根本仏教講義
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20.ブッダの育児論
(4)子育ての秘訣
A・スマナサーラ長老

 前回は、親の大事な仕事とは、子供を善い人間に育てること、つまり道徳を教えることだというお話をしました。道徳を教えるときは、家庭環境の中から、子供が理解できるようにわかりやすく教えることが大切です。

■親が教える道徳は宝物
 私がまだ幼い頃の話です。鳥を捕まえようとして罠をしかけて、鳥がエサを食べに来るのを待っていたことがありました。そこをちょうど母親に見つかってしまったのです。母親は私にこう言いました。「誰かが罠をしかけて、あなたを捕まえて、どこか知らない場所へ連れて行って、檻に入れて、逃げられないように外から鍵をかけると、あなたはどんな気持ちになるの?」と。その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中には、自分が誰かに捕まえられて檻に閉じ込められる、というイメージがはっきりと浮かんできたのです。「あーなんて恐ろしいことか、こんなことをやってはいけない」と心が痛くなりました。このようにして私の母親は、生命を大事にすること、正直になること、約束を守ることなど「どんな人間で生きるべきか」という道徳をすべて、日常生活の中で私がイメージできるように、わかりやすく教えてくれたのです。

 ときどき、母親は病気になりました。そんなときでも、子供たちは「ご飯はどうするの?」とわがままを言うのです。そうすると、母親は「私はもう歳だからすぐに死んでしまいますよ。君たちはいつまで親に甘えるつもりですか? 自分のことを自分でできなかったら生きていけませんよ」と言って、私たちに独立する大切さを教えてくれました。

 それから兄弟で喧嘩をしているとき、母親は「私は先に死んでしまうけど、その後も君たちはいっしょに生きていかなくちゃいけないんだよ」と言い、そう言われると「あー兄弟喧嘩はいけないな、いつまでもお母さんが来て守ってくれるわけではないんだ」という気持ちになって、兄弟で仲良くすることや助け合うことを学んだのでした。

 また、母親は、私が手伝いをするなど善いことをしたときはほんのちょっと褒めてくれましたが、一日中遊んでいたら「あんたもいるんですか」という態度で私を無視するのです。そういう母親の態度から私が何を学んだかといいますと、人に助けてほしければ、面倒をみてほしければ、自分が努力しなければならない、ということです。他人に協力していただくことはただで貰えるものではない、ということ。この戒めは私が13歳のとき親元を離れて出家して、まったく知らないお寺の世界に入ったときも役に立ちました。お寺の長老に親切にしてもらえなかったら困るのは自分だ、ということをちゃんと理解していましたから、長老にかわいがってもらえるように、自分の方からいろいろと善いことをしていたのです。大学に入ってからも同様に、賢くて学識がある教授たちに対しては、自分なりにいろいろ工夫してアプローチしました。そうすると教授たちは専門的な知識だけでなく、人間として生きる上で大事なことを何から何まで親切に教えてくれたのです。おかげで、私はお寺にいるときも大学にいるときも、気持ちよく生活できたのです。

 親が教える道徳は、子供にとって一生役に立つ『貴重な宝物』なのです。親の一番大切な仕事とは、子供に道徳を教え、善い人間を育てることにほかなりません。正直で、忍耐強く、自分で決めたことは文句を言わずに最後までやり遂げる。どこにいても、どんな仕事に就いても、道徳的で立派な人間で生きていられる人格を形成することなのです。

■愛情を捨てて『慈しみ』で育てる
 次のポイントです。ほとんどすべての親は、子供に対して強烈な愛情を持っています。この親の愛情、仏教ではこれを執着とか愛着といいますが、これは大変危険な猛毒で、苦しみしかつくらないのです。「子供のためなら何でもする、命も惜しまない」などと愛情で頭がいっぱいになりますと、頭が狂って物事が見えなくなり、何もわからなくなってしまうのです。そして、がまんできないほどの苦しみが生まれてくる。頭が狂った人は何をするかわからないでしょう。ひどいときには、子供のためだと思って人殺しでもするのです。親の愛着は、子供にとっては耐え難い精神的な負担なのです。親は子供のために命までかけるつもりでいても、子供はできるだけ感情に狂っている親から縁を切ろうとするのです。愛着は、親子関係まで壊してしまうものです。

 そこでお釈迦さまは、「愛情ではなく慈しみで育てなさい」と教えられました。子供にとって必要なのは、愛情ではなく慈しみなのです。慈しみとは「この子は私のものではない。地球上に生まれてきた大事な人間です。この子が間違いを起こさず幸福でいてほしい。責任感のある立派な人間に育ってほしい」という気持ちのことです。

 たとえば自分の子供が学校で友だちをいじめたとしましょう。親が学校に呼び出されると、たいてい今の親はこう言うのではないでしょうか?「うちの子がそんなひどいことをするはずがありません」と。子供が問題を起こすのは、親のやさしさが足りないことに原因がある場合が多いのですが、子供が問題を起こすと、偉そうに「お母さんは嘘をついてでも、あなたを守ってあげます」という態度をとるのです。子供でさえ自分がやったことはよくないとわかっているのに、こういうときだけ“やさしいお母さん”を演じて子供の弁護にまわるのです。それでは子供の性格が歪んでしまいます。

 世の中には道徳や倫理、秩序というものがありますから、子供が悪いことをしたら、親は落ちついて「なるほど、うちの子が悪い」と認めることが大事なのです。慈しみがあれば、子供にこう教えることもできるでしょう。「君が悪いことをしたら君の責任ですよ。いつまでも親に守ってもらえると思ったら、それは大間違い。親には何もできません。君は世の中の人間だから、世の中の道徳を自分で理解して行動しなくてはいけないんだよ」と。正しい子育ての秘訣は、『愛情を捨てて慈しみで育てる』ということです。

 それから、出家の世界でも子供を育てることがあります。お寺には小さい子供たちが親元を離れて出家してきますから、その後はお坊さんたちが親代わりになって子供の面倒をみるのです。ふつう大人が子供の面倒をみていますと、どうしても『愛情』というものが湧いてきます。しかし、愛情は執着であって苦しみしかつくりませんから、仏教の世界では、厳密にそれを戒めて禁止しているのです。子供にとっても、他人が自分のことを愛着を持って育ててくれると、ストレスを感じて苦しくなるのです。たとえば養子縁組という制度があるでしょう。幼いとき施設にいた自分を、誰か見知らぬ人が引きとって、我が子のように育ててくれる。18歳ぐらいになって「この親は自分のほんとうの親ではない」ということがわかると、ショックを受けるのです。なぜなら、これまで好き放題にわがままを言って、喧嘩したりして、さんざんこの両親を困らせてきたのですから。それで「申しわけない」という気持ちが生まれてきてストレスがたまるのです。また、育てた親も悲しいのです。彼らはほんとうにこの子を“我が子”だと思っているのですが、子供は「自分を産んだ親はだれですか」と訊いて、産みの親を探すのですから。お互いに苦しいのです。

 そこで仏教が薦めるのは「愛情を捨てて慈しみで育てる」ということ。慈しみで育てれば、子供には「申しわけない」という暗い気持ちではなく、「ありがたい」という感謝の念だけが残りますから、二人の人間関係が壊れることはないのです。「この子は地球の人間であって、自分のものではない」という慈しみで育てるなら、互いの信頼関係はずっと続いていくのです。結論を言いますと、子供を一人前の人間に育てることだけを考えていれば、何の問題も起きません。短い言葉で覚えておいてください、親の仕事は「子供の人格を形成すること」です。

■ 誕生から死まで幸福に生きる
 仏教は子供を育てるといった育児論だけに留まらず、もっと大きな視点から見て、生まれてから死ぬまで私たちはどのように生きるべきか、どのように心を育てて幸福になるべきか、という人間論を説いています。それをまとめた経典があります。これは大変有名な経典で『吉祥経』(Mangala Sutta/Sutta Nipâta 258-269)と言い、古くから仏教徒のあいだで親しまれています。ここではその中のいくつかを、子育てのポイントをまじえて紹介したいと思います。

悪い性格の人と付き合わない
 子供は周りの人から強い影響を受けて育ちます。たとえば、親が関西弁をしゃべっていると子供も関西弁をしゃべりますし、フランス語をしゃべっているとフランス語をしゃべります。また、乱暴な言葉を使っていると子供も乱暴な言葉を使うようになります。子供は『真似の名人』なのです。なんでも真似るのですから、悪いことは真似しないように良い環境を与えることが大切なのです。たとえ自分がだらしない性格でも、子供が生まれたら、そのときからは行儀よく正しく生きる人間にならなくてはいけません。話をするときも、ご飯を食べるときも、何をするときもよく気をつけること。それは子供のためだけでなく、自分のためにもなります。

善い人と仲良くする
 子供には、良い性格の人、道徳的で智慧のある人と仲良くさせてあげてください。別に、同じ年頃の子供でなくてもいいのです。むしろ年上の方が、子供は成長するのではないかと思います。

 むかしの社会は大きくて、村全体で子供を育てていましたから、子供の遊び相手はいつも同じ年頃の子供とは限りませんでした。ときどき、16才の男の子が3才の子の遊び相手になることもありました。それは互いにとって良いことで、16才という年はちょうどふざけるのが好きな年頃ですが、3才の子といっしょにいるときは、ふざけるわけにはいかないでしょう。何かあったら、親のような気持ちで「それは危険だよ」とやさしく教えたり、面倒をみてあげなければならないのです。そうすると、16才の子の性格もしっかりしてきますし、3才の子も知らないことをいろいろ覚えられますから、お互いにとって良いことなのです。
 子供には年齢の差に関係なく、道徳的で、善悪をきちんと判断できる人と仲良くさせることがとても大切です。

尊敬に値する人を尊敬する
 日本でときどき見られることですが、親が子供に「ごめん」と謝るのです。実際に、私は子供が親に向かって「謝れ!」と怒鳴っているのを見たことがありますが、私から見れば、親は子供に対して謝るようなことは何もしていない。本当は子供が悪いのに、子供は「自分のわがままを聞いてくれなかった親が悪い」と腹を立てているのです。最近の子供たちは、『親を敬う』といった大事な道徳を忘れているのではないかと私は思うのです。

 数年前、家族で日本に来たスリランカ人と話していたときのことです。スリランカには、仏法僧に礼をするのと同様に、両親にも礼をするという習慣がありまして、この両親も自分の子供に「親に礼をする道徳を教えたい」と言うのですが、なにしろ日本にはそのような習慣がありませんから、なかなか教えられないと言うのです。もし、おじいさんやおばあさんがいっしょに暮らしているのでしたら、簡単にそれを教えることができます。たとえば、父親と母親がおじいさんとおばあさんに礼をするでしょう。子供は“真似っこ”ですから、それを見ると子供もおじいさんとおばあさんに礼をするのです。そのときおじいさんとおばあさんが「お父さんとお母さんにも礼をしなさい」と言って教えることができるのです。礼をすることは楽しいことですから、子供にはその習慣がすぐに身についてしまいます。

 それで、この家族にはおじいさんやおばあさんがいませんから、このように教えることができない。親が子供に「親に礼をしなさい」と言うのもいやでしょう。でも仕方なく言ったらしいのです。そうすると子供はこう聞き返したそうです。「同じ人間なのに、なぜ子供は親に礼をしなくちゃいけないの?」と。それでこの両親は何も答えられなかったのだということで。

 幼少の頃から両親や先生を敬うことを学ばなければなりません。もし子供に「なぜ先生に礼をしなくちゃいけないの?」と聞かれたら、「だってお前はまだ何も知らないでしょ? これから先生がいろいろなことを教えてくれるんだよ。お前が尊敬の心をもって礼をすれば、先生も親切に教えてくれますよ」と。それから「どうしてお父さんに礼をしなくちゃいけないの?」と聞かれたら、「だってお父さんは外で一所懸命仕事をして、私たち家族を養ってくれるんだからね。だからちゃんと礼をしなさい」などと教えることができるでしょう。
(この項つづく)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;出村佳子)

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