「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)→【10】 冥想の基本と慈悲の冥想
釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ
【10】 冥想の基本と慈悲の冥想

Q: おなかの膨らみ縮みがよくわからないとき、どこに手を当てるのが一番よいのでしょうか。
ちなみにスマナサーラ先生のご本には、

 とありますし、
マハーシ長老のご本には

 とありますので、のちのちの修行のためにも、より具体的なご指導を仰ぎたいと思います。

A: いろいろな言葉で言っているように見えますが、言葉は違っても、言っていることはひとつです。
冥想を始めるとき、最初にしてほしいのは、からだに生じるリズミカルな動きを観察することです。
呼吸の動きを観察することは、様々な冥想の世界で、誰もが一般的にやってきた手法です。止まることなく起こる動きですし、また、観察もしやすい。心の状態によって、その動きも変わりますから、心とからだの関係を体験するためにもたいへん便利なものです。(心が乱れると呼吸があらっぽくなり、心が落ち着くと呼吸も回数を減らして一定のリズムで動きます)

 ヴイパッサナー冥想を始めるときは、「呼吸瞑想」ではなく、からだの動きとして呼吸を観察します。
おなかでも、下腹部でも、胸の辺りでも、自分が感じやすいところで観察をはじめたほうがよいでしょう。その中でも、おなかの動きを観察することを特に推薦したいと思います。胸の動きを見はじめると、かなり疲れますし、後にはわからなくなることがあります。おなかの方を見ていれば、いつまでも親察することができます。

 というわけで、おなかの方で観察を始めていただくために、手でも触れて感じてみてくださいとときどき言うのです。おなかの動きを感じない人は、まず手を当てて、感じてみた方がよいと思います。普通に動きを感じる人は、手を触れる必要はありません。具体的な触れる場所については、肋骨より下で、それぞれ皆さんが感じやすい場所に触れていただけばよいと思います。

Q: このごろ慈悲の冥想をたくさんやりたいなあと思っているのですが、慈悲の冥想とはどのようなものなのか、教えてください。

A: 慈悲の冥想は、ともかく心を慈悲の気持ちでいっぱいにするということが一番正しいやりかたです。
慈悲喜捨という4つの冥想がありますが、少し詳しくお話ししますと、もし4つの言葉をいっしょに唱えていても、心はどれか一つの方へ進んで行くものです。もう少し言えば、たとえば「慈」しみの冥想をしてくださいと言っても、その人の性格に合わないということもあるわけです。

 「慈しみ」というのは、「友情」のことなんですね。なかには友情の気持ちなどはピンとこない人もあります。その人にこの冥想をやらせても合わないのです。

 2番目の「悲」というのは、人の悲しみをなくしてあげたくなる、人の苦しみを何とかしてあげたくなる気持ちなんです。これは、ある種の人々にとっては、すぐにピンときます。人を助けてあげたり、人の面倒を見てあげたりするのが気持ちよくて、いわゆる世話焼きな人ですね。でも逆に世話をするのが煩わしくていやな人もいるのです。そういう人は別に心が悪いわけではなくて、それは大きなお世話ではないか、迷惑なのではないかなどと考えて、遠慮してしまうわけです。たとえば誰かが病気になってすぐ、お見舞いに行こうと思う人もあるが、やっぱり放っておこうと考える人もありますよね。こういう人に「悲」の冥想をやれと言っても、うまくいかないのです。言葉の空回りになってしまうのです。

 3番目の「喜」というのは、人の幸福を見て、自分が喜びを感じる、あるいは人の幸福のためにいろいろ行動しようとする人、相手を楽しくさせてあげよう、たとえば笑わせて幸せにしてあげようとかね。これもできる人とできない人がある。

 4番目の「捨」というのは、どんなものにもあまり驚かないで、純粋な気持ちでいる。状況に応じて行動ができ、何があってもクールに冷静な気持ちを保てること。それが4つのなかでは一番難しい。

 能力からいえば、「慈」がやりやすくて、「捨」がやりにくい。智慧がとても必要なのは、「捨」の冥想です。ですから、ともかく1セットにしてやればそのうちどれかひとつ自分に合う方向へ向かっていくのです。
そういう意味で、皆さんに紹介している慈悲の冥想は、万能薬のような取り組みやすい方法なのです。

Q: 難しそうですが、何かコツはありますか。

A: 私が自分で実践している方法をひとつ紹介したいのですが、慈悲喜捨のうちのどれかひとつの方向で常に世の中を見てみるのです。たとえば「慈」の冥想をするなら、「友情」冥想ですからどんな人に会っても、この人も友達だ、あの人も仲間だという気持ちを持つようにする。口はきかないけれど心は同じ、仲のいい友達だという気持ちになる。犬を見ても、猫を見ても、この子も私の友達だ、目が合えば「こんにちは」なんてちょっと挨拶してみたり、「元気?」とか、友達と言葉をかわすように声をかけてみたり。そういうことをやってみるのも冥想のひとつです。ゴキブリを見ても、「おっ、元気か? 元気で邪魔しているかい?」というふうに。もし家にいるゴキブリが元気がないようなら、何か食べ物に毒が入っているのでは、と心配してあげる。

 「喜」の場合には、人の幸福をわざわざ見るようにします。暗い側面ではなくて、いい側面を見るようにする。もっとも、生まれつきそういう性格の人もいますよね。そういう人々の性格はかなり明るいのです。誰を見ても、悪いところは見えなくて、いいところだけが見える。「すごいですねえ」「上手ですねえ」と口に出してほめる。するとほめられた方も楽しいし、ほめた方もとても楽しいのです。普通の人は「あの人は人はいい人なんだけど、服装がだらしない」というふうに悪いところばかり見る。そうではなくて、服装がだらしないところは見ないでいいところだけ見る。
あの人はとても明るくて、いつも冗談を言ってみんなを笑わせている人だとか、仕事になったらものすごく頑張る人だとか、いいところを見て人に言う。それもひとつの冥想実践なのです。

(みなさんからのご質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、PATIPADÂ 編集部でまとめました。)

←目次へ戻る
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)→【10】 冥想の基本と慈悲の冥想
© 2000-2005 Japan Theravada Buddhist Association.