根本仏教講義
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28.希望と欲望
(6)最上の希望は「悟り」
A・スマナサーラ長老    

 「より良くなりたい」と精進努力することが、正しい希望です。お釈迦様は常に比丘たちに言いました。「怠けてはなりません。睡眠にふけってはなりません。精進しなさい」と。 
(前号から続きます)

寝ずに精進したチャックパーラ長老 (Cakkhupâla Thero)

 むかし、年配のお坊様が出家しました。このお坊様は「私は年をとっている。私には時間がない。だから寝るのがもったいない。雨安居の三か月間は絶対横になりません」と決意し、歩く瞑想や立つ瞑想、坐る瞑想に励んで全然横になって寝ようとしなかったのです。二日や三日なら大丈夫でしょうが、身体はだんだんもたなくなってきます。一般の人なら「ちょっとやり過ぎ」と思うでしょう。ところがお釈迦様は「やめなさい」と修行を止めることはしなかったのです。

 一か月ほどたつと、お坊様は病気になりました。目が痛くなり、充血して真っ赤になったのです。ある日、お医者さんが来て、即効性のある一番いい薬をお坊様にあげました。ところがこのお坊様はあまりにも必死に修行しているものですから、薬を目に入れるとき、横にならずに座ったまま入れるのです。当然、薬は目の奥まで入りません。それで病気はなかなか治らなかったのです。

 ある日、お医者さんがお坊様の目の具合を見に来ると、症状は前と全然変わっていません。そこで、また薬をあげました。でも、治りません。またあげてもあげても一向に治りません。お医者さんは考えました。「私は目の病気に一番よく効く薬をあげているのに、どうしてこのお坊様には効かないのか」と。そこでお坊様に「薬をどのように入れていますか?」と聞くと、「座って入れています」と言うのです。お医者さんは「それでは薬が効くはずがありません。横になって入れてください」と言いました。しかし、お坊様は横になりませんでした。お医者さんは、もうやりきれないとばかりに「これ以上の薬は他にないのですよ。なのにお坊様は薬を正しく使用しません。これでは病気は治るはずがありません。ですから私は治療をやめます」と言って帰ってしまったのです。

 このときお坊様が何を考えたかというと、さらに自分を戒めたのです。「自分は医者から見放された。もう誰も自分の面倒をみてくれない。だから解脱することにもっと精進しよう」と考えて、次の月も頑張ったのです。頑張った結果、雨安居の三か月間が終わると悟りを開いたのです。しかし悟ったと同時に両目の視力を失いました。失明したのです。

 このことを知ったお釈迦様は、チャックパーラ長老のことを愚か者だとか、やり過ぎだなどと否定しませんでした。それどころか「すばらしい。とにかく頑張って精進して最高の目的に達しました」と称賛したのです。そして、チャックパーラ長老を悟りを開いた聖者として、モデルにすべき大弟子の一人として認めました。

 このお話はダンマパダの第一番目、第一章の第一偈に出てくる物語です。ですから仏教はどれぐらい精進を奨励しているかがお分かりになると思います。

第一に持つべき目的

 私たちは希望や目的がなければ努力しようとしません。だからといって、なんでもいいから目的を持てばいいというのではなく「正しい目的」を設定することが大切です。

 そこで、私たちの一番悪いところは、心です。心が汚くて考え方が正しくないから、さまざまな悩みや苦しみが生まれてくるのです。ですから、ものごとを正しく考えて正しく判断できるよう、日々自分の思考を直すこと、また欲や怒り、嫉妬、怠けなど悪い感情を取り除き心を清らかにすること、これを第一の目的にして努力することが大切なのです。これは人類すべてが持つべき普遍的な目的です。

世俗社会における目的

 それから、私たちは生きる上でそのときそのとき世俗的な目的を設定しなければならないことがあります。たとえば、学生なら卒業前に就職先を決めなければなりませんし、会社の経営者なら会社をいかにうまく存続させていくか目的をもって行動していかなければなりません。そこで、目的を作るときに考慮すべきポイントが三つあります。

(1) 実行可能かどうか

 まず「自分に実行できるかどうか」ということを計算することです。自分に実行できそうな具体的な目的を作ることが大事であって、実行できない目的をわざわざ作って自己破壊する必要はないのです。私たちには夢や希望、やりたいことがいっぱいあります。だからといって全部実現できるはずがありません。ですから、自分に実行できる具体的な目的を作ってください。そしてその目的に達するよう、しっかり頑張るのです。そこでそれを達成したら、次にまた新しい目的を作ればよいのです。

 たとえば、物理や工学が苦手な人はエンジニアになろうと思わないほうがいいでしょうし、生物が分からない人は医者になろうと思わないほうがいいでしょう。エンジニアも医者も世間から見ればかっこいいかもしれません。だからといって「自分もなりたい」と思ったら大間違い。自分が本来持っている能力もなくなってしまうのです。科学よりも文学に強い人は文学で頑張ればよいですし、文学、歴史、政治が苦手な人は、理工系で頑張ればよいのです。ただかっこいいから、いま流行っているから、みんながやっているから、そういう理由で決めるのはよくありません。

 日本でサッカーが流行りだした頃、男の子たちはみんなサッカーボールを蹴って遊んでいました。お母さんたちも「自分の子供をサッカー選手にする」と張り切っていました。私はそれを見ておかしくて笑っていたのです。あれはただマスコミが人気を作っただけ。人間は何でも鵜呑みにする傾向がありますから、お母さんたちはマスコミが宣伝する人気に引かれて「私の子供をサッカー選手にする」と考えていたのです。しかし、サッカー選手にそう簡単になれるでしょうか? そうなるには、走るのが速くて体力があり、筋力、瞬発力、持久力、ボールを上手にコントロールする能力などさまざまな能力が必要です。ですからいくらサッカー選手がかっこよく見えても、自分がなれるかというと、それは雲の上の話なのです。

 人気があるから、みんながやっているから自分もやりたい、そういう目的はバツ。よくありません。どんな人にも自分にできることが一つぐらいはあるはずです。その自分にできることを見つけて、目的にすればよいのです。スポーツは下手だし勉強も苦手、でも料理は上手。それなら料理の腕を磨いて専門家になればよいのです。プロになれば、それなりに社会に役立つことができます。ですからまず自分に実行可能なことを目的に設定してください。

(2)道徳的かどうか

 次に、道徳的な目的を作ることです。いくら目的が自分に実行可能であっても、それが「道徳的かどうか」ということも考えなくてはなりません。つまり、他の生命に害を与えてはならないということです。声が美しいから声楽家になりたいといって、昼夜大声で発声練習をしていると、それは周りの人に迷惑です。声楽家になりたいなら、他人に迷惑をかけずに目的を達成することが大切なのです。

(3)自然や環境を破壊しない

 利益を増やしたい、会社を発展させたいと考えて、自然や社会のシステムを破壊するような目的は作ってはなりません。たとえば今はごみの問題や二酸化炭素の問題などがあります。いろいろな家電メーカーが、とにかく自社の製品を売って儲けることを目的にし、新しい製品を次から次へと大量に生産しています。消費者もそれに合わせて新しい物へ買い換えていきます。生活が便利になることは悪いことではありませんが、新しい製品を作れば、当然古い製品の廃棄の問題が出てきます。古い製品はどこに捨てるのでしょうか? どのように処分するのでしょうか? 自然や環境のことは何も考えていないのです。儲けたいとただ自分の会社の利益のみを考えて物を生産すると、それは自然を破壊し、結局私たちの生活環境を汚染することになるのです。

地球スケールと個人スケール

 仏教は自分勝手に目的を決めることは認めていません。私たちは生きる上で何らかの目的が必要ですが、その目的は「自然、社会、人類に害を与えないこと」でなくてはならないのです。もし害を与えない商売なら、決して倒産しません。なぜ会社が倒産するかといいますと、会社の目的が間違っているか、あるいは作る品物が人々に必要ないかのどちらかです。多くの場合、ほとんど必要のない物を作っているのです。仏教では「人類に必要な物、なければ困る物を作ってください」と教えています。そうすれば、わざわざ誇大宣伝して強引に物を売るという問題は出てきませんし、いくら経済状況が悪くてもみんな買いますから、会社が倒産することはないのです。ですから正しい目的を持って正しく頑張ると、倒産する恐れがないのです。

 目的には「個人スケール」と「地球スケール」の二つがあります。「個人スケール」とは、たとえば一家の旦那さんが「家族が楽に生活できるよう正しく仕事をして頑張って稼ごう」と小さなスケールで考えることです。家族のことしか考えていないからといって、これはわがままな考えではありません。しかし、三菱や住友、ソニーなどの大企業が「自分の会社だけ儲かればいい」と小さなスケールで考えると、それは自然破壊につながります。また、国家が自分の国だけよければいいと思ったら、その国は崩壊してしまうのです。

 個人や家族の場合は小さな目的でもよいのですが、大企業や国家レベルになると、地球スケールで物事を考えなくてはならないのです。
(次号に続きます)

(スマナサーラ師講義より構成しました/編集;出村佳子)

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