根本仏教講義
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20.ブッダの育児論
(2)子供は大学
A・スマナサーラ長老

 先月は、両親は子供にとっての最初の先生だということをお話ししましたね。ただ怒って「ダメだ」と言っても子供は理解してくれない。先生というのは、そこを工夫して、どう言えばこの子が理解してくれるのかを考えて対応していく必要があるわけですね。

■親の仕事は子供を社会人にすること
 ポイントがもう一つあります。
 どんな親でも、子供は自分の財産である、自分の所有物であると思う傾向があります。それも不自然なのです。子供と親の関係は、動物を見ればよくわかります。動物と人間は、何の変わりもないのです。ですから、動物はどのように子育てするのかと、動物から学べばいいのです。動物というのは立派な親で、きちんとすべて教えてあげるんですね。縄張りとはどういうものかとか、餌はどうやって獲るかとか、そういうことを全部教えてあげてから、出て行けと追い出すのです。群れで生活する動物の場合でも、自分の子供を追い出します。追い出して群れの一員にしてしまいます。群れの一員になってからは、親子関係はないのです。まったくの一人前、他人の扱いで、甘えさせることもしない。ですから動物が子育てをするときには、子供を自分の財産だと思って、一生子供を束縛したり奴隷にしようとすることもないのです。

 なぜ親と子の間でいろいろなトラブルが起こるかというと、親が子を自分の財産だと思い、自分のもの、自分の所有物、私物だと思い、自分のものだから自分の好きなようにすればいいと勘違いしているからこそ、起こることが多いのです。でも実は、人間というのは自由に生まれたものなのです。

 では皆様方に違う質問をします。自分の父親か母親が自分を奴隷にして、なんでもかんでも命令して管理するとしたら、気持ちがいいでしょうか? 何ひとつとして自由にさせない。何か自分でやろうとしたら親がすごく怒ってやめさせようとする。すべて親が言うとおりにならなくてはいけないはめになったら、それは気持ちいいことといえるのでしょうか?結婚しても親が来て、台所から冷蔵庫の中、押入れの中まで全部調べて「なぜこういうものがあるんですか」とか「こうしなさい」とか命令する。会社に行こうとするとお母さんが来て「なんてヘンな服を着ているんですか、そのネクタイは変えなさい、このシャツはダメですよ」となんでもかんでも口を出す。会社にも電話をかけてきて「あなた、しっかりやっているの?」と言われるとすると、気持ちいいでしょうか? そこまでされると、親を殴りたくなる気持ちもわかりますよ。誰でも親を尊敬するのですが、親の奴隷ではないのです。

 そう考えると、それこそ世の中で一番いやなことなのです。会社でいろんなことを言われるのはそれほどいやなことではないのです。会社にいる間だけのことですから。人生をずっと親に管理されてしまう、それこそ世の中で一番いやなことなのです。暴力団に入って命令されるのは、それほどいやなことではないのです。なぜなら、自分の気持ちで入ったわけですから。しきたりを間違ったら殺される可能性もありますが、しきたりを守っていたらなんとかうまくいくかもしれません。そのような状況でもその人はそれほどいやがらないのです。それよりも両親に管理されることの方が、ずっといやなのです。

 ですから忘れないで欲しいことは、子供は、決して「私の私物」や「財産」ではないということ。自由な人間でいるということ。『自由にさせることが自分の仕事』だと理解して欲しいのです。子供は小さいときから独立して頑張ろうとしているのです。それを親の目で見て「こいつは一人で何でもやりたがっているが、まだまだダメだな。まだ何も一人でできないんだ」と楽しく見ながら、ちょっとお手伝いをしてあげる。たとえば小学校や幼稚園に行かなくてはいけないでしょう。でもどこかで子供は不安をもっている。そのときはちょっとその不安をなくすようにしてあげる。「大丈夫ですよ。みんなあなたと同じ歳で同じことをやっているのだから」と安心させてあげて、自由にする。朝早くから子供といっしょに幼稚園に行って、ジーっと見張っているというのでは、やがて殺される可能性があります。日本では大学までついていく親もあるくらいですから。そういう人は役に立ちません。自分では何も判断できないでしょう。

 子供は所有物ではなく、一人前の人間である。権利は平等である。社会人である。18歳や20歳になるまでではなく、生まれて、自分でしゃべったり行動したりできた瞬間から社会人なのです。2歳にもなれば、家族の中で社会人でしょう? 3歳になると、幼稚園という大きな組織の中での社会人でしょう? 6歳になれば、小学校という大きな組織の社会人でしょう。では、社会人にしてあげることが親にできるでしょうか。そこが親の仕事です。それが、仏教から見る人間の見方なのです。

 子供は、私の「何者」でもありません。子供は社会人なのです。一番立派なのは「地球の一人の人間である」という風に育てること。それができるなら、すごい人間になるだろうと思います。「あなたは地球に生まれてきた。地球の一員である。地球のおかげで生きているのだから、地球上の人に対して、地球上の生き物に対して、果たさなくてはいけない仕事がいっぱいあるんだよ」ということを教えてあげることができれば、それは一生役に立つのです。この2つのポイントを覚えておいてください。

■親は未経験の教師
 それから、細かなポイントをいくつかお話します。
この間、小さな子供を見ました。その子は寝ていましたが、お母さんはじーっと子供のそばにいて見張っているんですね。ちょっと聞いたら、子供が起きると機嫌が悪いので、できるだけ寝かしておくようにしているのだそうです。その後、子供は起きたのですが、勝手に遊んだり、どこへでも行ったりする。それで、私は子供に冗談でこう言ったのです。「あんたね、いろいろお母さんに要求しても、お母さんは子供を育てることに慣れていないんだよ、初めてだからね。だからいろいろ要求してもできませんよ」と。それは子供にはわからないのですが、本当は、大人にちょっと言いたかっただけなのです。子供というのは自分の母親しか知りませんから「自分に対して完璧に接してほしい」という欲求を持っているのです。オムツを変えるときでも、ご飯を食べさせるときでも、寝かしてあげるときでも、起こしてあげるときでも、なんでもかんでも、きちんと自分の思う通りに、完璧にやりなさいよと、子供は要求する。でも母親には経験がないのです。だって初めて生まれた子供だから。何一つわからないのです。父親も経験者ではないのです。

 たとえば学校の先生というのは、「教える」ことの訓練を特別に受けているでしょう。親は何も訓練を受けていないのです。それなのにものすごく大事な仕事、世の中で一番大事な仕事を任されているのです。一つの生命を人間にすること。おかしなことに、この世の中で一番難しい仕事を、まったく経験のない人に委託、任せているということなのです。そこをよく覚えておいてください。自分たちには子育ての経験もないし、訓練も受けていない、上手にできないということをよく覚えて、徹底的に勉強しなくてはいけないのです。

 どこで勉強するかというと、自分の子供からです。昔よく使った言葉がありました。それは「子供は大学です」というものです。いろいろな科目があって、それぞれまた、えらく専門的な学部なのです。学校ではいろいろなことを教えるのですが、専門的ではないのです。ですから子供というのは学校というより大学みたいなもので、さまざまなことを両親に教えるのです。

■子供が与える研究課題
 私はこういうふうに解釈します。
たとえば小さな子供はよく泣く。「泣く」ということで、親に一つの宿題、研究テーマを出しているのです。親は以前にはそういう経験はなかったのだから、なぜ子供が泣いているかがわからない。これは、自分に出された研究テーマであり、現場で今すぐ発見しなくてはいけない課題なのです。たまに間違ってもいいのですが、間違えながらも、何で子供が泣いているのか、それを発見する。私が見たところでは、発見するというより、子供が泣くと、何とかごまかして泣かないようにする親が多い。それも場合によって悪くはないのですが、いつでもごまかしているというのではあまりよくない。そこで、その答えを発見するのですが、それは「自分の発見」になるのです。たとえば3ヶ月ぐらい子供を観察すると、だいたい母親は、泣いただけで、「あれはお腹がすいている」「これは遊びたがっている」「暑がっている」「今寒がっている」とすぐにわかるようになるのです。ただ泣き声を聞いただけで。

 そういうふうに、自分で子供を大学にして研究する。それをやると、決して育児ノイローゼにはなりません。育児ノイローゼという病気がありますね。あれは子供が泣いて、泣いて、泣いて、何をしても泣きやまない。それでいやになっていくのです。自分が寝る暇もないし。そういうものすごく泣く子も、ちょっと大きくなると泣くのはやめますが、それからは「あれくれ、これくれ、これはいや、あれはいや」と、ものすごいわがままになったりするのです。そのときはもう言葉をしゃべれるので、母親はかんかんに怒ってヒステリーになるのです。気持ちとしては子供を育てたいのだけれど、どうもうまくいかない。それでぶったり殴ったり虐待したりする。虐待する母親たちの話をテレビで見たのですが、自分の子供だからものすごくかわいいと言う。虐待は全然したくない。それでも泣いたりわがままを言うと、すぐ手を出してしまう。そして自分のことも怖くなる。

 その問題を解決する方法は、子供とは大学で、ものすごく難しい研究課題を出してくるのだと理解することです。いろいろな方法を試してみると、子供がなぜ泣いているかという答えが見つかるのです。いろいろな理由があるのです。時には、妊娠中の親の食べ物とか環境、あるいは生き方などが胎児にかなりの影響を与えますから、ホルモンのバランスが悪くて、そのために神経質に生まれてくる場合もあります。あまりにも神経質で、生まれる前からストレスの塊になって生まれてくる場合もあるのです。子供にとっては我慢できないのです。からだは小さいけれど、心のエネルギーは大人と同じなのです。ですから心のエネルギーにストレスがたまって、その小さなからだの中でそれを何とか処理しなくては生きていけないのです。そうすると、ものすごく泣いたりする。そこは一番大変な問題なのですが、なぜ生まれた瞬間からそんなにストレスがたまっているのかということは、かなりの研究課題なのです。

 以前、知り合いの子供がいて、母親が日本人、父親が外国人なのです。子供は日本で育っているので、子供の心の中の文化は完璧に日本文化です。自分は完璧に日本文化の人間なのに、ご飯を作ってくれるおばあちゃんが違う文化で、日本語もしゃべれない。子供と遊ぶときもちょっと文化が違う。子供がわがままで何か要求したときも、対応の仕方が違う。日本的じゃない。それはその子にとってはものすごくストレスなのです。しかも日本の母親はいい加減で、あまり子育てに手を出さない。できるだけ手を引こうとする。でも子供は日本文化的な育ち方に慣れていて、それを要求しているのです。ある日、子供が泣いて泣いて、いくら抱っこしても、お母さんやおばあちゃんが抱っこしてもいやがって泣き止まない。そのとき、そこらへんにいたまったく見ず知らずの日本のおばさんがその子を抱っこしたのですが、そのとたんに泣きやんだのです。考えてみてください。小さな子供はまったく知らない人に抱っこされたら普通は機嫌が悪いでしょう。いやでしょう。すぐに自分の親のところに飛んでいくでしょう。ところが、その子は知らないおばさんに抱っこされ、なんのことなく泣きやんだのです。そこで私が理解したのは、これは文化の違いだということです。子供は小さいときから2つの文化に慣れるのはむずかしい。いきなり目に入った文化を受け取ってそれを基準にしている。だから知らないおばさんでも、日本語でしゃべってくれ、対応する言葉もそれなりに子供にふさわしい言葉で、やさしく抱っこしてくれたら、それで落ちついてしまったのです。

 子供が泣いたということは、我々にとっては大学レベルの研究課題なのです。親はそれを研究しなくてはなりません。大体の場合はすぐに発見できますが、もちろん、どうしても泣き止まない場合は病院に連れて行って体の状態がどうかを理解した方がいいということもありますよ。

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;舟橋左斗子)

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