根本仏教講義
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17.人とのつきあい方
(4)「持ち逃げ屋」の見分け方
A・スマナサーラ長老

■判断ミスが不幸を招く■
 前回は、人間関係は誰にも無視できない絶対的に大切なものだということを説明し、「善友とつきあうことが仏道のすべてである」というお釈迦さまの言葉も紹介しました。

そこで問題は、どうすれば善友と悪友の区別判断ができるのか、ということになります。 判断ミスをして悪人を善友だと思ってしまうと、我々の人生そのものが破滅することになります。 人の心というのはそう簡単に理解できないものです。 善友・悪友の判断は決して簡単に出来るとは思いません。

 解脱に達することも善友の指導のお陰があってこそ可能になります。
「そのような善友に巡り会うわけがない」と修行を後回しにしても、決して瞬間でも後回しに出来ないことがひとつあります。 それは生きていることです。

死ぬまで、この世で、とにかく人間の社会で生きていなくてはならないのです。

 ただダラダラと生きていても、それほどおもしろくないと思います。 人間は幸福で明るく生きていなくてはいけないのです。 そこで、日々の生活の中でも正しく善友と悪友の区別判断をする必要が出てくるのです。 ところがほとんどの人々が判断ミスを犯してしまいます。 ですから、世の中には、それほど苦労しなくても悩まなくてもいいような人生なのに、必要以上に苦しんだり悩んだりする人々の数があまりにも多いのです。

■できが悪くても親は子を心配する■
 というわけで、お釈迦さまの智慧を借りることに致しましょう。 日常生活の生き方がとてもわかりやすく語られた経典がひとつあります。
(Dîgha Nikâya III,180-193) 王舎城(Râjagaha) に、シンガーラ(Singâla)という親の言うことを全く聞かない、できの悪い若者がいました。 死の床に横たわった父親は、息子のことが心配で、何とかしてまともな人間にしてやりたいと思って、息子をそばに呼びました。 そして「シンガーラよ、私が死んだら、お前は毎日、六方を礼拝しなさい」と言い残して亡くなりました。

父と別れて悲しみに陥ったシンガーラは、親の最後の言葉だけでも守ろうとこころに決めました。 しかし、親の言葉に耳を傾けない性格でしたので、「六方って何?」と父親に聞かなかったのです。 ただそれから毎日、日の出と共に沐浴して、東西南北上下という六方をとにかく拝むことにしました。 まあ見るからにアホらしい行為ですが、たとえ親が死んでからでも、親のありがたみがわかってがんばるのは憎めない性格だと思います。

 このことを察知されたお釈迦さまは、朝早く彼の所に行って、「君、品格のある知識人の六方礼拝のやり方は、君のやり方と全く違いますよ」とおっしゃいました。
シンガーラは「それをぜひ教えて下さい」と懇願したのです。
「ではよく聞いて、覚えておきなさい」と、お釈迦さまは、人間関係について、在家としての正しい生き方について、明確にわかりやすく説かれたのです。

 「六方を礼拝する前に、しなくてはいけない準備があります。 まず四つの汚れ (殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫、嘘) を落とす。 次に、罪を犯しそうになる四点 (欲に誘惑される、怒りに巻き込まれる、無知でやみくもに動き回る、恐れと怯えにうち負かされる) に気をつける。 それから、財産と収入が無駄に漏れてしまう六つの穴 (酒・麻薬等に溺れる、夜遅くまで遊び回る、パーティや祭り等の社交漬け、賭け事、悪友とつきあう、怠ける) をふさぎなさい。」(p.181-2)

■悪友は財布に穴を開ける■
 ここで、今回のテーマに戻りましょう。 苦労をして貯めた財産が、穴のあいた水筒のように無駄に漏れて消えてしまう原因の一つは、悪友とつきあうことなのです。 お釈迦さまは、当時の社会で見られた悪友達を例に出して、親切に説明なさいました。

 「賭博者(とばくしゃ)(dhuttâ)、 耽溺者(たんできしゃ)(sondâ:異性・食べ物・飲み物など何にでも溺れてしまう性格)、 大酒飲み(pipâsâ)、 詐欺師(さぎし)(nekatikâ :相手に気づかれないように巧みに(だま)す)、 騙し屋(vañcanikâ(ずる)をして騙す)、 粗暴(そぼう)(sâhasikâ) という六種類の人間がいます。 このような人々と仲良くすると、自分の財産は、(ざる)から水が漏れるように消えてしまいます。」

 悪友の区別判断のためにはこれだけの説明ではとても足りないと、お釈迦さまは思われたことでしょう。 なぜならば、仏教においては、誰と仲良くするかということは、たいへん真剣に取り組むべき問題だからです。 そこでお釈迦さまは、さらに詳しい説明をなさったのです。

 わがまま息子シンガーラに幸せな人生を送ってもらいたいと、お釈迦さまは、わかりやすく丁寧に、悪友と善友の区別判断について説法を続けました。

友人のように見えて、真の友人どころかむしろ悪友と見なすべき人々が四種類いるのです。
相手に対して悪意をもっているのに優しそうなお面をかぶって相手を不幸に陥れる人々−「善友かぶり」ですね。

 幸福に生きていきたいと思うならば、このような「善友かぶり」に注意することが大事です。 先程述べた六種の悪友は、善人面をかぶっているわけでもありません。 たとえば粗暴な人であれば、すぐにわかるのだから、関係を絶つ勇気さえあれば良いのです。 一番たちが悪いのは「善友かぶり」です。 これから、お釈迦さまの言葉に沿って、四種類の「善友かぶり」のことを詳しく考えてみましょう。

■(1) 持ち逃げ屋:Aññadatthuhara (アンニャダットゥハラ)
「在家の若者よ、善人かぶりの悪友の一番目、『持ち逃げ屋』が四つの特徴からわかります。
  一つ目の特徴は、必ず何か持ち帰る。
  二つ目は、わずかなことをしてあげて沢山のお返しを期待する。
  三つ目は、自分に危難が訪れたら奴隷のように相手に慣れ親しむ。
  四つ目は、自分に何か用事があるときのみ、つきあおうとする。
この四つの特徴で、『持ち逃げ屋』という悪友を区別判断できます。」(185)

 この訳(随分意訳ですが)だけでは、現代社会の人々には実感が湧いてこないかもしれません。

まず「アンニャダットゥハラ」の意味なのですが、aññad atthu は「何はともあれ」、hara は「持ち帰る」という意味です。 これらの意味から、私は「持ち逃げ屋」と意訳してみました。

 私たちを訪ねてくる人々の中に、次のような人々がいるかもしれません。 こちらが持っているものをやけに誉めてくれる。 しかしこの誉め方が少々違う。 「私も欲しいなあ、私は手に入れることができないのだから残念だな、うらやましいな」という気持ちがいつも入っているのです。 聞いている人が、その人にあげないと悪いような感じになってしまうのです。 「この人がこれをもらったら、すごく嬉しいだろうな」と思わせて、それを手に入れるのですね。 あげた側も別に損した気持ちにはならないのですが、回数が度重なると、かなりの損になります。 歳月をかけて微量の毒をご馳走にまぜて、じわじわと殺すような人ですね。 損する側は「相手は友人だから」と気楽に思っているのですが、相手が自分に何かをしてくれることは決してないのです。 友人に優しくする人間の素晴らしい感情を悪用して、弄んでいるのです。 これは、お釈迦さまがおっしゃった「持ち逃げ屋」の一つ目の特徴です。

■友人か寄生虫か■
 二番目の特徴「わずかなことをして沢山のお返しを期待する」と聞けば、わかりやすいような気がしますが、悪友というのは簡単に正体がばれるほど間抜けではないのです。

悪友を簡単に見破ることができれば、誰も苦労しないのです。 この場合は、「善友かぶり」が、常識的なギブアンドテイクの人間関係を上手に演じるのです。 友人関係のギブアンドテイクは金額に換算できないことを利用するのです。

 たとえば自分の家で急病人が出たとします。 自分には小さな子供がいるのに、徹夜して看病をしなくてはいけない。 そこに友人が来て、「あんた、頑張ってください。 子供には私の家でご馳走を食べさせて、遊んであげたり、お風呂に入れて寝かせたりしてあげますよ。 明日、ちゃんと学校へ行けるようにしてあげますから、まかせてください」と言う。 子供一人の面倒を見てあげることは、その友人にとっては何のこともない、かえって楽しいことかもしれません。 でも、その世話を受ける人にとっては、感謝しきれないほどありがたいのです。 「一日子供の面倒を見たら、いくらくらいのお返しをすればいいですか」という話ではないのです。 それはお互い様なのです。 その友人に何かあったら自分が助けてあげれば良いのです。 あげる側にとっては大したことではないが、もらう側にとっては、たいへんな価値があることで助け合う。 正しい人間関係は、このようなものです。 友人に何かを頼むときは、相手にとっては負担にならないようにするのです。

 「持ち逃げ屋」には、この法則はないのです。 あげる場合も、もらう側には何の価値もないとわかっても押しつける。 処分に困っているものなどを強引にあげる。 あるいは、本当につまらないものに余計に付加価値をつける。 (たとえば「これは北海道から鞄に入れて運んできましたよ」と言って、1キロくらいのジャガイモをくれる。) もらう側は、断るにも断れず、捨てるにも捨てられず、はめられた状態になるのです。 しかも、それで問題は終わらないのです。 相手のギブアンドテイクの感情に便乗して、かなりのお返しを要求するのです。 (ジャガイモ1キロで機嫌をとられ、一週間犬の世話をさせられる、など。)

 三番目の特徴は「自分に心配事ができたり、危難に出遭ったら、奴隷のように何でもしてくれる。」 相手の力でその問題を何とか解決した時には、奴隷どころか、連絡さえもない。 困った事になった時だけ顔を出す人です。 人間関係は楽しい筈なのに、このような人とつきあう場合は、いつもいつも助けてあげるだけで損するばかり。 得るものはなにもないのです。

 四番目の特徴はわかりやすいと思います。 自分の用事がある時、自分に利益がある時のみつきあってくれる人々です。 それは普通だと思われるでしょう。 しかし、違います。 こちらに用事があった場合は、言い訳をしてうまく逃げるのです。 つきあってくれないのです。

 この四つの特色で、「持ち逃げ屋」という「善友かぶり」を判断することが出来ます。 (この項つづく)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責:早川瑞生)

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