「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【29】 五戒/妄想/仲間

五戒
Q:
僕は在家の五戒を守ろうと実践していますが、他の人で、在家の五戒を守っていない人とどうつき合えばよいのか悩んでいます。たとえば他人の奥さんと仲良くしている人、飲酒をする人など、そういう人には近付かない方がいいのかなと、思ってしまいます。でも、そうしていると、世界がすごく狭くなってしまいます。だいたい世間で在家の五戒など守っている人はほとんどいませんから、僕のように考えることは、一体、いいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。また、そういう人に対し、どういう風に考えて、どういう風につき合っていけばよいのでしょうか。せっかく仲良くできそうな人にも、在家の五戒という条件を当てはめて見て、守っていないと敬遠しちゃう面もあります。どうしたらよいでしょうか。
 

A: 以下のポイントで考えてみてください。

(1)五戒は守るべきです。
これは、仏教徒だけに限られた特別な、カルト的な、また宗教的な儀式でも儀礼でもありません。五戒というと仏教用語ですが、他を殺さない行為、他のものを盗まない行為、よこしまなことをしないこと、嘘をつかないこと、酔いつぶれて自分にも他人にも不幸を招かない行為として、この5つを観察すると、それは誰でも守った方が良いことです。どうしてもこの道徳的な行為に納得がいかない場合は、これらを破ったらどうなるかと考えてみると、わかりやすくなります。

(2)友人たちがこの道徳を破っているならば
必ず不幸になるので、仏教は置いておいて「こういうことをしたら、不幸になりますよ。やめた方がいいですよ」と注意してあげるのが、友人としての責任です。宗教的に説教すると相手はそれを認めないので、悪をやめさせることができなくなります。要は、相手が仏教徒になることではなく、悪を犯して不幸にならないようにすることです。

(3)五戒を守らない人を避けるべきですか?
  もしも、自分が気が弱く、誘惑されやすい(のせられやすい)のであるならば、つきあいは必要最小限にした方が自分のためになります。他人から離れることは、他人が悪いからではなく、自分がのせられやすいから、という理由によるものです。また、他人があまりにもしつこく、強引で、相手の気持ちなどはまったく考えない、自分勝手で、自己本位であるならば、つきあう必要はありません。

(4)五戒を守る人と、五戒を守らない人との社会関係
世の中では、五戒を守らない人は、それを守る人と比べられないほど多いのです。お釈迦様のたとえを借りるならば、五戒を守る人が「一握りの土」であり、守らない人が「大地の土」のようなものです。この人々とぶつからないように、調和を守って生きるために、守る人が知恵を絞らなくてはならないのです。仏教は、知恵を開発するために実践するものですので、五戒を守ることも知恵の開発の基礎とならなくてはならないのです。知恵の基礎になるならば、五戒は、一般道徳の次元を越えて、本当の仏教の戒になります。がんばって苦労して、守るだけだったら、他人より、すぐれた「モラルのある人」になるだけです。 ですから、他人から離れて逃げることは、一概に認めることはできません。

(5)他人に対するアプローチ
五戒を守る人は、他人のこともその尺度で見て、「私は五戒を守っている。この人は守っていません」と判断したがります。これは、自分が他人より優れているという優越感を招きます。この優越感は差別意識であって傲慢です。煩悩です。心の汚れです。心の汚れを落とす目的で仏教徒になって、逆に、汚れをつけてしまうことは、あまりにも矛盾です。他人の行為、行動は、どうであろうとも、他人に対しては、差別感が心の中に生まれないように、常に「気づく」べきです。形だけの戒律は、性格的に頑固であるならば、簡単に守れます。あまり自慢になりませんね…。形式的に戒めを守るよりも、平等の心(差別意識のない心=upekkha-)を持つことの方が優れています。

妄想
Q:
いつもPatipadaを読ませていただき、テーラワーダ協会に感謝しています。本当に、会員になって良かったと思っています。お釈迦様の教えをもっと理解出来るようになりたいです。私は、瞑想すると妄想がおおく、観察しつつも、今まで体験したことのない現象を目にしたり、感じたりすると、怖いと判断してしまい、心の弱さが悲しくなります。また、途中で辞めたりして進まないんです。でも私は、お釈迦様が大好きなので、いつか心が強くなれるように精進していきたいと思っています。

A: 主に身体的疲れ、精神的ストレスと言う二つの原因が、妄想を引き起こします。人間の「怖い、弱い、悲しい、寂しい、不幸だ、自信がない、不安だ」などの様々なこころの問題の全てを妄想が引き起こします。人々は妄想は本物だと思っている。あまりにも妄想に囚われている。それは『苦』の原因です。 「只の妄想ではないか。妄想しようと思えばどんな妄想でもできるのではないか。私は宇宙人だ、空を飛べるとも妄想することができるのではないか。妄想というものは流れては消え去る。又現れて消えて行く。妄想には実態も根拠も何もありません。気にすることではない」と理解し、また経験するべきです。 ☆--家の窓が、ガタガタと音がする。泥棒ではないか、入ったら大変だ。襲われたらどうしよう。110番に電話しようか。でも警察が来る前に全ておわるかもしれない。そこで体が震える。心臓がドキドキ。冷や汗でビッショリ。--☆--そこで怖いながらも音を見る。…「アー、何だ。風か。それにしても今日は風が強いですね」と分かってくる。--☆--あの恐怖感のすべてが泡のごとく消える。「怖くなったりして馬鹿みたい」と苦笑い。---☆--妄想はそれぐらいのもの。大事に育てて、馬鹿を見るものではありません。精進して見てください。

仲間
Q:
遠いので、そちらになかなか行けませんが、いずれ参加したいと思っています。会員さんとお友達になりたいのですが、そういう事は、できませんか? いっしょにがんばれる仲間をもつことは、執着することになるのですか?

A: いままでの人生も他のお陰で生きて来れたのではないでしょうか。(ひとは誰でも)「仲間から離れる、一人で生きる」なんてことを思ってもそれは只のわがままです。できるはずもないことを言い張ったりするだけです。人生に置いても、修行にしても、良い仲間がいればうまくいく。やる気が生まれる。頑張れる。仲間を欲しがることは悪いことでもないのです。
☆「仲間がいないからやらない」という気持ちは依存症です。
☆「良い仲間がいたからこそがんばることが出来ました。」と言える状況は幸福です。

(皆さんからの質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、編集部でまとめました)

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