根本仏教講義
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15.もうひとつの生き方 II
(3)『感情』の恐怖と危険
A・スマナサーラ長老

 先月は、人間の生き方がいかに『明晰さ』に欠けるかということをお話ししました。たとえばついつい決まり文句を使って挨拶してしまうことで、その理由や目的を明確にする努力をやめてしまい、結局よい結果を生まないということなどをお話ししました。病気見舞いでただ「がんばってください」と決まり文句を言うのではなく、相手やまわりの状況を判断して言葉をかければよい結果を生むことができるという例などをお話ししましたね。しかし、相手やまわりの状況を正しく判断するためには、『智恵』が必要です。無知、欲、怒りは、人間を精神的病気に陥れる三大要因です。

■欲に征服されたら暗闇に■
 欲について考えてみましょう。以前お話ししたように、ものごとを極端化して、オーバーな事例を考えると事実が見えるという手法がありますので、その方法を使ってみましょう。

 人間の頭の中に『欲』が生まれたときには、ほかのものごとが見えなくなってしまいます。何かが好きになってしまったら、好きで好きでたまらない。常識も忘れてしまうんですね。忘れていろいろな妙な行動に出るのです。

 たとえば風俗ビデオや漫画を暇つぶしに観たり読んだりする。知らないうちに頭の中が欲の妄想でいっぱいになる。実際の世界と観念の世界の境目が壊れてしまう。頭の中の妄想を実行しようとする。その人は、会社ではごく普通の真面目なサラリーマンなのに、ある日突然女性を襲ったり、極端なストーカー行為に出る。そこでみんな首をひねっちゃうんですね。あれほど真面目な人が、なぜそんなことを…と。

 最近ある女性が自分の赤ちゃんを殺して逮捕されたケースがありました。動機を聞かれて「育てるお金がなかった」と答えましたが、実際には家族にはかなりの収入があったのです。この女性はパチンコ遊びの楽しみに溺れて、お金をすべてそれに浪費してしまったのです。欲の感情に汚染されたら、我が子さえも邪魔に見えるくらい、頭がおかしくなるのです。

 お母さんの前ではとても良い子だった小学生が、知らないうちに人を殺している。お母さんも学校の先生も、寝耳に水なんですね。あれほどよく言うことを聞く子供だったのに、と。神戸の方で、小学生が残酷に人を殺した事件がありましたね。普通に考えれば、子供にそんなことができるはずはありません。いったいどういうことなのでしょうか。

 子供はそのとき、自分のこころの、感情の世界の中に入り込んでしまっているんですね。マンガの世界、妄想の世界に入り込んで、そればかりを考えている。そこで、突然それを実行してみる。実行しているときには、本人には何も見えない、何もわからないのです。  お釈迦さまはおっしゃいます。「怒りに征服されたら、あるいは欲に征服されたら、もう目は見えない。あるのは暗闇のみである」と。

 たとえばきちんとした知識人である官僚の方々でも、ある日突然、決してやってはいけないことをやってしまっていることがありますね。

 ですので、人間の持つ感情というものは、大変危険なものなのです。お釈迦さまは、これは危険であり、毒であり、敵であり、殺戮者であると明言されています。我々のこころのなかに毒がある、敵がいる、自分を破滅させる殺戮者がいるとおっしゃっているのです。それは具体的には貪瞋痴、欲と怒りと鈍感という3つです。

■もうひとつの道■
 ですから「正直に」という言葉も、先月お話ししたように危ないわけです。では逆に、自分の気持ちとは逆の行動をとればよいのでしょうか。私が言うように「正直にやることが大変危険である」というなら「正直はやめて、自分の気持ちと反対の行動をとってみましょう」というのがよいのでしょうか。やってみれば、1日2日は何とかがんばれるかもしれません。人が言うことを自分はまったく認めたくない。でも頑張って言うとおりにやってあげる。1日、2日、3日…なんとかできるかもしれませんが、4日目にはもうできないのです。ものすごいストレスがたまるのです。自分の素直な気持ちとまったく反対のことをやるというのは、また大変な苦しみなのです。自分の正直な気持ちと全く逆に、人に言われるとおりに行動するというのも、かえってまた大変なストレスであり、いずれ問題になるのです。いくらかは我慢できても、いつかは爆発してしまい、壊れてしまうのです。ですから、結局、どちらでも問題だということです。

 では我々の『もうひとつの道』とは何でしょうか。それは、『理解すること』なんですね。欲、貪りというものが生まれたら、その瞬間に自分の『目がなくなった』ということを、理解することなんです。智恵が消え、精神的な病気に陥ったのだということを理解しなければなりません。

■大人になりなさい■
 大人は忙しいですから、病気になるチャンスは少ないかもしれませんが、それでも問題となる回数は大人の方が多いのです。大人は朝会社に行って、会社という社会に生き、それが終わったら飲み屋という別の社会に生き、その後は家族という社会に生きる。なかなかひとりにはなれないのです。  子供は大人のようにおさえられている時間が少ないですから、妄想する時間もたくさんある。子供たちには自分の世界というものがありますから、いろいろ問題を作るのです。本当は大人の問題の方が恐ろしいのですけれど、子供たちが問題を作ったら、我々は驚いてしまうんですね。

 ともかく、たとえわずかでも欲が生まれると、論理性、合理性がなくなって、ものごとが見えなくなると思ってください。ダイエットしたいと思っている人が目の前に好物を並べられたら、やっぱり「食べたい」という欲が生まれてくる。食べたいと思って、欲に負け、欲に征服され、食べてしまう。そうすると、今までダイエットを続けてきた苦労は水の泡となって消えてしまうのです。貪瞋痴に征服されると、とにかく大変危険なのです。

 では、我々が生きているこの世の中は、どのような感情で動いているのかと考えると、貪瞋痴そのものなのです。世の中の誰を見渡しても、自分の感情のままに行動する『子供』ばかりです。『大人』はいないのです。お釈迦さまがおっしゃっているもうひとつの道とは「大人になりなさい」ということなのです。

 たとえばアメリカのクリントンさんは、自分がイラクを征服したと子供のように威張っていましたね。いろいろ理屈をつけても、手短にいうと、子供のように喧嘩を売って、脅した、ただそれだけのことです。ではイラク側はどうかというと、やはり同様にバカな子供の行動なんですね。パレスチナとイスラエルの問題はどうかというと、ここにも成長は見えませんね。闘って、相手の土地を奪いたいとイスラエル人が考える。ユダヤ民族は成長しなければならない、だから人のものを奪おう。自分が好きだから、相手のものを奪うというのは、もう、成長した大人の考え方ではないんですね。そこで相手が自分のものを取ったから、腹が立つから相手を殺してやろうというパレスチナ人の方も、到底大人とはいえませんね。ここにあるのは、まさに『欲』と『怒り』だけでしょう。このように世の中の人々に成長は見られません。感情のままに生きる子供そのものです。それを何とかできるのは、第三番目の道、大人になるという選択なのです。

 外国人の私が言うことではないのですが、中国の首相が来たとき、結局は友好文書に調印できなかったんですね。僕には2人の小学生のやりとりに見えました。僕はサインしません。俺はやらないよ、と。第三者として言うならば、日本は中国と仲良く、お互いに友情を持って組んでがんばれば、中国も助かるし、日本も助かるんですね。お互い幸せになれるのです。現在の日本の経済状況はあまりよいとはいえませんが、中国のような巨大マーッケットとともにあれば、経済はぐんぐん回転すると思いますけれど。大人であれば、そういうことを考えますが、子供は考えないのです。ただ喧嘩して、イヤだからイヤで終わっちゃうんです。このような問題はちょっと考えると、いとも簡単に解決できるはずなのです。さらに言えば、中国の首相が来るというなら、日本側はその人がどこで生まれ、どんな性格で、どういう政策を持っていて、どういう人かということを前もって調べるくらい普通のことだと思います。それならこの人と仲良くするためにはこうすればよいとわかるでしょう。どうもそれをやっていないようですね。天皇陛下の晩餐会で、天皇が言葉を選んで丁寧に話しているのに、相手は言いたい放題のホンネを大胆に披露したんですね。では彼がバカなのかというと、そうでもないのです。アメリカをはじめ他の大国とはうまくやっているのです。 そういった点でも、大人になって対応しないから、損をしたのではないかと私は思うのです。

 彼は来る前から言っていたのです。今後、21世紀も、日本とは手を取り合って良い関係を作っていきたい。そのためには解決しなければならない問題がある。戦争のとき、日本が中国に多大な損害を与えたこと、自分たちはその痛み、恥を現代まで引きずってきている、と。賠償の問題はもう解決しているのですから、後は態度の問題だけだったのです。実は首相自身も、戦争時につらい目にあったひとりだったようですね。ですから、そのあたりをちょっと理解した方が互いのためによかったんですね。  今の社会になぜ平和がないかというと、人間が成長していないから、ということに尽きると思います。怒りと欲。そのなかで高慢や見栄や、自分が偉いのだとか、誰にも負けませんとか、そういったくだらない子供の考え方ばかりいっぱい持っているのです。

 イスラム教では、彼らの聖書であるコーランに、我々は唯一の神を信頼している、そう書いてあるだけなのに、そこからいろいろな妄想を創り出してしまう。私たちだけが偉大なる神を信仰しているのだから、私たちだけが正しいのだと。その妄想をもとに世界中でテロや戦争、殺戮を繰り返しています。それが幸せなのでしょうか。アフガニスタンもパキスタンもパレスチナも。

 このように、欲も怒りもよくないのです。このくらい危険なのだと理解しておかなければなりません。欲と怒りが生まれたら、もう無知となってしまうのです。無知というのは、言葉を換えれば『病気』といってもよいくらいなのです。大人じゃないのです。 (この項つづく)
(スマナサーラ師講義より構成しました  /文責;舟橋左斗子)

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