根本仏教講義
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10.心療カウンセリング
(6)精神的悩みにショックを与える
A・スマナサーラ長老

 先月は、「基準」が心の問題を作る場合があるというお話をしました。自販機の前でゆっくり切符を買っているおばあちゃんにイライラする例などをあげながら、自分の「基準」が他人には合わないというだけのことなのに、他人に迷惑をかけられたと感じて怒りを持つことの非合理性を説明しました。もう少し続きをお話しましょう。

■他人に迷惑をかける人とどうつきあうか■
 たとえば、タバコを吸う人の場合、他人の迷惑を考えない人も多いように思われます。でもきちんとわきまえた、紳士淑女もいます。タバコは少なくともからだには悪いし、やはり精神的に弱い部分があるから吸っているという点は否めないでしょう。でも昨日、電車のホームで見た人は随分ちゃんとした人でした。私はいつも乗り降りの早いところにいくようにしているのですが、そういう場所はだいたい喫煙の場所なんです。私にとってもタバコの煙は気分の良いものではなく、からだにダメージのあるものなんですが、昨日、ある中年の男性が、早くホームに到着して前の方に並んでいたのですが、タバコを吸いたくなったんですね。すると、列を離れてちゃんと白い枠線の中に入って、灰皿の前に立って吸い始めたんです。それを見て私は、とても喜びを感じたんですね。これこそ紳士だと。ですから、その人が吸った煙が私の前に来て鼻に入っても、ぜんぜんいやな気がしなかったんです。他人に迷惑をかけないように、一生懸命気をつけていることがわかりますからね。そういう人にはタバコを吸わせてあげたくなるんです。

 一方そこには若いだらしない人もいました。その人はわざわざ枠の外にいて、私のすぐ横でタバコを吸ってるんです。その灰は足元に落ちるわけです。私は、吸いたいならちゃんと行儀よくやれと、足で蹴飛ばしたくなったんですけどね。でも、私は怒ったわけではありません。怒ったら、タバコの煙を吸う損ばかりでなく、その上さらに精神的に損をしてしまう、そんな必要もないでしょう。その人は自分のことしか考えられないように見えますが、その人の立場に立ってみると、それぐらいはいいかな、と考えているからなのでしょう。そこでもうしばらく見ていると、ときどき灰皿のところまで歩いて行って、灰を落として、また戻るのです。本人としてはしっかりやっているつもりなんですね。みんなそれなりにやっているのだと理解しておけば、そういう問題は解決します。たとえばおばあちゃんがすごい荷物を持って満員電車に乗ろうとすると、かなり迷惑なんですが、そのおばあちゃんの立場から考えてあげようとすると、まあ何とか許してあげようという気持ちは生まれてくるんですね。

■決まりに縛られていないか■
 また別の例をあげると、仕事が変って上司が尊敬できず、仕事がいやになって、ノイローゼになってしまったという話がありました。それで家庭でもうまく行かなくなって離婚ということになり、子供のことでも悩んでいる。そういう人の話を聞くと、失礼ですが、あなたはやり方が下手ですよ、ということしか言えません。仕事が変っただけで上司が嫌いになるというのは、自分に自信がないのではないでしょうか。どこかに怠けがあるのです。慣れている仕事だけやりたいということなのです。慣れた仕事をしていると、自分は仕事がばりばりできるのだと誤解してしまいます。だから世の中は知っているんだと思い違いしてしまう。これは本当によくないことです。本当に世渡りが上手かどうかは、慣れない仕事にまわされたときにわかるんです。そういうときは、これは自分の能力の試し時だという風に考えなくてはなりません。それにとりくむことで、新しい経験、新しい刺激、新しい人生観が生まれてくるのです。離婚という結果になってもかまわないではないですか。これから自分は新しい人生をやらなくちゃいけないのだからと考えてみてください。離婚をいやがる人は、決まったパターンで決まった人生を、マンネリの毎日を生きていたいんですね。決まった時間に起きて、決まったものを食べて、決まった場所に行って、決まった仕事をして、決まった時間に寝て…。どこまで決まっているのでしょう。何もかも決まっていなくてはうまく生きていけない人の人生というのは、暗くて情けない人生といえるのではないでしょうか。決まりがないのが人生なのです。朝起きてみたら、大雪で仕事にいけない。そんなとき決まり切った人生を生きる人は苦しみを味わいます。決まりを持たない人は、仕方がない、今日は雪だるまでも作って遊ぼう、ということになるわけなんです。奥さんが離婚しようというなら、待ってました! と喜んでしまうくらいの気持ちで生きていた方がいいのです。人生は自分が決めたようには進んで行かないのですから、決まりなどないほうがいいのです。決まったことがないと、脳細胞にはいつも刺激があります。だから決まりに縛られて問題のある人は、そういう風に考えた方がいいのです。

■柔軟な思考で人生に向き合う■
 今度は、子供が学校に行ってくれないが、どうしたら行かせることができるかという問題。答えは簡単ですよ。子供にひとこと言ってください。「行かなくていい」とね。1日目は、勉強しなさいともいわず、そのまま放っておく。2日目からは、学校にどうせ行かないのなら、いっしょに家のことをやりましょうと、淡々と話してみましょう。優しい言葉をかけることもせず、家の手伝いを片っ端からやってもらう。料理するときは、あなたは人参の皮をむきなさい、こう切りなさいと教えて、やらせる。掃除も洗濯も、買い物に行くときもいっしょに連れていって、荷物を持たせるとか。あまりに忙しいと、いやになって学校に行く場合もあるし、そうでなければ家の用事をちゃんとやる場合もあるんですね。学校へ行きたくないと言う子供は親を心配させたいのです。子供の考え方にのせられないようにすることです。親がまったく心配せず、平気な顔でいると、子供は自分で自分のことを心配するようになります。本当に学校へ行かなくていいのかなあと。これはひとつのタイプ。

 もうひとつは、子供自身は学校へ行きたいのだけれど、他の問題があるという場合があります。学校でうまくいかなくて学校に行きたくない場合など、子供同士の問題の場合は、ちょっと叱咤激励してあげましょう。殴られたなら殴り返しなさい、あんたはなんて間抜けなの、悪口を言われたら正々堂々と言い返せばいいでしょう、そんなふうに。問題が先生など大人にある場合は、それなりのところに行って話すしかないですね。ともかく、原因を探して、何とかしてあげることです。

 子供たちを友達にしてしまうことが、何よりです。特に学校に行くようになったら、親はやめた方がいい。あくまでも親という態度で対すると、子供とものすごい隔たりが生まれてくるんですね。すぐ説教してしまうようでは、子供たちも心を開けません。学校に行き始めたら、子供はもう一人前と認めて、友達みたいに何となく、今日はどう? とか声をかけてみましょう。すると子供たちも、親を友達と思って、今日はこういうことがあったよと話してきます。とにかく子供に、学校に行きなさいと言わないこと。子供は親の言うことの反対をやりたがるのですから、行くなと言った方がいいのです。

 また、ある人は、親の顔を見ると、ものすごい憎しみが湧いてくるのだと言います。小さいときから叱られ、いじめられていたからだと思いますが、どうしても素直になれないというのです。それはとても大きな問題なんですね。しかしそれは、単なる両親への甘えです。未だに甘えていたい。私の答えは、すぐに親から離れなさい、ということです。親といるとすぐに喧嘩になるというのなら、もう二度と親と会わないと思って家を出ればいいだけです。でもそういう人に限って、家を出ることができません。

 しかし離れてみることで自分を知り、親を知ることができるのです。それでそのうち、自然と親と話し合ったり、仲よくすることができるようになるのです。ですから、そういう人々にとっては、親元を離れることは絶対的な行動なんですね。

■潔癖症という病気■
 もうひとつ、こんな質問をいただきました。人が触ったものに触れるのさえいやで、いつも消毒薬を持っている、手すりにつかまることもできない、というのです。

 この質問は、本当は仏教で答えるべき質問ではありません。これは、医者にかかった方がいいような「病気」なのです。昔の心理学のテキストにはよく出てくる症例です。

 こういう人に限って、決して清潔ではなく、ものすごく不潔なんです。そのことを周りの人が教えてあげる、周りが、あなたは不潔なんだからあっちへ行きなさいと追い出す、そのくらいのショック療法が効くと思いますが、これは問題が複雑なので、簡単には言えないのです。私が精神科の医者だったら、まずその人に、自分のウンコをからだ中に塗らせます。あなた自身のからだの中のものですから、最高にきれいでしょうと。それで、大半の患者は治ると思います。仏教的に考えると、自分自身がきれいだ、偉いんだ、優れているんだと考えている 人であり、ものすごい高慢なんですね。非常に醜い考え方を持ち、人間性を失ってしまっている人といえます。

 小さいときに体験し た何かかがきっかけで、このような考えを持つようになったとするとやはり、それなりの医者が診るべき問題だといえるでしょう。清潔感というのは、ものすごい病気なのです。世の中に清潔なんてありえないのです。

 しかし、自分のからだを観ることができれば何とか解決できるのです。たとえば、こういう人は自分の食べるものにも潔癖に気を使って、消毒したり洗ったりして食べるわけですが、その口に入れたものを噛んだあと、また皿に戻してもう一度食べなさいと言ってみることです。口から出して、また箸でもって食べてみてくださいと。一回やらせたら清潔感は消えるのではないでしょうか。(以下次号)

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