根本仏教講義
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28.希望と欲望
(3)猛獣の扱い方
A・スマナサーラ長老

 「異常な欲望」(abhijjhâ)は「普通の欲望」とは違い、非常に危険なものです。ですから厳密に管理することが大切なのです。
  (前号から続きます)

 私たちの心には「檻に入った虎(欲望)」が住みついています。檻に入っているから大丈夫、危害はない、と思うかもしれませんが、だからといって虎が猫のようなかわいいペットかというと、とんでもありません。ただ檻に入っているから危害がない、それだけのことです。檻の扉を開けた瞬間、たとえ毎日エサをやって面倒をみていたとしても、虎は飼い主に襲いかかってきます。真っ先に誰を殺すかというと、ほかならぬ、飼い主なのです。
 同様に、異常な欲望が生まれたら、真っ先に攻撃され、殺されるのは、欲を出した自分です。ひどいときは周りの人たちも巻き込んで殺してしまうでしょう。ですから、異常な欲望は大変危険なものなのです。

欲望のもうひとつの顔

欲望とは言いにくいのですが、強い願望と言える感情がもうひとつあります。パーリ語でvyâpâda と言い、意味は「異常な怒り」です。これも異常な欲望(abhijjhâ)と同じで十悪に含まれ、とても罪が重いものです。

 Vyâpâdaとは、他人に害を与えたくなる気持ち、いわゆる暴力を振るいたいとか、他人を害したい、傷つけたいという気持ちのことです。それも、異常なほど。異常に他人を壊したくなるのです。社会にはときどき、突然怒りが爆発して自分と何の関わりもない人を殴るとか殺すとか、そういう異常な怒りを持つ人がいます。こういう人たちは精神的な病気で、ノーマルレベルを越えています。怒りを制御することができないため、何でもいいから壊したい、誰でもいいから殺してやりたいと心が絶えずイライラし、ある日突然、常識では考えられないような凶行に走るのです。

欲望と怒りはセット

なぜ異常な怒り(vyâpâda)のことを説明したかといいますと、欲と怒りはセットだからです。性質は正反対ですが、二つはセットになっています。ですから欲が強ければ強いほど、人は怒りやすい。たとえば、ある男性が女性のことをものすごく好きになったとしましょう。それで告白したところ、もしふられたら、頭がおかしくなってその女性を殺してしまうかもしれません。本当に好きなら相手を尊重して大事にすればいいのに、なぜ殺すのかといいますと、それはあまりにも欲望と愛着が強く、でも自分の思いどおりにならなかったため、怒りが爆発するのです。

 欲望と怒りは表裏一体です。欲望の裏側には怒りが潜んでいます。ですから欲望が強ければ強いほど、裏で怒りが繁殖しているのです。
朝から晩まで金儲けのことばかり考えている人がいるとしましょう。周りの人たちは「この人はお金にしか目がないみたいだけど、まぁそれほど害はないでしょう」と、安心することはできません。何をやるかわからないのです。もしその人にお金が入らなくなったら、突然怒るのです。怒って、自分や周りを破壊するのです。日本の社会でも、エリート中のエリートが不正を働き、それが見つかって自殺する、ということがときどきあります。自殺は怒りです。不正行為をしたら、潔く、申し訳ないと謝罪して罰を受けたほうがいいのに、こういう病的な人たちは憤慨して自殺するのです。飼っていた虎が檻から出た瞬間、真っ先に飼い主を襲うように、常識レベルを超えた欲と怒りは、真っ先に自分を殺すのです。

 そういうわけで「異常な欲」が出てきたら、気をつけてください。同時に、心の裏側では人を殺すほどの恐ろしい「異常な怒り」が繁殖しているということなのだから。

カッとなる子供

 現代の子供たちはなぜカッとなってキレルのかといいますと、おそらく途轍もない欲望と誘惑で心がいじめられていると思います。一流の学校に進学したい、いい成績をとりたい、勉強しなくてはいけない、でも遊びたい、ゲームをやりたい、サッカーもやりたい、あれをやらなくてはいけない、これもやらなくてはいけない、ああだこうだと、ありとあらゆる欲望と、さらには親の過剰な期待や要望がのしかかってきて、子供たちの心が病んでいます。欲望があると、それは逆の性質の怒りとして表面に現れ、それでカッとなったり、キレたりするのです。

猛獣の管理

 お釈迦様は、病気に至らないほどのノーマルな欲望に関しては、それほど厳しく言っていませんが、異常な欲望に関しては厳しく戒めています。

 そこで、猛獣をどうしても自宅で飼いたいというなら別に飼ってもいいのですが、そのときはかなり気をつけなければなりません。たとえば毒ヘビを飼うときは、首に巻いて飼ってはなりません。毒ヘビと遊んではならないのです。そうではなく、どうやって飼えば安全か、餌をあげるときはどうすればよいか、万一噛まれたときはどうすればよいかなど、どのように扱えばよいのかを十分調べて、慎重に扱う必要があります。そうすると、危険が低い状態で毒ヘビを飼うことができるのです。もし、格好いいから、美しいから、珍しいからといって、何も注意せず、毒ヘビと遊んでしまったら、その人の命は危ないでしょう。

 虎を飼う場合も、檻のなかで飼い、その檻の扉を開けないかぎり、たとえ虎がいても問題はありません。東京のど真ん中に、上野の動物園に虎がいますが、子供も大人も心配することなく、平気で動物園に遊びに行っています。なぜ心配しないのかといいますと、虎が外へ出られないよう厳密に管理されているからです。ですからみんな安心して見学できるのです。その上、その動物園では檻ではなくガラス張りになっているところがありますから、ガラス越しに虎に近づくことができますし、さらには虎の表情や細かいしぐさまでも見ることができます。猛獣の近くに行っても、そこでは虎が厳密に管理されていますから、まったく危険はないのです。

 私たちも、心にいる虎 ―― 異常な欲望 ――に襲われないよう、その扱い方を学び、厳密に管理することが大切なのです。

 これまで「希望と欲望」のうち「欲望」について説明してきました。いわゆる「望み」のなかには善い望みと悪い望みがあり、このうち悪い望みの「欲望」についてお話いたしました。欲望は、罪で悪いものですから、それを管理し、対処しなければならないのです。

次回からは「善い望み」のほう「希望」について、仏教の観点からお話したいと思います。

(次号に続きます)

(スマナサーラ師講義より構成しました/編集;出村佳子)

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