根本仏教講義
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26.人生改良計画
(6)善友は仏道の全て
A・スマナサーラ長老

 自分を改良したい、改善したいと思うなら、便利で簡単な方法があります。それは、道徳的で立派な人とつきあうことです。人格的に優れ、智慧のある人と仲良くすることです。いわゆる、善友をつくるのです。どんな方法でもよいでしょう。その人の召使いになってもかまいません。つきあうことが成長するためのインタント法なのです。

 人格者に尽くすと自分の性格がだんだん良くなっていきます。良くならないわけにはいかないのです。そのぐらい私たちは他人の影響を受けやすいものなのです。今、皆さんは周りの人たちに影響されて生きているのではないでしょうか。周りを見て自分を調整しているのではないでしょうか。たとえば「あなたはなぜその服を買ったのですか?」と聞いてみると、だいたいは「いま流行っているから」とか「みんなが着ているから」と答える人が多いと思います。このように私たちは知らず知らずのうちに周りの影響を受けているのです。しかし残念ながら周りの人たちはそれほど立派な人格者ではありませんから、自分の性格もなかなか良くならないのです。

善友をつくるには努力が必要

 立派な人格者とつきあうのは簡単なことではありません。仏教では、親や教師、目上の人、道徳的な人は「善友」だと教えています。しかし、私たちはだいたいそういう人たちとはつきあいたがりません。「つきあいにくい」「厳しいからいやだ」「うるさい」と考えて煙たがるのです。人格がしっかりしている人とつきあうのは難しいに決まっています。なぜなら自分の性格がしっかりしていないからです。そこで、もし自分の人格を改善し、向上させたいなら、その人といっしょにいられるよう、自分が頑張って努力しなければならないのです。わがまま言い放題では、普通の友人さえも離れて行くでしょう。ここは自分が努力しなくてはならないポイントなのです。

 このように仏教では、人とつきあうなら、できている人、善人、人格者とつきあいなさいと教えています。

 ある日、アーナンダ尊者がお釈迦さまにこのように言いました。

Upaddhamidam, bhante,
brahmacariyassa yadidam kalyânamittatâ kalyânasahâyatâ kalyânasampavankatâ.
善友がいること、善友といっしょにいること、善友とつきあうことによって、仏道の半分が達成できると思いますが、いかがでしょうか。


 これに対し、お釈迦さまはこのように説かれました。

Mâ hevam, ânanda,
mâ hevam, ânanda.
Sakalameva hidam, ânanda,
brahmacariyam yadidam
kalyânamittatâ kalyânasahâyatâ
kalyânasampavankatâ.
         (Samyutta Nikâya)
アーナンダよ、そうではない。善友がいること、善友といっしょにいること、善友とつきあうことによって、仏道の半分ではなく、仏道の全てが完成するのです。

小さな幸福から究極の幸福まで

 善友とつきあうことには、次のようなメリットがあります。

 おわかりになるでしょうか。今生の幸福から来世の幸福、そして究極の幸福である解脱に至るまで、たった一つのことで実現できるとお釈迦さまはおっしゃっています。それは、「立派な人格者、つまり善友とつきあう」ことです。

単純に考える女神

 最後に、美しい女神の話をご紹介しましょう。ある女神が、お釈迦さまのもとに訪れてこのように言いました。
 「お釈迦さまはあらゆる方法でたくさんの説法をしています。その場その時、相手の能力や理解力に応じて、いろいろ分析しながら、たくさんの説法をしています。私は、お釈迦さまのあらゆる説法を考えて、自分なりに単純に詩句にまとめてみましたので、聞いてください」。そして次のように言いました。

 「生命のなかで生きているなら、悪いことを考えてはいけません。悪い言葉を話してはいけません。悪い行動をしてはいけません。それから欲を捨てましょう。日々瞬間瞬間のことに気づいていましょう。不幸になる苦しみは追いかけないように」

 この女神は単純に考える方だと思います。お釈迦さまが説いた膨大な量の教えを全部覚えるのは大変だから、自分なりに理解できるよう詩句にまとめ、それを覚えて仏教を実践していたのです。お釈迦さまは、この詩句にたいして何も言われませんでした。何も言わないということは、間違っていないということなのです。彼女が言ったことは非常に単純なように聞こえるかもしれませんが、ちゃんと的を射ているのです。

● 日常生活のなかで、無意味なことを考えない・喋らない・行動しない
● 欲張らない
● 妄想をやめて瞬間瞬間のことに気づく
● 苦しみを追うのではなく、苦しみから脱出する

死ぬときに持っていくもの

 二番目のポイント「欲張らない」ということについて少しお話いたしましょう。私たちは普通、欲で生きています。「自分を良くしたい」と思いながらも、結局は「ああなりたい、こうなりたい」「あれが欲しい、これが欲しい」と欲のことを考えているのです。服を持ちたくなる、家を持ちたくなる、お金を持ちたくなる、家族を持ちたくなる、地位や名誉、権力を持ちたくなります。人生を良くしよう、成功させようと思って、所有することを考えているのです。でも「何かを得よう」とすると、身体も心も固くなり、失敗しやすくなります。あまりにも欲が強いと、すべてパーになります。欲しいものが得られないだけでなく、今持っているものまでなくなるのです。

 それから死が訪れたとき、得た物はすべて置いていかなければなりません。財産を置いて死ぬのです。一つも自分のものではないです。家族がいても家族を残したまま自分が死ぬのです。あるいは逆に、家族が自分を残して先に死んでしまうのです。「これは私のものだ」と思っていても、死ぬときは全部置いて行かなければなりません。ですから物を獲得することに頑張ることは無意味なのです。

 しかし、死ぬときに持っていくもの、自分のものといえるものが一つだけあります。それは、性格です。死ぬとき、性格だけは置いていくことができません。ですから、生きているうちに清らかで良い性格をつくることが大切です。この世に置いていかなければならないものを必死に集めても意味がありません。持っていけるものを集めましょう。善行為、いわゆる功徳は、持っていくことができます。死ぬまでに何を獲得すべきかというと、功徳です。これは、自分といっしょなのです。
(了)

(スマナサーラ師講義より構成しました/編集;出村佳子)

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