「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【14】 修行の楽しさ

Q:冥想状態のことでお聞きしたいことがあります。眠気もなく、痛みもなく、非常にさわやかに静の状態に入っているときに、背骨なら背骨でいいのですが、どこかに何かあるエネルギーみたいなものを感じたとき、そのエネルギーの動きの方を見ていけばいいものか、それともお腹の動きにこころをとどめておく方がいいのか、どちらでしょう。

A:おおむねは、気になるものがあれば確認した方がいい。違う現象が起きたら、無視するのではなくて、確認した方がいいのです。確認してみて、まあ特にたいしたことでもなかったと思えば、また膨らみ縮みに戻るというふうにしてください。

Q:では別の質問ですが、冥想を続けるうちにお腹に意識がなくなってきて、ただただ静けさのなかに入ってしまったような感じのときは、どうすればいいのでしょう。そのまま続けていればいいのでしょうか。

A:それはそれで、また何か確認しなければなりません。いつでも何か確認し続けることです。静かだなという自分を確認することでもいいですし、あるいはからだ全体を感じてみるのもひとつです。からだ全体を感じながら、言葉で「感じてます」「感じてます」とサティする。静かで気持ちがいいからと、ほっとしてはいけないのです。何も特別に確認するものはないと思うようならからだを全体的に感じてみてください。たとえば「膨らみ、縮み」でも、からだ全体に膨らみ縮みを感じてみると、膨らむ場合はからだ全体に変化が起こりますから、状態がより静かになってくると、そういうものも見えてくるのです。そのうちにまた別の感覚、たとえばどこかに小さな痛みを感じるならばまたそちらを確認する、そういうふうにやってみてください。常に何かを確認するという状態が必要なのです。

Q:修行というのは、本来厳しくつらいものだという印象がありますが、お話をうかがっているとそうは思えません。苦しい修行を経なくても、自分が成長していけるのでしょうか。

A:お釈迦さまは、生きることはどうがんばっても苦しみで終るのだということを教えられましたが、苦しみなさいとおっしゃったわけではないのです。苦しむものこそ幸福を得られますよとは一度もおっしゃっていません。仏道というのは、とても幸福に楽しく生きるための道なのです。

私の人生のなかで、一番充実していて、瞬間でも苦しみを味あわなかった時間があったかと聞かれれば、それは道場にいた何日間かだけなんですね。修行していた時だけなのです。生きるということはこれほど楽で楽しいものかと感じる時間です。それを終えて社会に戻ったら、戦いだらけなんですね。人々の煩悩の渦巻くなかで、いろいろなことをして生きていかなければならない。嫉妬する人に限って、あなたは嫉妬しているのだと言ってくるし、怒る人に限って、あなたはよく怒る人だと私に言う。それを私が認めなければならないようなことになるのです。いいえ違いますと言えば、怒る人はさらに怒るわけです。社会に生きていれば、そんなことが重なって私はだんだん人をいじめるようになったんですね(笑)。

 ともかく仏道というのは、瞬間瞬間、楽しいものなのです。修行自体は、苦しいはずがないのです。それを何とか発見していただきたいのです。「幸福」というのは「明日」得るものではなくて「今」得るものなのです。

Q:具体的にはどのようなことでしょうか。「今」という瞬間に怒りを持つこともあると思うのですが。

A:今、何かのことで怒ったら、何とか外に出て、どこかの喫茶店にでも入って珈排でも飲んで落ち着くようにしなければならない。それは「将来」の話で「今」の話ではありません。怒りが起きて苦しみが生まれたその瞬間に、幸せにならなければならないのです。すぐその場で幸せになるのです。その方法はこれまでも何度もお話ししてきましたね。人と話すときに、いろいろな余計なことを考えると、様々な怒りや苦しみやいろいろなものが生まれてくるのです。それでストレスがたまってきます。仏教を勉強しておられる皆さんなら、なぜ私が苦しまなければならないのかと自分に聞いてみてください。いつも「今」という瞬間を存分に気持ちよく、明るく、楽しく、いつも「今」、幸福を味わえる自分でいてください。それを実行していくと、たとえ何が起ころうと、何に出会おうとも、我々はこころに満ちあふれる幸福を味わうことができるのです。これらは解脱の楽しみではないが、生きている楽しみなんですね。特に、まわりの状況が非常に悪いとき、つまりひどい目に遭ったときですね。それでも自分のこころがものすごく安らかでいられる場合。まわりの状況に引きずられずに、自分がその瞬間を乗り越えてしまったということですから、自分自身にものすごく自信がつくわけです。それは大きな幸福です。

Q:非常に客観的に見て、誰が見てもつらい状況にあるときにでも、こころは安らかでいなければならないというとでしょうか。

A:そうあるべきですね。幸福というのは今の瞬間に得るべきものであって、明日幸福になろうという人は、ずっとなれないのです。逆に言えるのは、今日は苦しんでもいいということですからね。いわゆる、現在、本当に生きている今の瞬間は不幸でもいい、まだ現れてもいない将来は幸福をつかみますと言う人は、ずっと苦しむのです。明日は信頼しない方がいいのです。智慧のある人は明日は信用しない、明日はどうなるかわからないのですから。今日、幸福になるのだと、今日の瞬間もわずかでもこころを汚してはいけない、今日を楽しくがんばる…そういうふうに瞬間瞬間、幸福をつかまえる道が仏道なのです。

Q:むずかしいお話です。怒り、不快、苦しみ…そういうものがつらい状況下で出てきたとき、どう考えればよいでしょうか。

A:我々の頭というのは、どうしても苦しみを作ってしまいます。脳細胞がそれに慣れているのです。そして不快を感じると脳細胞が悪い物質を出してしまうのです。それは科学的にもわかっていることですよね。からだ中にその物質があふれて、からだをものすごく重くだるくして、内臓までものすごいダメージを受けてしまうのです。電気ショックのようなもので、経験もおありなのではないでしょうか。それは気持ち悪いし、自己コントロールができなくなってしまう、それくらいからだに毒なのです。脳の製造工場は毒を造ることばかり良く知っていて、からだを喜びであふれさせる物質も作れることを知らないのです。脳には両方のことができるということを認識しておいてください。

(皆さんからのご質問をスマナサーラ長老にお聞きし、編集部でまとめました)

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