「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【1】 日常生活の中での冥想の仕方 1

Q: 今月からしばらく、ヴィパッサナー冥想に関する質問をさせていただきたいと思います。まず家にいるときや、普段の生活の中でする冥想について教えてください。

A:
 どんなことでもいいですから、自分でやっていることを確認してください。それがもう、ヴィパッサナー冥想なのです。皿を洗っているときも、料理を作っているときも、食べているときでもおフロに入っているときでも、いつでもできるのです。皿を洗うときに、冥想会でやるようなおなかの膨らみ縮みの確認をするのではなく、「皿を取ります、洗います、拭きます、置きます」 といったように、その時自分がやっている行動を、心のなかで確認するのです。普段やっていることを2度確認することです。それをやって、いくらか慣れていかないと、そこから進むことは難しいのです。

Q: 冥想会で座ったり歩いたりという冥想を実践することとは別に、そのような日常の 「確認」 を続けることには、どのような意味があるのでしょうか。

A:
 我々が生きている幻想的な世界を破って、真理の境地に至るために、その方法が必要です。日常の冥想というのは、自分がやっているもろもろのことを、本当にきちんとやっているのかという確認をすることがポイントです。ですから、それができるようになると、我々人間は実際のところ何をしているのかというところまで進めるようになりますが、最初はそこまで考えなくてもいいのです。
 皿を取って、洗って、置きます、というようにやってみればいいのです。それまでのように、普通に確認せずに仕事をしている途中で試しに確認してみる、普段のように仕事を進めながら、確認をしてみてください。そうすると、何か差がでてくるかどうか、自分でわかるはずです。
それが上手にできるかどうかということだけがポイントであって、その時点で、皆さんがどれほど悩んでいるかとか苦しんでいるかとか、性格がしっかりしていないかとか、そういうことは関係ありません。ただ、単純に見える確認作業でさえ、性格がしっかりしていなければできないのです。

Q: 確認をしながら仕事をしようとしても、いろいろなことを考えてしまって、すぐに確認を忘れてしまいます。

A:
 そうなのです。ずいぶん偉いことを毎日やっているように思っていますが、水一杯飲むことがあなたにできますか、と聞きたいのです。大した仕事ではないのですから、水一杯飲むということを、きちんと言葉で確認しながらやってみてください。性格ができ上がっていない人にはできないのです。頭があっちへ行ったりこっちへ行ったり、早く飲んでしまったり必要以上ににゆっくり飲んでしまったり、うまくはできないのです。そういう簡単な、歩くこと、座ること、横になること、掃除や洗濯をすること、会社に行くこと、仕事をすること、そういう毎日やっている普通のことをきちんと確認できれば、注意して行うことができれば、もうそれだけで立派な人間になるのです。2−3週間くらいはかかりますが、試しにやってみてください。
 電車で立っているときなど、いろいろなくだらない雑念を全部心のなかから取り除いて、「立っています、立っています」 「見てます、見てます」 「聞こえています、聞こえています」 というふうに現実にある事実だけを確認するのです。座席があれば座ってもいいし、座ったら目を閉じてもいいし、閉じなくてもいいのですが、体の揺れ、電車の音、あるいは呼吸でもいい、頭の中でつくりだす妄想ではなく、実際にある何かを確認していくのです。

Q: たとえば「電車の音が聞こえる」というふうに確認すればいいのですか。

A:
 何かの音という風な確認ではなく、ただ、耳に触れるものとしてだけ 「音」 を確認するようにします。音というものは耳に触れるだけのものなのです。
それがカラスの声か、人間の声か、さらには騒々しいとか心地よい音だとか判断するのは、我々の脳細胞です。脳細胞には関係なく、「音です、音です」 あるいは 「聞いています、聞いています」 とじーっとその音を観る、それが、ヴィパッサナー冥想なのです。
ヴィパッサナー冥想にならないのは、こういう理由でその音が鳴っているのだなどと考えるときなのです。

Q: 脳細胞を働かせて、脳細胞に何かを考えさせてはいけないということでしょうか。

A:
 人間は大体、考えるのが好きですね。考えるのをやめてくださいというと怖がるのです。人間でなくなってしまうような気がして怖いのです。でも本当に 「考えない」 ことは危険なことでしょうか。考えないと本当に馬鹿になってしまうのでしょうか。試しに 「考えない」 ようにしてみてください。
発見できるはずです。何も考えないで、ただ行動しているだけの人は、ものすごく智慧があって、ものごとをわかっている、落ち着いた素晴らしい人間であることを。

 少しわかりやすい例でいいますと、仕事中、頭を痛め続けて考えても全く仕事がはかどらない、けれども頭をリラックスさせて、気持を楽にした瞬間に仕事がうまく進み出す、そんなことはまれなことではありません。つまり、人間の成長を大きく邪魔するのは 「妄想」 であると言えます。
我々の全ての悩み、苦しみは、「妄想」 と 「価値判断」 から生まれてくるのです。

Q: しかし、何かを見たとき、聞いたとき、何かに出会ったとき、判断しないということはできないのではないでしょうか。

A:
 私がよく言うのは、人が私に 「ばかやろう」 と言った、それで私が怒った、それは当り前だと思ってしまいますが、当り前ではないのです。なぜなら、その人の言葉 「ばかやろう」 はただの音であるのに、「自分がけなされた→失礼なやつだ→言うべきではない」 と私が解釈したから怒ったわけです。解釈をしなければ怒らないはずです。
「その人がしゃべっている」 と、事実だけ確認すべきなのです。その人が私をけなしているかどうかは、私にはわかりません。
正しい人なら、怒る前に、「ちょっとごめんなさい、あなたはどういう気持でその言葉をしゃべっているのですか」 と聞くのです。それでその人が、「わたしはあなたをとことんけなしたいのだ」 と言ったら、じゃあ怒りましょう、ということではありません。ただ言いたいのは、自分の頭の中の勝手な解釈で、怒ることが当然だと思っている、それは違うということです。

(みなさんからのご質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、PATIPADÂ 編集部でまとめました)

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