根本仏教講義
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23.刺激論 【新連載】
(1)眠っている頭
A・スマナサーラ長老

 「生きる」とは何でしょうか? 皆さんはあまり考えたことはないかもしれませんが、「生きる」とは、言い換えますと「刺激を受ける」ということです。人間だけでなく、動物や鳥、魚、微生物、神々、霊、悪魔など、すべての生き物が、刺激を受けて生きているのです。

何を知っているのでしょうか?

 人間には、情報を受信するために眼耳鼻舌身意という六つの器官があります。眼で色や形の情報を受け、いろいろなものを見ています。耳で音の情報を受け、いろいろなものを聞いています。そこで質問です。皆さんは本当にものごとを見たり聞いたりしているのでしょうか? 本当のところ、私たちはしっかり見たり聞いたりしていません。何をしているのかというと、眼や耳からいろんな刺激を受けて「美しい、いい音だ」などと、ただ刺激に酔っているだけなのです。鼻では匂いを、舌では味を、体では感触の情報を受けていますが、これらに対しても客観的に「明確に知ろう」という気持ちはなく、ただ「いい香りだ、おいしい、心地いい」などと刺激を受けて楽しんでいるのです。また意(頭)でも、論理的に具体的に考えることはしません。「ああだ、こうだ」とあらゆる妄想をして、頭を刺激だらけにしているのです。このように、人間は眼耳鼻舌身意の六つの器官で情報を受け取っていますが、しっかり見ようとも聞こうともしていません。匂うことも、味わうことも、触れることも、考えることもしないのです。ただ刺激に酔って、舞い上がって生きているのです。

 以前、面白いテレビ番組がありまして、ゲストの芸能人に目隠しをして、ある食べ物を食べてもらい、「何を食べたか」を当てるという番組でした。その日は高級なふぐの刺身を食べてもらったのですが、ゲストのなかの、ある若い女優は口に入れたとたん「いやだ、何これ!」と飛びあがり、四十歳ぐらいの女優は「なんだこの味は、こんにゃくみたい!」と言うのです。ほかにも数人のゲストがいましたが、正解した人は一人もいませんでした。彼らはみんな有名人で、毎日のように贅沢なものを食べている人たちです。普通の生活をしている私たちには、ふぐの刺身を食べる機会など滅多にありませんが、こういう人たちはもしかすると月に一度ぐらいは食べているかもしれません。ですからこれまでに何度も食べていて、当然ふぐの味を知っているはずなのに、目隠しをして口に入れたところで「こんにゃくみたい!」と言うのです。結局、彼らは味も歯触りも何も分かっていないのです。ただ一流の料亭で極上のふぐ料理を食べて「あーおいしい、生きていてよかった」と贅沢気分で、麻薬中毒みたいに酔っているだけなのです。また、私たちも毎日必ず何かを食べていますが「おいしい、おいしい」と感情的に食べているだけで、味にはまったくの鈍感。全然分かっていません。頭は眠ったままなのです。

 同様に、見るときも見ていませんし、聞くときも聞いていません。先ほどのテレビ番組でも、出演者たちは皆それぞれ、いろんなことを喋っているのですが、客観的に聞いてみると、内容は何もないのです。ただ笑ったり、驚いたり、キャーキャーと音を出しているだけ。ちょうど数羽のカラスが群がってカァーカァーと鳴いている、そんな感じに聞こえるのです。

 絵を鑑賞するために美術館へ行ったのに、絵を全然見ようとしない人がいます。何をするのかといいますと、これは何年に描かれた絵だとか、絵のタイトルとか、作者とか、そういうところを見て「すばらしい、感動した」と言うのです。美術館に行ったなら、絵をしっかり見て何かを感じとることが大切なのに、全然見ようとしないのです。

 本を読むのが好きで、暇さえあれば本を開いている人もいるでしょう。でも本当に読んでいるのでしょうか? 読んでいないと思います。その証拠に、この本はどういう内容ですかと訊いてみると、ちゃんと応えられません。意味も掴めてないし、内容もほとんど覚えていません。眼は活字を追っていても、頭は全然働いていないのです。

刺激依存症

 このあたりをよく研究してください。私たちは本当にものごとを見ているのでしょうか? 本当に人の話を聞いているのでしょうか? いいえ。私たちはただ快楽を欲しがり、感覚器官から刺激を受けて楽しんでいるだけなのです。これは人間だけでなく、すべての生命に当てはまる病気です。どの生命も「刺激依存症」で、刺激が無いと生きられないのです。

 たとえば私が講義をするとき、論理的に知識的に淡々と話をすれば、短い時間で終えることができます。でもそうやって話しても、皆さんの頭にはなかなか入らないのです。なぜでしょうか? 刺激が足りないからです。刺激が足りないと、誰も聞こうとしません。ですから話しをする側としては、いろいろ工夫して、話のあちこちにスパイスを加えて、刺激をたくさん与えなければならないのです。そうすると皆さんも耳を傾けて聞くようになるのですが、問題は、皆さんの中には話の要点をそっちのけにして、面白い話や批判的な話など、刺激のところしか聞かない人もいるのです。そういう人たちは刺激を楽しんでいるだけですから、何度仏教の話を聞いても、心が成長する見込みはありません。

網に囚われた生命

 このように、生命は刺激に酔って無明のなかで生きています。「今、何が起きているのか」ということにはまったく気づきません。光の無い暗闇で、眼が見えないまま生きているのです。

 Andha bhûto ayam loko tanuk'ettha vipassati
 Sakunto jâla mutto'va appo saggâya gacchati.
     (Dh.174)

 すべての生命は盲目である
 観察する人は稀である
 網を破って自由になる鳥が少ないように
 天界に至る(解脱を得る)人は少ない

 カラスは鳥のなかでも結構頭が良い鳥です。鋭いくちばしも持っています。都心の、ゴミ捨て場には網が掛けてある所が多いのですが、もしそこに好物の餌があれば、カラスはくちばしで網を上げて餌を取ります。もし取れなかったら、破ってでも取るのです。あの網はかなり丈夫なビニールでできていますから、鋭利な刃物でないと切れません。でも、カラスはその鋭いくちばしで網を突き刺して破るのです。ある意味で、カラスはすごく頭のいい鳥です。しかし、自分の体に網を掛けられたら、もう終わり。何もできません。このときカラスは網を破ることは考えずに、脅えて逃げようとするのです。逃げようとすればするほど、体に網が絡みついて身動きがとれなくなります。人間も、ちょうどこのカラスのように、刺激という網に引っ掛かっています。刺激を求めれば求めるほど網に絡まって、ますます身動きがとれなくなるのです。この刺激の網を破って自由自在の境地に至ろうとする人は、ほとんどいません。 

経済的豊かさの裏

 経済的に豊かになればなるほど、私たちはさらなる刺激を求めて高価なものを追ってゆく傾向があります。たとえば野菜を買うとき、近所の店で普通の野菜を買えばいいのに、特別に栽培された高価な野菜を、わざわざ遠くの店まで買いに行くのです。そこで、普通の野菜と特別栽培の野菜はどのように味が違うのですかと訊いてみると、ほとんどの人はちゃんと応えることができません。国産の牛肉だと言って外国産の牛肉を出しても、気づく人は少ないでしょう。結局、私たちは「特別栽培の野菜は健康にいい」とか「国産の牛肉は安全でおいしい」などという先入観を入れて食べているだけで、実際の味ははっきり分かっていないのです。

 現代社会は進歩して快適になったと言われていますが、本当にそうでしょうか。刺激が増えて苦しんでいるだけではないでしょうか。パソコンやテレビなど新型の製品が次から次へと出てきています。マスコミが「これは高性能で便利なものだ」と宣伝すれば、みんな「それはいい!」と言って即座に応答します。そして「現代はIT時代だ、われわれは知識人で立派な仕事している」と偉そうな態度をとっていますが、本当のところ、現代人は情報という強烈な刺激の網に捕らえられ、まんまと騙されているのです。コンピュータは確かに便利なものですが、その反面で仕事が増大し、多忙になったのも事実でしょう。家族とゆっくり過ごすゆとりもなく、一日中仕事をしている状態です。結局、私たちは仕事の網に捕らえられ、仕事の奴隷になっているのです。

 (次号に続きます)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責;出村佳子)

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