根本仏教講義
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17.人とのつきあい方
(5)「善友かぶり」の見分け方
A・スマナサーラ長老

  前回は「善友のような顔をしているが実は悪友」という「善友かぶり」の一つ目のタイプ、いつでも自分の都合しか考えない「持ち逃げ屋」(aññadatthuhara)について説明しました。 「善友かぶり」である悪友は全部で4タイプに分けられています。 今回は、残りの3つのタイプについて述べたいと思います。

■(2) おしゃべり屋:Vacîparama (ワチーパラマ)
 Vacî は「言葉」、parama は「最上位」。 「言説を最上位とする」ということになります。 口先だけ、という意味です。
つまり、口だけ達者で結局は何もしてくれない「善友かぶり」のことです。 ここで「おしゃべり屋」と名づけておきましょう。

 この悪友を発見するために釈尊が四つの特徴を教えられたのです。
  1.過去の言葉で対応する、
  2.将来の言葉で対応する、
  3.無意味な言葉で対応する、
  4.なすべきことが目前にくるとすぐ都合が悪くなる。

 これだけで悪友の発見は出来ませんので、少々説明いたします。
わかりやすい例で言えば、突然お金が必要になったとしましょう。 そこで友人から借りることにします。 その友人は「先月に頼んだならばその二倍でも貸してあげたのに、残念ですねえ」と言う。 その人は「先週だったら良かったのに、昨日だったら良かったのに」などの何か過去のことを言うのです。 借りようとした友人は、自分の頼みを単に断られているのだと気がつかないのです。 本当に良い友人だと錯覚して、手ぶらで帰ることになるのです。
また同じ手段で、「来月なら、来年なら」と、将来の言葉で、友人を助けないで逃げるのです。

3.の、無意味な言葉で対応することにも、一つの例で考えましょう。
例えばどこかへ行かなければならない用事ができて「飼い犬を預かってくれませんか」と頼んだとします。
親友であれば「いいですよ」と気持ちよく面倒を見てくれるはずです。 しかし、この悪友は、どうでもいい言葉で「親切」に対応するのです。 「犬というのは飼い主に大変なついていて、他の人に預けられると精神的に参ってしまうんですよ。 そのことはちゃんとわかってますか。 犬が寂しくなったら飼い主を信頼しなくなるかもしれません。 他人が餌をあげると、全く食べてくれない犬もいますよ」と、どうでもいいことで説教したりするのです。
友人は「親切に良いアドバイスをしてくれた」と勘違いするだけではなく、用件も忘れて帰るのです。 結果としては、犬を預かってくれませんかと二度と頼みづらくなる。 しかし「その人は友人だ」という気持ちはそのままです。

4番目の特徴は、このように理解しましょう。
町内会であるグループが料理を作ることになったとしましょう。 そこでは、皆協力して責任を果たすのが普通です。 この中に「おしゃべり屋」一人がいます。 「タマネギをむいてください」と言うと、「私はタマネギで涙が出てアレルギーみたいになりますから、うちでは娘にやってもらってますよ」と言う。 ジャガイモを頼んだら、「あなたは手早くてプロみたいに上手なのに、私がやったら一日かかるかもしれません」と言う。 とにかく皆でやるべき仕事をしないのです。 しかし、口達者で、仕事をさぼっている事をさとられないようにするのです。 皆、この人は何もしていないのに、「仲間でいい仕事が出来て気持ちが良かった」という錯覚で終わるのです。

 「おしゃべり屋」は「善友かぶり」の悪友です。 このような人とつきあっても、何の役にも立ちません。 しかし、相手の「友人だ」という気持ちを上手に守るので、こちらから友人としてやってあげることを何でもしてあげる羽目になるのです。 助け合う友人ではなく、一方的に助けてあげるだけの人になります。 人間関係で我々は「おしゃべり屋」を発見できる能力を持つべきです。

■(3) おだて屋:Anuppiyabhânî (アヌッピヤバーニー)
 Piya とは「気に入る、喜ぶ」という意味で、anu は「沿って」ということです。 Bhânî は「説く人」。 Anuppiyabhânî になると「相手の気に入るようにしゃべる人」という意味になります。

 これは〈口を合わせる〉性格のことです。 いつでも人に合わせて、反対することなく何でも「はい、はい」と言う人です。 それだけ聞くとなんだか親切な人のようにも聞こえますが、実は「善人かぶり」の悪友です。 ここで「おだて屋」と名づけておきましょう。

 「おだて屋」の悪友を発見するための特徴が四つ教えられています。
  1.悪事にも賛成する。
  2.良いことにも賛成する、
  3.目の前ではよく誉める、
  4.他人と陰で悪口を言う。

 これだけでもこの悪友の発見は出来ると思いますが、少々説明いたします。
悪いこと、たとえば誰かが「もう会社の金を横領でもしないと、給料だけでは生活できないよ」と言ったとしたら、この人は、周りを窺って、誰にも聞こえないように賛成する。 「バレなきゃどうってことないでしょう。 会社も私達をさんざん働かせて儲けているのに、ボーナスも雀の涙みたいなもんです。 少々のお金、会社に何の損もありません」などと言って、賛成して味方になるのです。
次に、「今度の日曜日にボランティアで公園を掃除しようと思っているのだ、あるいは老人ホームにお手伝いに行くのだ」のような良いことを言ったならば、それにも気持ちよく賛成する。 「それはすばらしいことですね、どうぞがんばってください」とまた応援する。 このように善であろうが悪であろうが、無分別に諸手をあげて賛成するというか、相手に迎合する人です。

 それからもうひとつ、この性格の人は、友人と顔を合わせているときだけは、その友人のことをよくほめます。 けれども本人がいないところでは、悪口を言ったり、批判したりするのです。 これは、三番目と四番目の特徴です。 友人の良い行動にしても、陰で、「私が一生懸命に応援して背中を押しているから、やっていることです」と言う。
悪いことの場合は「あの人は平気で悪事をはたらく。 注意しても聞いてくれるわけではありません。 バレたら私達まで大変なことになる」などを言う。

 ですから、いくら「はい、はい」と口を合わせてくれても、結局は役に立たない人なのです。
政治家の方々も秘書などに「おだて屋」を選ぶと、腐敗政治になって、政治生命も断つことになってしまうのです。 その時は他人に知られていない悪い行為まで公で証言するのです。 「おだて屋」に取り憑かれると、どんな立派な人でも不幸に陥るのです。

 友達であれば、何かあったら色々と教えてくれて、助けてくれるものです。
「おだて屋」も友人に真剣に教えてあげる、助けてあげるという顔をして、巧みに話すのです。 しかし、その言葉は一つ残らずただの「はい、はい」という結論で終わるもので、何の役にも立たないのです。

 会っているときは、自分が何を言っても何をしても、誉めることを惜しみません。 周りにも「素晴らしい人でしょう」と言うのです。 それで、この悪友に、まんまと騙されるのです。 悪友であることに、全く気づかないのです。 陰で悪口を言う人だから信頼性はゼロですが、自分にとってはその人を信頼するしか他の道がなくなるのです。 「本当にいい人だ、自分の味方だ」という錯覚から抜け出せないのです。

 この人は、良いことも、悪いことも、口いっぱい賛成して応援しますが、実際にやることになったら、何もしてくれないのです。 悪いことの場合は、協力したならば、自分の手も汚れますので気を付ける。 良いことの場合も協力しないで、陰で「私が言ってあげたからやっていることだ」と自分の徳にしようとする。

 私達はだいたい、おだてに、誉められることに、弱いのです。 誉めてくれたらすぐ調子に乗るのです。 誉めた人を好きでたまらなくなるのです。 その人が言うことなら何でもしてあげたくなるのです。 この弱みをもっている限りは、人間は、この世界で安心して生きていられないのです。
誉める人は誉めるだけで済みますが、その人を友人にしておくためには、自分があらゆることをしてあげなくてはいけないのです。

 「おだて屋」も「善友かぶり」の悪友です。
このような人とつきあうと、自分が損するだけです。 損するどころか、人生は完全に破壊されてしまう可能性も充分あります。

■(4) 地獄への呼び込み屋:Apâyasahâya (アパーヤ サハーヤ)
 Apâya は「地獄」、sahâya は「仲間」。 苦界に堕落させる仲間。 いわゆる一般に言う悪友です。

 釈尊がこの人にも四つの特徴があるとおっしゃっています。
  1.酒・麻薬などを使用して怠ろうと仲間になる、
  2.外出してはいけない時間に夜遊びのために仲間になる、
  3.音楽・踊り・祭りなどに耽るために仲間になる、
  4.賭け事に耽るために仲間になる。

 悪いことをする仲間は作りやすいのです。 堕落する道であれば、友人はたくさんいるのです。 この四つの項目を読んだだけで理解できないところもあるので、少々説明します。

 たとえば、飲み友達というものは、酒を飲む時にだけつきあってくれる人です。 他の用事の時は顔を出さない。 「今夜、一緒に一杯いかがですか」と誘うと、「はいはい、つきあいますよ」と喜んで出てくる。 その人は、家族の問題の相談や仕事の相談などには乗ってくれません。 「それは私には関係ありません。 そんなことはわかりません」という態度で、逃げてしまうのです。

 日本では「お酒くらいはいいではないか、どこが悪いのか」という考えが一般的です。
しかし「酒は人を溺れさせる」というのも、また事実なのです。 「一滴の酒も飲んではいけない」というのは、仏教徒の戒律です。酒を禁止したのは、人類に酒が悪いと思ったからです。 酒は人を依存させるものです。 頭は混乱させるし、脳細胞に悪影響を与える。 人が凶悪犯罪などを起こすほとんどの場合は、酒の力を借りるのです。 普段はおとなしい人なのに、酒に酔って犯罪を犯すこともあります。

 夜遊びも、賭け事も、依存症を引き起こします。 音楽公演 ・映画 ・踊り ・祭り なども適度を知らないと危険です。 そういう催し事はいくらでもあるので、依存症になります。

 悪いことには、いとも簡単に連れが出来ます。 子供であれば、オートバイで暴走するグループや、一緒に万引きするグループなどがいます。 仲間意識が悪友の場合は固いのです。 しかし、彼らは自分を幸福にする天国への案内人ではなく、地獄への呼び込み屋です。 絶対に避けるべき人間なのです。  (この項つづく)

(スマナサーラ師講義より構成しました/文責:早川瑞生)

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