根本仏教講義
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6.心の働き
(3)怠けという名のビールス
A・スマナサーラ長老

 先月は、よくがんばるのに結果が無茶苦茶という人は気をつけた方がいいという話をしていました。もう少し具体的に考えてみましょう。

■「頑張る」とはどういうことか■
 たとえば会社で「レポートを書け」と命令された。そこで一週間徹夜して頑張ってレポートを書き上げた。ところがそれを持っていくと、上司はちゃんと読もうともせず、ちょっと見ただけで「これはだめだ」とポイと捨てた。そのような結果になったなら、その上司に怒りを向けるのではなく、「自分はどこかおかしいのではないか」と思ってください。また、「レポートは役に立たなかった、残念でした」とそこで終わってしまうような態度も良くない。
 結果はいつもさておき、とにかく「頑張っている」からよいのだとする「頑張りやさん」の性格は、人間が持っている怠け癖を隠し、ごまかすために使っている場合が多いのです。

 要は結果なんですね。「何時間頑張るか」ということではないのです。「徹夜したか、しなかったか」ということではないんです。レポートを書こうと徹夜しなくても、朝早く起きて、さっさと書いて持って行って、それで、上司がOKと言うならその方がいいのです。きちんと行動する人は、ちゃんと自分の仕事で自分の目指す結果を得られるようになるのです。

 たとえば上司が意地の悪い人で、どうしても自分を叱りたいと思っているならば、「どんな好みの人か」とその人を勉強して、その人が見ただけで驚くようなレポートを書けばよいのです。たとえば私は、学問の世界のことを少しはわかっていますから、何も内容がないにも関わらず、すごく学問的に研究して書いたような形で書くことができます。そのような論文はいくらでもあります。見ると驚くんですね。すごい本だ、すごく良い研究だと。でも本当は何も研究していないし、何も発見していない、そういうことはよくあるんです。たまに私も人をだますことがあるんです。この人は形や外見ばかり気にして内容に興味がない、そういう場合ですね。すると、その人が気に入るような、大変きれいな形でまとめてあげるんですね。案の定、すごくほめてくれるわけです。そうすると心のなかで舌をペロリと出して「そんなのはレポートなんて名ばかりですよ」と、してやったり。やろうと思えばそんなこともできる。

 それは、悪いことをしてくださいというのではなくて、自分に対していい結果を出せるようになれば、自分が幸福になれるわけです。ですからいい結果を出せるように考えて行動すべきだということなのです。頑張っているのに幸福になれないのはなぜかというと、先月お話した「怠け」=a^lasiyam(アーラシアン)のせいだということに気付かなければなりません。

■心が向う2つの方向■
 生きとし生けるもの誰もがsukhaka^ma^(スカカーマー)=幸福を願っている、というお話をしましたが、同時にこのa^lasiyam(アーラシアン)という怠けも、いつでも誰もの心の中にあって離れない性質なんですね。皆さんにも私にも、誰にでもある、心が現れると同時に生れる人間の欠陥なのです。怠けのない人、怠けのない生命はひとつもありません。

 心は我々を、いつもふたつの方向に引っ張っています。「幸福になりたい、だから頑張ります」という方向と、「怠けてじーっとしていれば、楽しく、楽ですよ」という方向、そういう全く逆の両側に引っ張られているのです。そこで自分がどちらにひかれるかということです。もし幸福になりたければ、常に励まなくてはなりません。

 今申し上げた「励む」という言葉は、パーリ語ではたくさんの言葉がありますが、一応ひとつだけ紹介しておきます。viriyam(ヴィリアン)という言葉で、よく使う言葉です。アーラシアンの正反対の言葉です。

 幸福になりたいならば、次のように考えてください。「自分の心には、生まれつき大変な毒のような『怠け』というものがついている。育てなくてもあるもので、アーラシアンというビールスが入っているのだ。それに、自分でヴィリアンという薬を飲ませてあげなければならない」というふうに。ヴィリアンをあげるとアーラシアンは消えてしまうのです。ヴィリアンとは、励むこと、努力すること、精進すること。
我々は、強引にでも励んで、努力しなければならないのです。そうすれば、アーラシアンという怠けを消すことができます。

 しかも、繰り返すようですがヴィリアンは形の問題ではありません。「朝から晩まで頑張っている」と言っても、それは外に向けて、或いは自分に対するごまかしでしかありません。結果がなければ、「頑張っている」は意味がありません。もし人から「あなたはずいぶん怠け者ですね」と言われるような行動をとっていても、自分が本当に頑張っているならそれでよいのです。会社でみんなから「朝から晩までよく仕事している」と思われるためにいろいろな馬鹿なことをやらなくても、自分の仕事をきちんとやって残りの時間で思う存分遊んだってそれでよいのではないでしょうか。やることはやっているのですから怒られようと陰口をたたかれようと平気でいてよいのです。

■ビールスと注射■
 とにかく、見栄や表向きで判断するのではなくて、心のエネルギーの問題なんですね。心の中の「怠けたい、怠けたい」という気持を抑えて「努力する」という注射を打って、うまくいくように運ぶのです。

 もうひとつ覚えておいてほしいのは、この怠けビールスは風邪のビールスと同じなんです。
普通のビールスはアンチボディという体の中に生まれる抗体が生れたら、もう一生その病気にかからないのですが、残念ながら風邪のビールスはそうではないでしょう。1回ひいて治ってもまたひく、何度でもひく。なぜなら風邪のビールスはいつでも自分の形を変えてからだに入り込んできます。それでまたひいてしまうのです。アーラシアン、怠けというビールスは、そのようなビールスなのです。一度ヴィリアンという薬で抑えて、そのときは治っても形を変えてまた現れる。そうするとまたヴィリアン、精進という注射を打たなければならない、打てばまたうまくいく…そんなしくみなんです。

 たとえば、努力して頑張って何か成功したという場合でも、成功した瞬間に「私は、やれば何でもできる」と思ってしまいます。同時に余計な自信がついて「自分にはできる」と物事が見えなくなってしまう、それは怠けなんです。
「あの仕事がうまくいったんだから、自分にはできる」と自分の心を安心させてあげる、それが怠けなのです。それで次の仕事にかかる。ところが前の仕事ではとても真剣にものすごく丁寧に頑張ってやったのに、今度は「自分だったら大丈夫、まあ成功するだろう」と過剰な自信を持つため大失敗してしまう。そんなことはよくあることなのです。

 若い人の中にもあります。ある試験に合格すると次の試験はだめになってしまうということはよくあるのです。それもできるという過剰な自信のために怠けが働きだしてしまうからなのです。心というのはややこしいものですよ。

 いろいろ話してきましたが、とにかく、2つの心のエネルギーのことを覚えておいてください。我々の望む社会的な幸福、幸福な家庭、収入のある、ゆとりのある人生、健康なからだ、また平和的な社会環境や幸福、そういったことで成功することは、意志でもって簡単にできるんです。できないとすればその理由は、アーラシアン、怠けという悪いエネルギー、心の働きを鈍くするエネルギーが働いているからなんです。化学の世界でもありますね。あるものを入れると、化学反応が遅くなる、あるいは速くなる、触媒ですね。アーラシアンとヴィリアンはその触媒のようなものともいえるのです。

 アーラシアンが入ってしまうとどんどん結果の出るのが遅くなる、あるいは結果がでなくなる。そこでヴィリアンを入れたらちゃんと作用してその結果が得られる。そのような2つの働きが心にはあることを覚えておけば、その2つについても自分の意志でコントロールできますよね。怠けるとか努力するとかいうことは自分でできることなんです。お祈りして得られるものではないのです。

■不幸になるエネルギーはもっとある■
 それから、その2つほど大きくはないのですがネガティブエネルギーはもっといろいろあります。ネガティブなエネルギーとは我々の生き方を、幸福でなく不幸にするようなエネルギーのことです。片っ端から紹介しようかと思ったのですが、あまりにありすぎて皆さんが眠くなるといけませんから、4つだけ紹介させていただきます。これはアビダルマ論よりとった4つで、経典からとったものではありません。経典になるともっと詳しくて、具体的になります。
少し長くなりますが、ひとつづつ、説明をしてみましょう。

 ひとつめはdosa(ドーサ)、怒りです。これは、自分の目の前にあるものに対して非常に反対的な態度をとるエネルギーです。「自分が出会った対象は嫌だ」と感じることです。このエネルギーのことは少々難しいので注意して聞いてください。我々には、自分が出会ういろいろなものがあります。目で見るもの、耳で聞くもの、家庭や会社や社会で、また本で読むこと、テレビで見ること、ラジオで聞くことなど、いろんなものに出会っているのです。また頭で考えるいろいろなことも、仏教の立場からいえば我々が外と出会うことなんです。

 自分という存在が何か外のものに出会うたびに、その出会ったもの(対象)に対して「それは嫌だ」と思う気持、それが怒りです。

 たとえば人が自分に何か言う−−小言でもいいですね−−それは聞きたくないと思う、それなのに相手はえんえんと話している。そういう場合に私たちはどう感じますか。自分が出会う対象に対して拒否する感情が生れますね。「聞きたくない」「それ(その人の話す言葉)には会いたくない」…普通の怒りというのはそういうものなのです。

 それが大きくなるといわゆる破壊的な感情が生れる。ものごとを壊したくなる。批判したくなる。文句を言いたくなる。説教したくなる。「こうすべきでない、ああすべきでない」と。
もっともらしく善悪の基準をつけ、人に説教して「自分は本当にいいことをしている」と思っているのですが、実はやっぱり心の怒りのエネルギーでしていることなのです。

 もし人の心にこの、ドーサ、怒りというエネルギーが生れてしまったら、その人は自分の出会う対象について拒否する反応を起こす。会った人を拒否し、出会った仕事も拒否する、仲間を拒否し、家族を拒否する。そこに幸福や成功はありえません。不幸が待っているだけです。
(以下次号)

(スマナサーラ師講義より構成しました)

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