根本仏教講義
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
HOME根本仏教講義→11.幸せの分析 (4)インスタントな幸せの作り方 (No59)
11.幸せの分析
(4)インスタントな幸せの作り方
A・スマナサーラ長老

 先月、子供なら泣くのが当たり前であるように、心というのは「悩む」のが当たり前だというお話をしました。しかも、誰一人として「悩みたい」と思っている人はいない、誰もがみんな「楽しく生きたい」と思っている。そんな矛盾についてお話を始めたところでした。

■「人生の意味」という言葉■
 それほど誰も悩みたくないと思っているならなぜ悩むのでしょう。まったくばかばかしい話なのです。楽しく生きたいならそうすればいいのに。そのあたりに、人間の「無知」というか智慧のなさを見ることができる。

 人間というのは論理的でなく、屁理屈で生きているんですね。先ほどの例でもわかるように人間の「こころ」には論理性というものがありません。でも、そのこと自体も認めたくない。我々現代人はしっかり、科学的に、論理的に行動しているんだと考えたがる。でもまったくそうではないんですね。苦しみたくない、悩みたくない、楽しく、リラックスして落ち着いて生きていたい、それが希望なのに。一生懸命悩んだり苦しんだりして生きている。

 希望に反してなぜ悩むのかと問えば、言い訳をする。子供のことで悩んでいる、友達のことで悩んでいる…しかしそれは、私たちから見れば真っ赤な嘘なんですね。それじゃあ子供の問題を解決したら幸福になりますかといえばまったくそうじゃないんです。次の新しい悩みを探し出し、また悩むのです。

 私もこの協会の何人かの方がちょっとしたことで悩んでおられて、相談されたことがあってその解決方法を教えたことがあるんですね。教えたら、その方法でやってみて、すぐに悩みは消えたのです。それで、幸せに生きていればよかったのですが、人はそう簡単には悩みを捨てたくないのです。今まで悩んで生きてきた人の悩みが突然消えたら、これからどう生きていけばよいのかと疑問が生じます。悩んでいる人は悩むことが自分の人生だと勘違いします。この人も、悩みと同時に自分の人生も消えたと勘違いして、実践をやめ、また元に戻ったのです。するとまたひどい苦しみで、また私のところへきて聞くのです。「こういう問題が起こりました。どうしたらいいのでしょう」…同じことを繰り返して聞くのです。それでまた私も同じことを言わなければならない。何回言ってもまじめにはやらないのです。結局は形を変えながら苦しみが続くだけなのです。本人は、悩みが消えてしまうことを不安に思っているのです。最後の手段は、人間というのは悩むものですよ、生きる上で苦しみは避けられません、苦しむから、悩むから、人間というのではありませんか、と誰もが言う話をしてあげることで悩みを正当化し、定着させてあげることになります。

 人間はまったく、非論理的、非合理的な生き方をしているんですね。悩みたくない、悩みは嫌いだと言いながら、実は悩みの大ファンなんですね。それを仏教では「無知」といいます。それさえ捨ててしまえば合理的にしっかりと生きていけるのです。言ってみれば「正しく」生きられる。すると人生はとても楽になります。

■苦しみを消すインスタントな方法■
 そうは言っても、誰でも近道がほしい。早く楽になる方法ですね。長い間、1年も2年も何年もかかって実践して、やっと手に入れるよりは、いわゆるインスタントの方法をほしがってしまうんですね。昔と違って今は、ご飯でも何でも、作られたものが売られていますからね。買ってきて、電子レンジで2分。ボタン一つで食べられる。今は何でもインスタントですね。服でも何でも、昔は家で作って着ましたが、今は全部出来合いになって、自分のサイズに合うものを買っておしまい。

 ですから今の人間はインスタント主義なんですね。心の悩み、苦しみがなくなって、インスタントに楽になる方法はないのかと。  それがあるんです。インスタントの方法というのは、『慈悲』の心なんです。

 どういうことかというと、宗教的な言葉で言い換えれば『愛』なんですね。しかし『愛』という言葉は誤解を招きやすいので、どちらかというと、『友情』にちかいものだと考えてください。というのも、仏教では『愛』ということを、とんでもなく悪いことだととらえているのです。愛があることによって大きな苦しみが生まれてくるのだと。人に対して愛があるということは、その人に対して執着があるということなんですね。

 たとえば、自分の仲間に入れたいなあと強く思っている相手が、他のグループに入っているのを見ると、すごく腹が立つんですね。自分が話したいと思っている人が、他の人とにこにこと話していると、あまりいい気持ちがしない。

 ですから、愛というのは必ずしもいいことではないのです。その代わりに『友情』があったらいいのではないでしょうか。あるいは、あまり激しい感情ではなく、生命は皆平等なのだから、皆それぞれに仲良く、それぞれの世界で元気でいてほしい、と考える気持ち。お互いに迷惑をかけることなく、仲良く助け合って、協力して生きていければいいのではないかなあ…そういう気持ちを、そっと、心の中に持ち込んでみてください。それはインスタントな方法で、我々の中にあるすべての苦しみを消し去る効果を持っています。

■口先の民主主義、本当の民主主義■
 例として家庭の問題を考えてみましょう。家庭の問題というのは人間関係の問題なのです。もし家族一人一人がわがままに、自分さえよければよいと思って家庭の中で生きていたとしたら…。母親は自分の思うとおりに、子供に育ってほしいと思う。父親は、妻を、あるいは子供を、自分の思うとおりに何でもやってくれる奴隷だと思っている。そうすると、一家の主人どころか家族をいじめる鬼になってしまうんですね。さらに子供も親の気持ちを考えない。誰の気持ちも考えない。自分のことだけを考えて生きようとする。そうすると子供も、元気に明るく生きるのではなく、一生懸命戦わなくてはならなくなる。そういう家庭の中に苦しみが生まれてくるのは時間の問題です。

 民主主義、民主主義と口先では言いますが、世の中に民主主義的に生きている人など、ほとんどいません。だれでも人を捕まえて、自分の奴隷にしたいのです。そのために、民主主義という言葉を使います。人が自分の言うことを聞かないときに限って、民主主義という言葉が出てきます。本当に人間というのは、嫌な存在です。口先だけの民主主義でなく、本当に、心の底から、それぞれの生命は皆自由ですよ、それぞれの生命の生き方がありますよ、と考えてみてください。それができないところにトラブルが起こるのは当然なのです。なぜなら他人を敵に回すことになるからです。

 大変苦しい、悩みが大きい、人生に悩んでいる、家族の問題で悩んでいる、会社でうまくいかない、友人関係に問題がある…そういう人には、それはあなたのせいですよと言いたいのです。問題を作ったのは、あなたではないのですか、ということです。  そこで、インスタントな方法としては、いきなり民主主義者になればいいのです。すべての生命それぞれに自由があるのだと。私も自由だし、みんなも自由だ。「私」が人にいちいち言われるのが嫌ならば、「私」も人にいろいろなことを言いません、失礼なことは言わない、相手が傷つくことは言わない。そう決めれば、その瞬間に問題は解決するはずなのです。それほど大変なことではありません。

■「私の家族」という恐ろしい考え方■
 結局、悩みというのは、原因が自分にあるものなのです。私が他人の自由を奪おうとした、私のやり方がよくない、民主主義からはずれてしまった、人を自分の奴隷にしようとした…だから他人が私に対して攻撃をしている、攻撃して私の幸福を全部壊しているのだということに気づかなければなりません。

 自分が独裁者にならなければ、本当の意味でみんなと仲良くするならば、人のいうことを聞いてあげるならば、人も自分のいうことを聞いてくれるし、すごく楽しいのです。人の望むことをしてあげると、自分も楽しいのです。自分も結構人の役に立つ人間だとわかると、うれしい。自分も人の望むことをしてあげるし、人も自分の望むことをしてくれる、そういう幸せな信頼関係が生まれてくるのは、本当の意味での民主主義の心があるときだけなのです。

 そうでない限り、ひとつでもわがままを通そうとすることは、自分で毒を手にとって飲むことと同じなのです。自分で毒蛇をシャツの中に入れて、「痛い、痛い、蛇にかまれて毒が回っている」と我々に文句を言ってみたところで、何の意味もありません。言われた側も、「あなたが自分で蛇をシャツに入れたのだから、あなたは毒で死にますよ。勝手に死になさい」と言うしか方法がありません。まわりがいくら蛇をつかんで取り除いてあげても本人が蛇をシャツの中に入れてしまうわけですからどうしようもありません。

 これが現実なのです。そんな中で我々が今すぐ幸福を体験するために、悩みなく生きるためには生命は平等でありみんな自由であるということを心から理解し、考えなければいけないのです。今まで生きてきたのが嘘の世界だということを本当に理解しなければいけません。自分が偉いという考え、自分の家族だからという考え、私の家族だと言ったとたんに家族みんなの自由を奪っているということ、家族みんなを自分の奴隷だと思っているということ。それは本当に恐ろしい考え方です。それでは家族の立場はどうなるのでしょう。本来家族もみんな自由な存在なのですから、家族が戦いを挑んでくるのも当然です。「私の子供」「私の孫」「私の妻」…言葉で言うことはかまいませんが、問題は本気で自分の所有物だと思っているということなのです。

 「私たちは親子の関係ですよ」「夫婦の関係ですよ」というのがなくて、「私の子」「私の妻」。そうではなく私たちは夫婦の関係です。私は私、妻は妻であって、全く自由な存在なのだ。だからお互いに助け合うのであって、お互いの自由を奪うのではないのです。「私たちは夫婦の関係」「私たちは教師と生徒の関係」…そのような気持ちになれば、その問題は解決するのです。

 ですが、人間というのはすぐに忘れますからお釈迦様は、慈悲の瞑想を徹底的に教えておられるのです。人間が何か感情を持ちたいと思うなら、欲張ったり、怒ったり、戦おうと思ったり、競争しようと思ったり、そんな地獄の感情は捨てて、愛と慈しみの感情があればいいのではないか…。金を儲けたい、儲けたい、競争に勝ちたい、勝ちたい、という感情は暗いし、苦しみを生むばかりです。その代わりに慈しみの感情、つまりみんな元気で良かった、日本は平和で良かった、生命は皆お互いに助け合って生きていければ素晴らしい。苦しんでいる人、悩んでいる人に何かしてあげられれば、それはとても良いことではないか…そういう感情で生きていられると、人生は明るいのです。

 今すぐ心の苦しみ、悩みを消すためには、慈悲の瞑想を実践するに限ります。
(この項終了) (スマナサーラ師講義より構成しました)

次の講義へ→
HOME根本仏教講義→11.幸せの分析 (4)インスタントな幸せの作り方 (No59)
© 2000-2005 Japan Theravada Buddhist Association.