「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【19】 善行為とは何か

Q:他人のものを自分の方へ引っ張ろうとすると、相手はかえってぎゅっと握ってしまう。個人主義的な喜びを追求すると、ほんの小さな喜びを得るために、大きな苦しみを味わわなくてはならない、というお話を先月お聞きしましたが、大きな喜びを得るための行為についてもう少し詳しく聞かせてください。

A:よりたくさんの、限りない喜びが欲しいならば、得るのではなくて、あげるという行動をするのです。限りない財産を持つ宇宙や地球に、我々が自分の持っているものを差し出したら、向こうは大きなお世話ですからいりませんと、逆のエネルギーを出してくるのです。そのような人は何不自由なく、自分に必要なものが自分の周りに揃っているのです。得ようと手を伸ばし、とったものではないのです。簡単に揃うだけなのです。揃っていても、特に自分のものだとは思わないですし、いつでも人にあげたい気持ちでいるわけです。

Q:そのような欲のない状態があるのかと、信じられない気がしますが、そのような人はたくさんおられるのでしょうか。

A:そうですね。一人すぐに思い出すのは、スリランカのあるお坊様です。将来仏陀になると決めて修行している人で、ものすごいパワーの持ち主なのです。

 ですが、そのお坊様は、自分では何も持っていないのです。修行の身だからと何一つ持たないで厳しい修行を続けています。ところが、彼がお布施をすると、ものすごい金額のお布施をするのです。新聞に出るほどのビッグニュースになるので、スリランカの国の人たちの間では有名でした。一体その財産はどこから来るのかと考えるのですが、お坊様はいつ見てもからだひとつで、持ち物は何もないのです。よく聞いてみると、ある場所に行くと、いろいろな信者さんからいろいろなお布施が届いて山積みになるんですね。ところがお坊様は、その場所を発つときには、そこら辺の人にみんなあげて、何も持たずに帰ってしまうのだそうです。また別の場所へ行くと、またそこに山積みになる。するとまた、それをみんなにあげて、また移動していく。自分では何も持たない主義で、あるものは何でもあげると覚悟を決めているので、逆にものすごいパワーでものが集まってくるのです。ですがいくら入ってきても、それに対する欲も執着も全くない。何かよいものをもらったら、こういう風なお布施ができる、そんなことばかりしか考えないんですね。

 一度何か病気になって、入院されたことがありました。向こうの病院というのは無料ですし、あまり贅沢な設備はありません。それで、入院されているうちに、虫が多いので蚊帳があったほうがいいなあと言っておられたらしいんですね。そしてお坊様は3日で退院したのですが、退院すると間をあけず、すべてのベッドにひとつづつ蚊帳を用意したそうです。

 大胆な説法もしない、普通のお坊様なんですが、何かの機会に法事で同席でもしたら、自分の持ち物を全部お布施して帰りたくなるような、そんなエネルギーを持つ人なのです。身につけていた高価なネックレスをお布施した女性も、「しまった、質屋に持っていけばいくらかになったのに」などという気持ちにもならないのです。それよりも差し上げたことの喜びを、いつまでも自慢するのです。ぼくがその話はもう聞き飽きたといっても、本人にとっては正直な気持ちで、良いことができたと喜びを感じているのです。

Q:何も持たずに生きるお坊様もすごいですけど、そのような喜びを感じられることもすばらしいですね。

A:生命に必要なのはそれなのです。とにかく喜びを感じることです。喜びというのは充実感です。責任感や、苦しみ、やらなくてはならないという気持ちに精神的に束縛されることなく、とても軽く空気のように生きていられることなのです。何も心に引っかかる問題のない状態で、軽く生きていられることが喜びなのです。それを感じて欲しいと思います。

 普通の世界の喜びは、たくさんのお金があること、マイホームがあること、家族がいること…こういったことはほんのわずかだけは正しいのです。お金があれば誰でも楽しいのですからそれはまるきり嘘というわけではなくて、ほんのわずかな喜びだと認識してください。そしてそれをつかまえておこうと思い始めると、喜びよりも苦しみの方が大きくなってくるのです。

Q:今の日本の社会でできる喜びの善行為というと、どのようなものがあるのでしょうか。私たちにできることから教えてください。

A:とにかく善行為とは、自分の方からエネルギーを出すことなのです。自分が持っているものをあげることです。そのことによって、喜びを感じてください。

 人に対してだけではなくて、自然に何かしてあげることも善行為です。仏教のテキストでは、木を一本植えることも素晴らしい善行為だと言っています。私たちは、自分で食べないものは植えないんですね。自分が食べるために地球のものを手中におさめる行為は善行為とは言えません。自分の畑を作ることは、いくらかは善行為なのですが、仏教で言う限りない善行為にはなりません。誰が食べてもいいんだと、どこにでも植えておくというなら善行為でしょうね。 

Q:では逆に、許せないような悪行為とはどのようなものでしょうか。何か具体的な例があれば教えてください。

A:悪行為というのは、何かを取ろうとすることです。泥棒はもちろんですが、不正な方法で儲けること、自分のものでないものをとろうとすること、余計な儲けを求めることも良いことではありません。いくら仕事でも儲けっぱなしというのはほめられることではありません。

Q:自分のものを持つことは悪行為ですか? たとえば車を持ったり、部屋を借りたりすることは良くないことですか。

A:何かを持つと、たとえば部屋を持つと、もう少しお金があればあちらのマンションに住めるのになと考えてしまう、そういう心の法則さえ理解しておけば、お釈迦様も「持つ」ということが悪だとはおっしゃっていないのです。ただ、持つということには、大きな苦しみがついてまわるということなのです。それさえ理解しておけば、もっとリラックスできるはずです。人が何かを必要と言えば「ああ、いいですよ。持っていってください」と言い、ちょっと助けてくれないかと言われたら「はい、やりましょう」そんな風に言える寛大な心でいると、1秒も苦しみは感じません。1日中自分の仕事ができず、人の仕事ばかりした日も、気持ちよくしてあげられたなら、寝るときに「今日はよくやった」とぐっすり眠れるのです。自分の仕事ができなかったから損をするかといえば、絶対損はしない。いつも宇宙の方から助けてくれるはずなのです。

 私たちはどんなときも、心の喜びを忘れてはいけません。喜びを消す原因はいくらでもあり、苦しむことにばかり慣れているのですから、意識的に心の喜びを育ててあげなければなりません。悲しみや苦しみ、鬱な気持ちは不幸な感情です。不幸な感情はすぐ消して、明るい心、喜びの心に入れ替えてあげるべきです。
(皆さんからのご質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、 編集部でまとめました)

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