根本仏教講義
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22.智慧ある人は愉しんで生きる
(4)今の瞬間を生きる
A・スマナサーラ長老

 世の中のあらゆるものは一瞬たりとも止まることなく動きつづけています。「生きること=無常」であり、これが存在の法則なのです。 (前号から続きます)

無常には逆らえない
 
 そこで私たちが何をやっているかといいますと、無常に逆らおうと必死にもがいているのです。歳をとっても若い頃のようにスタイルが良く、肌がきれいで、体力があり、健康でありたいと頑張っています。でもどんなに頑張っても、老けるし、病気になるし、体力は衰えてゆきます。そして最後には必ず死がやって来ます。命は無常なのです。この現実をありのままに認めるとき、私たちは初めて心の安らぎを味わうことができるのです。というのも短い人生のなかで、喧嘩したり、貪ったり、愚かな行為をしたら損だということがわかるからです。その代わりに善行為をして人生を有意義に過ごそうとしますから、結果として、愉しく充実した人生が送れるのです。

 ですから「無常」ということを理解してください。絶対に怒らないぞと決心しても、つい怒ってしまうという人は、無常を理解したほうがいいのです。無常を理解できれば、貪瞋痴が消滅して、無量の幸福を味わうことができるのです。

気づき
 
 では、どうすれば無常を理解することができるのでしょうか?
 具体的な実践方法としては、今やっている行為に「気づく」ことです。手を上げているとき、今手を上げている、歩いているとき、今歩いている、立っているとき、今立っている、水を飲んでいるとき、今飲んでいる、と今の瞬間の行為に気づくことです。この気づきを瞬間瞬間つづけていくうちに、やがて無常を発見することができるのです。どういうことかといいますと、たとえば何か嫌なことがあって怒ったとしましょう。そのとき「今怒っている」と気づくと、怒りがスーッと消えるのです。嫉妬しているとき「今嫉妬している」と気づくと、嫉妬が消えるのです。妄想しているとき「今妄想している」と気づくと、妄想が消えるのです。これが無常ということなのです。

 しかし私たちはなかなか「今」の瞬間に気づくことができません。ほとんどの時間を、過去や未来のことを妄想して生きているのです。生きているのは今だけですから、今をしっかり生きなければならないのに、今の瞬間を忘れて過去や未来のことばかり考えているのです。たとえば会社で仕事をしているとしましょう。体は会社にあっても、心のほうは妄想の世界で遊んでいるのです。仕事が終わったらどこの飲み屋に行こうかとか、週末は何をしようかなどと別のことを考えているのです。それでどうなるかといいますと、今やるべき仕事が疎かになって失敗するのです。あるいは、学校やどこかで勉強しているときもそうです。一見まじめに講義を聞いているように見えますが、本当はほとんど聞いていないのです。心は過去や未来のことに飛び回っていますから、一時間講義を聞いていても、せいぜい一、二割ぐらいしか頭に入っていないのです。

今の瞬間の完成
 
「夢や希望をもって明るく生きることが大切だ」と考えている人も多いでしょう。自分の会社を設立したいとか、もっと収入のいい職に就きたいとか、有名になりたいなど、いろいろ理想を描いて夢や希望で心がいっぱいになっている人は、決して幸福になれません。心が未来に引っ張られて、現実離れの状態になっているのです。それに、夢や希望を実現させるためには並々ならぬ努力をしなければなりません。お金が欲しいという人は、今より何倍もの仕事量をこなさなければなりませんから、家族と過ごす時間も少なくなりますし、ゆっくりくつろぐ時間もなくなるでしょう。それでへとへとに疲れて苦しむのです。一流大学に入ることを目指している学生さんは、やりたいことを我慢して、毎日毎日猛勉強しなければなりません。それで希望の大学に受かればいいのですが、落ちた場合には大変な失望感と挫折感を味わうのです。このように夢や希望を持っているがために、私たちはたくさんの苦しみを味わっているのです。

 そこで仏教は「今の瞬間をしっかり生きなさい」と教えています。受験生なら、先の試験のことを心配するのではなく、今やるべき勉強をしっかりやればいいのです。それで勉強しているときに心が過去や未来のことを妄想し始めたら、すぐに「今妄想している」と気づいてください。そしてまた勉強に戻ればいいのです。大事なのは、何をしているときでも、今起きている現象に気づくことです。疲れたら「疲れている」、嫌になった「嫌になっている」、妄想が現れたら「妄想している」と気づいてください。それだけでいいのです。試験に合格してやろうとか、妄想を全部無くしてやろうと気負う必要はありません。今この一瞬のことだけに気づけば、それで充分なのです。どんな人でも「今の瞬間」だけなら簡単に気づくことができるでしょう。このことをよく覚えておいてください。あとはその気づきを持続させればよいのです。そして瞬間瞬間の現象に気づくことによって、心は穏やかになり、充実して生きることができるのです。お釈迦さまは説かれました。

 Atîtam nânvâgameyya,
 nappatikankhe anâgatam;
 yadatîtam pahînam tam,
 appattanca anâgatam.
 Paccuppannamca yo dhammam,
 tattha tattha vipassati;
 asamhîram asankuppam,
 tam vidvâ manubrûhaye.
 
 過去に引きずられず
 未来を期待しない
 過去はすでに終わり
 未来はいまだ現れてない
 現在の法(現象)を
 その場その場で観察する
 しかし現在にも実体がないことを知る
 そのように知る人に、成長がある

 過去に引きずらないことと未来を期待しないことについてはこれまでお話してきました。そこで「現在」というときも、実体がなく一時的なものなのです。このことを理解する人は、心が成長して幸福になるという意味です。

 Ajjeva kiccam âtappam
 ko jaññâ maranam suve;
 na hi no sangaram tena,
 mahâsenena maccunâ.
 Evam vihârim âtâpim,
 ahorattamatanditam;
 tam ve bhaddekarattoti,
 santo âcikkhate muni.
   (Majjhima Nikâya 3.187)

 今日のうちに努力すべきである
 明日は死なないと知る方法はない
 死王の大軍隊と関わりをもってはならない
 このように努力する人の日々は好日である

 「明日は死なないと知る方法はない」を分かりやすく言いますと、「明日も生きている保証はない」ということです。今日生きているからといって、明日も生きている保証はないのです。

 「死王の大軍隊と関わりをもってはならない」とは、いわゆる「ものがある」という見方のことです。お金がある、家族がいる、仕事があると、何に対しても「ある」と思うことです。しかし実際には「ある」のではなく、相対的で一時的なのです。たとえば仕事があると安心していても、それはリストラや定年になるまでのことでしょう。「ある」と錯覚して世の中のさまざまなことに引っかかると、ものの奴隷になって苦しみます。これが悪魔の世界、つまり死王です。死王の大軍隊とは、この世の中のことです。そして私たちは死王の大軍隊に手も足も体もすべて縛られているのです。「ある」と見るときも縛られていますし、「ない」と見るときも縛られています。これを死王というのです。

 最後にお釈迦さまは「今日のうちに努力する人の日々は好日です」と説かれています。
日本では「日々是好日」という言葉でよく知られています。では、どうすれば日々好日で生きられるのかといいますと、
 過去に引きずられないこと、未来を期待しないこと、そして今の瞬間を観察して正しく生きること、
これで毎日を愉しく生きることができるのです。
今の瞬間も過去や未来と同様に、すぐに消え去る煙のようなものですから、それに囚われないことが大切です。この実践を今すぐにやってください。明日では遅いのです。今すぐやらないと明日生きているという保障はありませんから。

(次号に続きます)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;出村佳子)

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