根本仏教講義
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10.心療カウンセリング
(3)優等生の心理療法
A・スマナサーラ長老

 先月は、釈迦尊の心療カウンセリングの実例が含まれているストーリーを見ながら、仏教の心療カウンセリングを考えました。
 今月も、もう少し、ストーリーを紹介しながら考えてみましょう。

■先生の言うことを忠実に守る優等生■

 王様の、第一番目のカウンセラーの息子、通称アングリマーラの話です。
 大臣より立場が上で、王様にいろいろなアドバイスをする要職に就いた父を持つ少年でした。
インドの学校というのは12歳から30歳くらいまで住み込みで勉強するんですね。この青年は頭が良くいつも優等生で、あまりにも勉強ができるのです。
先生の教えることを何でもちゃんと学んでしまいますから、どうしても先生の方も可愛く思えてきてしまうんですね。よくできた弟子だなあ、そんなふうに思うわけです。するとほかの生徒たちの嫉妬を買ってしまったんですね。
ほかの生徒たちは、みんなで集まって、この生徒が先生の奥さんと「できてる」というデマを流したのです。

 これは、当時のインドではとんでもなく大きな罪でした。
奥さんにしてみてもよくできた息子のように、本当に可愛いわけです。ですから、当然可愛がっていたのです。
それで、このデマが先生の耳に入ったとき、これは本当だと思ったんですね。
そして許せないと思いました。
 殺すしかないと思ったのですが、自分が殺れば自分が犯罪者になるし、生徒達に頼んでも生徒達の罪になってしまう。何とか方法がないかと思って考えたのです。

 そして授業が終わったあと、先生に礼をして学費を払う時間があるのですが、そのとき先生は青年に言ったのです。
 「あなたは学費は要りません。そのかわりにヒンドゥーの重要な儀式をひとつやってもらいたいのです」すると青年は、「先生のためならどんな儀式でもやります」と答えました。それを聞いて、先生は、「私は神様に、人の指を千本差し上げると約束しました。あなたは若いのですから、これをやってください。でも、一人の人から1本の指しかとってはいけません」と言いました。
 青年は、とにかく勉強バカでしたから、勉強ばかりできて世の中のことを何も知らない。先生の言うことは何でも正しいのだと信じて、わかりましたと武器を持って森に入ったのです。まだ若いし、体力はあるし、とにかく見る人見る人を捕まえて、殺し、指をとる。指をとってとって、指の首輪を作って首にかけておきました。何としても千本集めなければならない。それで殺して殺して殺して、きりがないのです。

そのうち国中でうわさになり、恐ろしい、鬼のような大泥棒が出たと誰もが震え上がりました。誰が行っても捕まえられません。あまりにも頭が良く、力もあるので、どうにもできない。
そこでとうとう王様が軍隊を引き連れて森へ出かけることになったのです。それでも王様でさえ怖かったのです。
 王様が立ち上がるということになって、青年の母親が、今度こそ息子は捕まえられてしまうと思いました。ですから自分が先に行って、逃げなさいと言ってあげよう…、そう思ったんです。母親にすれば、自分の息子ですからね。母親は、父親には言わず、ものすごく早起きして森に入ることにしました。

 ところで青年の方は999本の指をとり終えたところでした。あと、1本だ、と思いました。これでこの苦しい人生が終わって、普通の人生に戻れるのだと思うと、気がせきます。千本まとめて先生に差し上げたら、両親のところに戻れるのだと思っているのです。ですから、今日は誰が来ても殺すぞと心に決めました。彼も相当疲れていたんですね。

 お釈迦さまは、今日は危ないと思いました。今日はあいつは母親もわからずに殺すに違いないと思いました。母親を殺すという罪を犯したら、もう救うことはできないのです。ですから自分はその前に行かなければならないと、森へ出かけました。そして、青年の目の前をわざと歩きました。ゆっくりゆっくり歩くんですね。青年は、良かった、今日は走らなくてもよかった、と追いかけたんですね。

ところが不思議なことに捕まえられないのです。見ている分にはゆっくりに見えたのですが、かなり速かったのです。走って追いかけても捕まえられません。

 皆さん、歩く瞑想をされているとわかるかもしれませんが、上半身を動かさないで歩くとかなり早く歩けるのです。しかもゆっくり歩いているように見えるのです。歩くのが下手な人はからだばかり動かして、腕を振ったり肩を動かしたり大騒動なのですが、たいして進んでいないのです。
お釈迦さまは、ちょっとした神通力も使っていましたから、いくら追っても捕まらない。
それで青年は、追いかけながら、「沙門(出家者を呼ぶことば)、止まりなさい」と呼びかけました。

するとお釈迦さまは「君こそ止まりなさい、私は止まっています」とおっしゃったのです。
 青年は、この人は一体何を言うのかと非常に驚いてしまったのです。
「あなたは走っているじゃありませんか。私は止まっています。止まっている私を、あなたは走っていると言い、走っているあなたは止まっていると言う。どういうことですか」という青年に、お釈迦さまは言われました。

「君はいろいろな悪いことをし続け『走り』続けている。私はすべてやめているのだ。

すべての行動を停止している。『止まっている』のだ」…それを聞いた瞬間に、青年は自分の本当の心をぱっと取り戻したのです。

そして、教えてくださいと釈迦尊に教えを請いました。

 お釈迦さまは、生きるということは生命を愛するということであり、生命を破壊することではない、生命を愛し助けるために勉強もするのだと、長い説法をされたのです。

青年はその場で出家し、悟りました。 ほんの短い時間の出来事でした。 お釈迦さまは青年を連れて寺へ帰りました。

 一方王様は武装して、大泥棒退治に行く前にお釈迦さまに会いに行くんですね。
もし自分が殺される運命なら、お釈迦さまは行くなと言ってくれるのではないかという期待もありましたしね。お釈迦さまの前で、王様はわけを話したのです。

 それを聞いてお釈迦さまは、「では聞きたいのですが、その大泥棒が出家して心清らかにして、蟻一匹も殺さない心に変っているならどうしますか」と聞かれました。すると王様は「それなら私も、その人に頭を下げて守ってあげますよ」と答えました。

するとお釈迦さまは王様の手を掴んだのです。
あまりお釈迦さまはなさらない行為ですが、怖がって逃げると思われたのでしょう。手を掴んで、「私の隣にいるこの比丘がその人です」とおっしゃいました。

戦争の準備までした王様の立場も守らなければならないし、この人も守らなければならない、それには王の命令が必要だったのです。

最初は大層驚いた王様も、お釈迦さまの前で徐々に安心して、青年に、ではこれからはしっかり修行してください、私があなたを守りましょう、と約束して帰ったのです。

■日本社会の一箇所重点主義■

 この話を現代心理学的に分析すると、青年の頭は狂っていたのです。
学問バカでまわりが見えない。ただひとつだけとことんやるということは、ときに恐ろしい結果を生むのです。

日本でもその現象は見られます。何かひとつに凝って、他が見えない。それではまともな人格はできてこないのです。
医学の世界にしても、心臓外科は心臓のことしか知らない。神経科は神経のことしか知らない。あまりにも細分化されてしまって、深く深くひとつのものばかり追及するだけで、他の器官と関連があって病気になっているときでも見えてこないのです。

 たとえば東大に入ろうと思って徹底的に丸暗記するだけでは、本当に頭のいい人にはならないのです。日本でよく勉強ができるという状況は、非常に弱いものだと私には思えます。
先生の言うことを鵜呑みにする。はっきり理解できないからもう少し先生に詳しく聞こうとか、反対してみようかとか、他と比べてみようかとかそういうことはしない。
すると先生にとってはすごく良い生徒なんですね。よく勉強してくれよく宿題してくれ、本人の意志はどこにあるのかわかりません。
 現代社会にはひとつのことだけ徹底的にやって、頭が悪くなるという現象が、少なからず見られます。

 会社でも、とても上手に仕事をこなす会社人間が、家では何もできなかったり、仕事で大きな成功を収めた人が、退職後、一体どうやって生きていけばいいのかわからない…そんなことが起こります。

 我々は何を勉強しても、何の仕事をしてもいいですが、それは社会という大きな絵の中のほんの一部。その一部だけ、ものすごく派手に目立ってもいけません。歌うときでも、メインの歌手だけでなくバックコーラスもあります。前で歌っている歌手よりもバックコーラスの方がうまいときも多々あるのです。
それでも、自分がうまいからといって、大きな声で歌ったら、音楽にならないんですね。
 バックコーラスにはバックコーラスの練習もあるのです。それぞれが役割を理解して、はじめて美しい歌ができ上がるのです。

 どんなことでも、それを理解したうえの勉強であり、仕事なのです。それを理解せずに動くから、さまざまな問題が起きてくるのです。
 今の日本の経済状態もそうでしょう。金融関係や一部の人たちが、自分たちのことだけ、自分たちの金儲けだけを考えて突き進み、このような結果をもたらしました。
 そうではなく、社会というものがあり、世界というものがあって、自分たちも成り立っているのだと理解すれば問題は起こらないはずです。

 先程の千本の指をとろうとした青年のストーリーに戻りますが、青年は知識はあるし頭もいい、でもとても考え方が狭い。

 お釈迦さまは、この狭さを教えられたのです。頭がいいし勉強した癖がありますから、お釈迦さまはそれを逆手にとって、解読できないような難題を出したのです。
するとこの青年は好奇心に駆られるのです。追いかけても捕まえられないお釈迦さまが、私は止まっている、走っているのはあなただ、と言った途端に、青年は考えずにはおれなくなってしまったのです。

 そのようなストーリーの中でも、お釈迦さまの心理療法は、それぞれの人に合う方法で導かれたことがわかりますね。

 先月からこれまでに3つのストーリーをお話しましたが、このようなストーリーはたくさん残されているのです。来月からは、現代の私たちの問題に当てはめながら、仏教の心理療法を考えることにしましょう。 (以下次号) (スマナサーラ師講義より構成しました)

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