根本仏教講義
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20.ブッダの育児論
(3)楽しく子供を教えよう
A・スマナサーラ長老

 先月は、子供というのは、専門課程の揃った大学のようなものだというお話をしました。研究課題がたくさんありますが、ひとつひとつ、工夫を凝らしながら、また楽しみながら、こなしていかなければなりません。

■子供の性格を見極める
 小さい子供のいるお母さんにお話したいのですが、子供が寝ているでしょう?

 目が覚めたときの子供を見てください。そのときの態度が、その子の基本的な性格です。そこで、その子をどう育てればいいのかが発見できます。子供の性格がわからないというのはさびしいことです。子供がニコニコと笑って遊んでいるときは性格があまり見えないのです。すごく怒ってキャーキャー泣いているときも、あまり性格は見えません。目が覚めた瞬間というのは、自分ひとりなんですね。ひとりで目が覚めたら、子供はどんな行動をするかということです。そこで、子供の基本的な性格が見えるのです。そこに合わせて育てればいいのです。

 具体的に言うと、子供は目が覚めたとたんに泣くのですが、誰かがそばにいたら泣かない子がいるのです。それはさびしがりやですね。一人でいたくない子です。では、目が覚めたらすぐ泣き、母親が来て抱っこして慰めてあげない限り泣き止まない子はどうでしょう。目が覚めたらとにかく機嫌が悪い。この子は結構わがままなのです。赤ちゃんだから見えないだけで、大人になったらかなり激しい性格になる。また、目が覚めたとたん、なんということもなく、すぐに笑う子もいる。一人でも笑って遊ぶという子もいるんですね。この子はかなり明るい、それほど手がかからない子ですね。それでもちょっとした引っかけがあります。時々、小さいときから大人の機嫌をとろうとする子がいるのです。誰に対してもよく笑って、おばあちゃんにも、おじいちゃんにも、兄弟にも、誰にでもすぐ抱っこしてもらう。そうやってみんなの機嫌をとろうとする子もいます。それも一つの性格なのです。そういう子はもしかすると、悪く言えばずるがしこい人間になる場合もあります。

 親の仕事というのは、子供がどんな性格であれ、その性格を見極め、いい方向へ持っていくことです。たとえものすごく我が強く荒っぽい赤ちゃんであっても、コツコツ教えてあげればいいのですからね。基本的な性格はどうであれ、よい方向へ育てるのが親の仕事なのです。そういうふうに、子供というのは大学だと思って接すると、結構やりがいがあると思います。自分の頭をかなり鋭く回転させないといけませんから、大変ですよ。たとえば言葉をしゃべるようになると、何でも聞くでしょう。「あれは何? これは何?」と何でも聞くのですが、正確に教えてもわかるわけがないのですから、結構困るんですね。そこが親の宿題、研究課題なんです。

■ボクはどこから来たの?
 子供の質問には2つあります。1つめは、子供は特に本気で聞いているわけではない、そんな質問です。ただ、はじめて習った日本語を訓練しているだけなのです。単語を覚えなくてはいけないから何でも「あれ何?」と聞く。米を洗っていると「何で米を洗うの?」と聞く。「汚いから、きれいにするためよ」と言うと、「何できれいにするの?」と。そのぐらいのことは答えられますが、「何でスイッチを入れるの?」とか「何で待っているの?」とか、とにかく何でも「何で、何で?」ともうやりきれないくらい聞くのです。このような場合、子供は言葉を覚えている段階です。それが終わったら、情報を獲得する段階に入るのです。その2つめの段階では、ちゃんと論理的に情報を与えてあげなくてはいけないのです。ごまかしてはいけません。大学なのだから、しょうがないでしょう。難しいからやめたいということはできません。

 いろいろな質問をすると思いますが、子供が一番知りたがるのは、自分がどうやって生まれてきたかということです。一番説明しにくいところなのですが、子供はそれを知りたいのです。それも自然の流れの中で答えていくしかありません。なぜならば、子供はもう自分の存在に気づいているのです。親に大事にかわいがってもらって元気に生きている。そういう自分はどういうふうに出てきたのかという自分に対する興味なのです。そこで、コウノトリが運んできたとか、何の根拠もない嘘は言わないほうがいいのです。 兄弟で、2番目の方は教えやすいのです。

1番目は難しい。1番目の子を育てる場合は経験がないのですから。上の子に教える場合は、2番目の子がおなかにいるんだよと言うことはできます。おなかが大きくなってくるのですから、その質問は必ず出て来るはずです。聞かれれば、ためらうことなく、本当のことを言えばいいのです。おなかの中にこういうふうにできたんだと言えばいい。子供にはあまりわかりませんが、でも本当のことを聞くと、何か大変なことだということは認識するのです。

 キウイという果物がありますね。あれは蔓が2つないと実りません。おしべとめしべは、それぞれ別の蔓で花開くのです。だから実らせたければ、ちゃんと育てないと実らないのです。そこで、ある子供が母親に「何でおしべとめしべがないと果物が実らないの?」と聞く。親は説明できなくて私に聞くのです。私はなんということもなく、普通に学校で教えるような感じで教えたのです。すると次の質問は「何でそういうふうにならなくちゃいけないの?」と。それで私は「世の中どこでも見てみなさい。鳥でも動物でも、2人いっしょになって子供をつくるでしょう」とDNAのことまで話して、「でも、そういうふうにお互いが混ざっても病気にはなりません。元気で健康で生きられるのです。もしそうやって混じりあうことがなければ、すぐになくなっちゃいますよ。あなたがよく知っている恐竜や、昔の色々な動物は絶滅してしまいましたね」と。それで子供はわかったかわからなかったかはわかりませんが、とにかく一応納得したみたいです。ですから「子供にはそんなことはわからない」ということではなくて、理解できるように色々な方法を使って教えることが先生の仕事なのです。先生というのは親のことですよ。

■親は漫才師になろう
 それから教え方ですが、楽しく、子供が興味を持つように教えてあげることが大切です。

 お母さんたちの様子をジーっと見ていると、えらく清潔好きなのですが、頭だけ清潔感が強すぎて、実際には不潔なのです。子供の服が汚れていても、たいしたことはないのです。食べるとき、両手や顔中にご飯をつけていても、たいしたことはないのです。でも、床や畳など、みんなが歩くところを子供はべたべたと手で触り、床にご飯がちょっと落ちたら拾って食べますが、大体の場合、親は何も言わない。でも床は、一見きれいに見えてもほこりや細菌だらけです。子供の手は小さく、ネコの手みたいな感じで大人の手よりもふっくらしていますから、ピッタリほこりや細菌がつくのです。見た目の清潔さではなくて、論理的な清潔さが本当は必要です。

 その場合は、子供にちょっとしたドラマで教えてあげればいいと思います。「あっ、手の中に細菌がいっぱいだ」とか「お母さんのとこに来ないで。細菌だらけで汚いよ」とか「ああ怖い」とか、ちょっと冗談で「私の食べ物だけには触らないで」とか、そういうふうにちょっと言うと、子供はすぐに勉強するんですね。「ちゃんと手を洗いなさい」と命令するより、言われることの中にもそれなりの理屈があるんだと気づかせてあげることです。大体どんな子供でも、漫画など、おかしいことが大好きです。何で子供はあれほどポケモンが好きなのでしょう? 大人からみれば、なんだこれ?

 という感じですが、あれはおかしいから、変だから、子供は好きなのです。ですから、本当は子供をしつけるのは簡単なのです。何か言うときにはドラマティックにオーバーに言えばいいのです。自分が漫才師になって、ちゃんと演じてみせる。それは親にとっても、すごくリラックスできる気持ちのいいものだと思いますね。日常生活のことは、ちょっとドラマにしてみてはいかがでしょう。手を洗わずにご飯を食べたらお腹をこわして吐いてしまって色々苦労することを、自分勝手なドラマにしておもしろおかしく話してあげると、子供は聞いてないふりをするのですが、ちゃんと聞いているのです。

 たとえば文字を教えるときでも、いろいろなストーリーや遊び、恐竜やモンスターなど、子供の好きな言葉を使って言うと、早く覚えることができます。子供がひらがなの“ほ”という字を書こうとして“ま”という字を書いたとする。それなら「“ほ”という字には付き人が必要だよ。連れがいるんだよ。でも“ま”は一人でもまあまあ大丈夫だ」などと、これは私が今考えた例ですが、それなりに色々ストーリーを作って教えてあげるといいと思います。たとえばシンハラ語の“n(ナ)”と“t(タ)”はとても似ているのです。ちょっとの差で子供には区別できないのです。子供にとっては、これはえらく苦しい、大変なことなのです。だから子供に教えるときには「“ナ”はね、おなかがすいて上を向いているのです。“タ”はお腹がいっぱいで、もういらないと言って下を向いているんだよ」と話します。シンハラ語では、ご飯のことも“た”という言葉を使います。だから、おなかがいっぱいになって、もういらないと言って下を向いていると言えば、ちょっとしたストーリーですが、そのストーリーですぐに覚えてしまうのです。このように子供の世界はいつでも楽しみでいっぱいなのです。ですから、子供に教えるときはいつでもおもしろさ、楽しみというのを利用して指導した方がいいのです。

 文字を教えることは学校の先生の仕事かもしれませんが、親の大事な仕事は人間を育てることです。つまり道徳を教えること。でもそれは、どうやって教えればいいのでしょう? たとえば「怒ってはいけない」ということは、どのように教えればいいのでしょうか? 

■子供は論理的な生き物である
 それは、自分の家庭の環境から教えてあげてください。簡単な例で言えば、たとえば子供が怒ったとき「お母さんがカンカンに怒るのは好きですか」とか「怒られるのが好きですか、かわいがってもらうのが好きですか?」と聞くんです。答えは決まっていて、誰でも怒られるのは嫌いなのです。「あなたが怒ると、お母さんもいやですよ」とか、あるいはちょっとオーバーに「あ〜もうすごくいやですね」と言えば、怒ってはいけないということがなんとなくわかるでしょう。なんでもそうやって例を出して言うのです。

 大人より子供の方がずっと論理的なのです。大人から見れば「子供だ」という気持ちがあるのですが、すごく論理的なのです。たとえば子供はよく変な絵を描くでしょう。大人は「どうせ子供の絵だから」と言いますが、そこには理屈があるのです。たとえば人間の頭の上に花がある絵を描いた。頭の上に花が咲くはずがないのですから、どう見ても変なのです。そこで「子供だからそんな変な絵を描くのだ」で終わらせるのではなく、子供に聞いてみてください。「なぜここに花があるのですか?」と。もしかするとその子は「この人は花畑で寝ていたんだよ。だから頭に花がついているんだよ」と言うかもしれません。その場合その子は、花畑で寝ていた人が気持ちよく起きたところを描いているのです。でも表現力がないから大人にはわからないだけのこと。聞いてみれば論理的なのです。

 ある子が、ちょっとした街の絵を描いて、人も描いて、それからその上を全部線で消してしまったことがあります。消してから、偉そうに私のところに持ってくるのです。「絵を描きました」と。大人から見れば、描いた絵を茶色のクレヨンで消してあれば、もしかするとこの子は病気ではと思うかもしれません。でも私は何の感情もなしに「君はこの絵を全部消してしまったんですか」と聞いたのです。すると子供は「これは雨の音」と言うのです。つまり、子供は雨の中の街の絵を描いたのです。子供にとって雨の音は結構気になるものなのです。すごい音ですからね。だから音も描きたいのです。それで音を強引に描こうとした結果、絵が全部消えてしまったのです。子供というのは、ふざけて遊んでいるのですが、ちゃんと論理的にものごとを考えているのです。ですから私たちも、子供にしつけをするときは丁寧にした方がいいのです。子供は論理的なのです。すごくゆるやかなやさしい論理を持っているのです。
(この項つづく)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;舟橋左斗子)

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