「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【105】 「今」と「ここ」
Q: 私はなぜかいつも同じようなことで失敗し、もがいても、流れに任せてみても、その状況が悪くなるばかりです。人生には皆、乗り越えるべき試練があると聞いたことがありますが、これは私の試練なのでしょうか。それともそんなことは妄想でしょうか。

A: 答えは後者ですね。「試練」なんか妄想です。「自分」という小さなスケールで考えるから、そんなことを考えるのです。宇宙を考えてみてください。何か試練があって太陽が燃えているわけではないし、何か試練があって月が地球を廻っているわけでもないでしょう?「試練」などあるわけじゃないんです。人間として、自分の道は、いくらでも変えられます。といっても、すべては因果法則ですから、人間に翼が生えて空を飛べたということはあり得ません。因果法則の中で、がんばるならば、何でもできるものですよ。

 私たちがなぜ失敗するかというと、よけいなことを考えたり妄想したりして、やるべきことをやらないからです。妄想せずに、今、目の前にあることをやればいいのです。今、自分が、この瞬間に、この場所にいることから脱出することは、誰にもできません。ですからこの場所で、この時間にやるべきことをやる。それしかないのです。今この瞬間にやるべきことというのは、ずいぶん単純簡単です。そういう生き方をしたら、人生は全然失敗しません。

 失敗した人は、今やるべきことをせずに、何か別のことをしたのです。勘違いしたのです。なぜ勘違いしたのかというと、よけいな妄想をしたのです。高慢、怒り、欲、怠け、見栄など、あらゆる煩悩で、あれこれと妄想したから失敗したのです。
「今、何をするべきか」と生きているならば、いつでも楽しく生きられます。誰からも批判されません。ちゃんとその場その場でやるべきことをやる人は、成功するし、よく役に立つ人だと評価されます。

 その生き方は、「今」と「ここ」というふた言葉でまとめられますので、その二つをしっかりと覚えておいてください。それができれば、誰でも、すごく簡単に生きていけます。それは頭に叩き込むだけでは足りません。「生きる方法というのはそういうことである」と、しっかり骨にまで刻み込んでおいてください。

Q: 失敗した人は何をやるべきか勘違いしたのだということですが、勘違いしてしまう人は多いんじゃないかと思います。それを自分で気づくためには、どうすればいいでしょうか。

A: 勘違いする人は、多いどころではありません。人は皆、全員が勘違いして生きています。だから世の中には、ろくなことがないでしょう? 我々だけでなく、いわゆる立派な人々、国民を支配して権力を握っている大物の政治家や、高名な学者たち、科学者たちも皆、失敗だらけです。勘違いしてない人など、いるわけじゃないのです。だから勘違いしないというのは、そう簡単な問題ではありません。

 唯一の方法というのは、お釈迦さまの教えを実践することです。といっても、すごく難しいことではありません。さきほど言った、「今」と「ここ」ということ…いつでも過去や将来のことを妄想せずに、今やるべきことをやる。それだけです。

 それ以外の他のことを考える必要はないのです。知識も勉強もいりません。世の中にはいろんな知識がありますが、全部勘違いした人々の発見だから、正しく生きるための役には立たないのです。

 正しく生きるのは、ある特定の人間の特権じゃありません。誰にでも実践できることでないと、正しい道とは言えないのです。世界には勉強する機会がない人々もたくさんいます。「今、ここ」という時空関係の中で生きているというのは普遍的な事実であって、その場その場でやるべきことをやるというのは、誰にでもできるのです。これは、例えば、朝目覚めて、起きるときには起きる、歯を磨くときには磨く、ご飯を食べるときには食べる、駅まで歩くときには歩く、それだけのことで、そんな大胆なことではないのです。

 ところが私たちには、その簡単なことがなかなかできないのです。皆、「今」に生きることをせず、時間がすぐにずれてしまうのです。皆さまも、しょっちゅう過去や未来のことを妄想するでしょう? 実際のところは、我々に将来のことなど考えられるはずはないのです。過去のことは客観的な史実としては考えられますが、もう終わったのだから、過去のことなどはどうでもいいのです。

 時間がずれるということは、とんでもない無知な行為なのです。例えば一週間前に親しい人が死んだとする。今に生きてない人は、ずっとそのことに引っかかって、悩んで、悩んで、今の瞬間の自分の人生をダメにしてしまうのです。それは知性的な生き方ではありません。優しさでもありません。ただ自分のことが可愛いだけ。「すごく寂しい、たいへんだ、どうしていいかわからない」など、全部自分のことでしょう? とにかく、人間が考えることというのはろくなことじゃありません。ほとんどすべて感情的な妄想です。

 長くしゃべりましたが、言いたいことは、「今やるべきことをやりなさいよ」ということだけです。

Q: それは「妄想するなよ」ということですね。

A: 「妄想するな」というよりは、「今やるべきことをやる」と、そのままで覚えておいてください。

 これは年寄りであろうが、子供であろうが、関係ない。病人でも同じことです。病気になって倒れた人が、やるべきことをやらなかったらどうなりますか。いつでもその時にやるべきことをやるんです。勘違いせず、失敗なしに生きるためには、「今」「ここ」というふたつで生きることです。それは事実です。「私」というのも、ただの言葉だけだから、いりません。

Q: 病気になった時には、やるべきことをやるというのはわかるんです。でも、そういう緊急事態でない時に、一刻一刻の、今、今というのが次々と出てくるということは、ちょっと難しいと思うんです。

A: なぜ難しいと思うかというと、我々は何かぼけーっと色んなことを考えたいんですよ。妄想するのが楽しいと勘違いしているんです。でも本当は、ゴチャゴチャと色んなことを考えるのをやめて、その瞬間その瞬間のことをやっていると、すごく楽しくなるんです。

Q: それは超越した智慧ということですか。

A: 超越した智慧というのは、時空関係が変わるたびに「私」も変わっていくんだとわかることで、そのためには修行が必要です。ヴィパッサナー冥想は、そこを理解するためにやるのです。

「変わらない私など、いない。私の存在というのは時空関係で成り立ってる現象に過ぎない。時空関係は常に変わっていくのだから、私という存在もずーっと変わっていく。私という主語を使う場合は、どの場所でどの時間における私かと言わないと成り立たない」と。「私」というのはそれなんです。魂でも仏性でもありません。

 このポイントだけは、ちょっと難しいかもしれません。そういうところはヴィパッサナーの実践で理解しないと、頭で理解しようとしても、無理だと思います。

 ヴィパッサナー冥想とは「私」とは何なのかと客観的に観察することです。すごく科学的な実践であって、神秘的なことではありません。だから冥想という言葉より、実践といった方がいいのです。

 あらゆる煩悩、悩みというものは、「自分がいるんだぞ」ということから現れます。人は時空関係を忘れているんです。今ここにいる「私」は、次の瞬間にはいない。だから「私」という実体があると思ってしがみつくのは無意味なのです。思考というのは、幻覚に過ぎない「私」というものでもって感情的に考えているでしょう? ですから人が正しく考えられるはずはないのです。何を考えても、その人は、今の時間にやるべきことをやってないという、それだけのことです。

Q: 実践というのは実験と考えてもいいですか。

A: 実験というのは、ちょっと試してみる、トライアルということでしょう? 人生にトライアルする暇はありません。私がよく言うのは「人生にはリハーサルはない」ということです。人生は常に本番なのです。ですから、実験よりも、実践という単語がぴったりです。

Q: 「今やるべきこと」と「やりたいこと」が重ならない時は、どう考えたらいいでしょうか。

A: 何かする時は、やりたいかやりたくないかを基準にしてはいけない。それでは良い人間になれません。やりたいからといって、人の迷惑になることや自分の役に立たないことはやってはいけないし、やりたくなくてもやるべきことはやらないといけない。ですから私たちは、やりたいかやりたくないかではなくて、この行為が必要であるかないか、役に立つか立たないかということで、決めなくてはいけません。

 「やりたい、やりたくない」ということにはすごい落とし穴があるんです。人は智慧がない。こころは無知の塊で、正しい判断はできない。自分のこころは信頼しない方がいいのです。自分の思考パターンは悪魔だと思った方がいい。「やりたい、やりたくない」と言っているのはそいつなんです。汚れている悪魔の言葉です。だからやりたいと思うことは90%悪いことばかりです。タマにまれな人だけが、善いことをやりたくなるんです。

 子供たちの進路にしても、やりたいかやりたくないかではなくて、上手にできるかできないかということ、才能があるかないかということで、どちらに進むかを判断した方がいいのです。勉強や職業の場合は、いくつかの選択肢がどうしても出てきます。その場合はできるだけ上手にこなせる自信があることを選ぶのであって、やりたいことを選ぶのではないのです。

 前に言った「今」と「ここ」というのは、今の瞬間に今の場所で選ぶ一瞬の選択だから、たくさんの選択肢はありません。その一瞬、一瞬に、やるべきことを選ぶ。その生き方で、好き嫌いを乗り越えた立派な人間になるのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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