、インド人が半分ぐらいですね。中国人も多いですけれど。商売をしているのは西洋人ですが、結局、ソフトをつくってマイクロソフトや他の会社にバンバン売っているのはインド人や中国人でしょう。かなりの知識能力が必要な世界です。

 調べてみると、彼らは先生たちを尊敬しているのです。そういうことで頭がよくなるんです。勉強自体はそれほど難しいものではありません。すごく簡単なものです。学生たちがそれを難しく感じるとしたら、それはちゃんと乗り物に乗っていないせいなのです。

■先生との関係こそ裏ワザ■
 オートバイに乗る場合でも、いい加減に乗るとどうなりますか?

 考えてみてください。オートバイの前に乗っている人が先生で、彼が免許証を持っていて、自分が後ろに乗るとします。でも、自分が立ったり、足をあげたりするとどうなるでしょう。前にいる先生は突然ブレーキをかけるかもしれません。急にブレーキをかけると、後ろの人は落ちてしまいますよ。だから落第が成り立つのです。  ですから、いったんオートバイに乗ったら、運転する人をぎゅーっと握って、からだを預けていれば、けっして落ちません。

 仏教からいえる勉強の裏ワザはそれなのです。世間一般ではそれは教えてくれないでしょう。愛情がない世界、憎しみと競争と嫉妬ばかりの世界では気づかないのです。だからもっとやさしく、もっと楽しく、みんなと仲良く、先生の家に強引に行ってご飯でも食べるぐらいの関係を持てばよいのです。親と喧嘩したら、勝手に先生の家に行って、「今日はここに泊めてください」と言ってみる。「何で?」「親と喧嘩したから」……そのぐらいの人間関係をつくっておいたほうが、ものすごく勉強もできるのです。そんなに無理なことではないでしょう。先生から見れば、自分の気に入っている生徒なら、勝手に来ても全然気にしないと思います。

 先生たちも人間ができていなくて、ろくでもない先生もいるのですが、若い頃、先生になるときには悪いことをする気持ちはまったくないのです。みんな真剣に勉強をして、先生の免許をとっていますよ。それで先生になって教えている中で、先生同士の人間関係が良くなかったり、生徒たちにいじめられたり、あらゆる問題がでてくると、本人も人間ができていないものですから、どんどん悪い方向へと走っていってしまうんですね。

 ですから、簡単に「今の先生は信じられません、信頼できません」といっても、結局、周りがそういうことをやっているから先生も悪くなっているのです。親も先生にたいして親切ではありませんし、文句を言うばかりで、全然理解しようとしない。自分で一人二人の子供の面倒さえ見られないくせに、三十人、四十人の子供の面倒を見ている人に文句を言う。  先生たちにも芯がないので、「出て行け」とも言えないのです。堂々と言えばいいのにと思います。「あなたには子供が何人いるんですか?

 その子の管理もできないでしょう。その子と同じ年齢の子供たちが三十人もこちらにいるんだから。口出ししないでください。どうするかということは、こちらで考えますから。こちらはプロですから」と、そのぐらいのことを言えばいいのに。そういう態度はとれないのです。

 私も一時教師をやっていましたが、誰にも負けなかったんです。「口を出すな。勉強をしたくないなら出て行け」と。それでおびえて、それからはまじめに聞くのです。子供も、自分で決めたこと、勉強するという約束は成立していますから、ちゃんと聞くのです。二度と口を出そうとしません。

 私がそうやってはっきり言えたのは、ちゃんと仕事をしているという自信が自分にあったからです。仕事の世界で自分より上の人に、善し悪しを評価されるのはしょうがないのですが、関係のない素人たちに評価されてはたまりません。だからここでも、みんなに合格する必要はないということなのです。

 「先生も信頼できない」という問題で脱線しましたが、これは社会全体が行ってきた悪い行為の結果です。今の先生たちは人格がなくて信頼できない、どうにもならない人々が多いと思われていますが、その問題は子供たちになら簡単に直せますよ。子供たちが仲良くしてあげれば、みんなまた人間に戻ります。

 我々に必要なのは、実は『先生』ではなくて、『人間』なんですね。仲の良い人間です。ガリガリの先生たち、テキストやマニュアルから絶対に脱線しない人々、ロボットみたいな人を、人間に戻すこと。子供たちにはいとも簡単にできること。ですからいずれにせよ、勉強のいちばんよい裏ワザというのは、先生と仲良くすること。正しく言えば先生を敬うことなんです。お釈迦さまの言葉をそのまま日本訳すれば、尊敬するということです。
(この項つづく)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;舟橋左斗子)

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