「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【35】 仏教は中絶をどう考えるか

Q:中絶について、テーラワーダ仏教の基本的な立場はどのようなものですか。

A: テーラワーダ仏教では、妊娠した瞬間から、その生命を一人前の人間として扱います。ですから、中絶も殺人も、罪としては同じです。

Q: 京都で小学生殺人事件がありました。また、親同士の憎しみの結果として、3才の春菜ちゃんが殺されました。中絶も同罪とは、どうしても理解できません。

A: 罪には強弱があります。仏教では、「殺生するなかれ」と言っています。どんな生命でも殺してはならないという意味です。殺人も、殺生罪です。だからといって、蚊を殺すことも人を殺すことも、罪の重さが同じというわけではありません。ある人は、殺すことを趣味として、山に入り、誰にも迷惑をかけないで生きている熊を殺して楽しみます。もう一人は、人家に入って、家をあさったり人に襲いかかったりする熊を射殺します。後者も殺生したのですが、前者よりは罪が軽いのです。ですが、人間にとって良いことをしたのだからといって、罪がないわけではありません。その場合は、熊を殺した殺生罪を、人の命を助けた善行為から差し引いてみれば、最終的な結果が分かります。(具体的にはできませんが、気持ちとしてはおわかりになるでしょう)

 殺人は、普通の殺生より重い罪です。仏教でそういう理由は、被害者の知性と徳が高ければ高いほど罪が重いと考えるからです。被害者が罪のない人か、徳の高い尊い人か、悪人か、他を殺す恐ろしい人か、などなどの条件で、殺人罪にさらに罪を足すか引くかということになります。
 加害者の条件によっても、罪の強弱が変化します。無意味に、なんとなく、ただ殺したいから、という心境であるならば、とても重い罪になります。怒りや憎しみで殺すときも、罪が重くなりますが、もし被害者が憎しみに値する悪い人間であったならば、罪は多少軽くなるでしょう。脅されて、嫌なのに、やりたくないのに、やらなかったら自分が殺されるから、殺人を犯した場合は、基本的な罪だけですむでしょう。ですから、どんな殺人も同じというわけではありません。  

Q: では、中絶はどのように考えればいいのでしょうか?

A: まず、基本的な殺人罪はあるのです。それから、なぜ中絶したのかという理由により、罪の足し算、引き算を考えるべきです。中絶しなければ母親の命が危うくなると医者に強引に勧められた場合は、自分には選択の余地は少ないわけですから、気にしなくても良いほど罪は小さいのです。一方、遊んだ結果、あるいは社会的な立場や自分の将来などを考えて行う中絶は、殺人です。足し算はあっても、引き算はありません。自分では生みたいのだが、相手に脅されて、いやいやおろすような場合は、脅した側も殺人罪です。それもかなり大きな足し算つきで。おろした人も罪に問われます。どんなことがあっても命を守ってあげるという、勇気がなかったのです。自分のことを、何の罪もない弱い命よりもかわいいと思ったからです。しかしこのような場合、罪を犯したことにはなりますが、いろいろと引き算はされますから、罪の重い殺人とは思えません。  

Q: 相手の男性と合意して中絶した場合はどうなりますか。

A: 中絶の原因によって足し算引き算はありますが、合意した場合は、二人とも同罪です。もし二人で遊んだ結果、妊娠してしまった場合、男が強引に「オロセ」と説得した場合、その男の方が、完全な殺人罪になります。  

Q: 強姦されて妊娠した場合、お腹の子の父親が憎くて、子供を愛せないと思い、中絶する場合はどうでしょう。

A:怖くなるかもしれませんが、それは東京の春菜ちゃんのケースと似ています。Aさんが憎いのだからBさんを殺すということです。自分に害を与えた人の子供を苦労して育てるべきなのか。母親として愛情が湧いてくるのだろうか。子供の顔を見るたびに嫌な出来事を思い出してしまうのではないか。…このような問題も確かにあります。しかし、そういうことを考えて中絶しても、善行為にならないことは確かでしょう、殺人罪に引き算はつくかもしれませんが。ここで考えてほしいのは、殺される子供に、強姦した人の罪を被せるべきかということです。
 私個人の意見で言うならば、強姦者を憎むならば、子供を産んで「あなたが育てなさい、自分の子供だよ」と、赤ちゃんを渡して手を切った方がよいと思います。その場合は、罪を犯した人がその償いをすることになりますから、両側に良い結果だと思います。たとえ強姦者が誰なのかまったくわからない場合であっても、関係のない子供を殺すことは決して善行為にはなりません。また、産んでから自分に愛情が湧かないとき、あるいは自分がまだ学生で、結婚して幸せな人生を送りたいなどのもろもろの事情の場合、産んだ子をすぐ養子に出すか孤児院に預ければ、殺すよりはよいのす。大きくなったときに、その子がかわいそうだと思う必要はありません。その人に、あなたを殺さないで産んであげたんですよ、感謝しなさい、と言えばよいのです。

Q: そのような話を聞くと、女性ばかりが重荷を背負うようになっているのではないかと思います。

A:男に子供は産めないのですから、この問題に不満を持っても仕方がないのです。女性が重荷を背負っているのではなく、この世に人間を生み出し育て上げる権利を持っているのです。全ての人間が母親から生まれ、育てられたものなのです。その特権は男性にはないのです。ですから、女性たちはそれを十分理解して、自分のからだを大変貴重な財産として、守るべきだと思います。妊娠した子供の命に対する責任は、男にも女にも平等にあります。女のからだは、遊ぶためだけの道具ではないことに、皆、気づくべきです。

Q: 女性はかならず子供を産むべきですか。

A: それは、育てられるかどうか、ということによります。しかし、育てられる自信がなくても、いったん産んでみたら、何のことなく育てることができます。仕事をしたいとか、子供は好きじゃないなど、いろいろな事情で産まないと決めることは罪にはなりません。ただし妊娠する前に、その準備をする責任が、女性にはあります。また、たとえ男性が避妊具を使いたくないと言っても、妊娠したくない女性は絶対に断るべきです。女性のからだは遊ぶ道具ではありません。強姦以外の妊娠は、女性の不注意の結果になります。

Q:中絶の経験がある女性は、罪を償えますか。

A:ひとつの悪いことは、たくさん善いことをして気にならないようにすることが可能です。以下の方法がよいと思います。まず犯した罪を悩むことをやめる。悩めば悩むほど、罪の傷をさらにひっかくことになります。次に、慈しみを持って、自分が善い行いをするたびに、亡くなった子が幸せでありますようにと回向します。二度と過ちを犯さないと、心に決めることです。自分に子供がいるならばその子供を大事に育てることで悩むことを忘れられます。全ての生命に対して、慈しみの気持ちを育てる、この程度のことで、償いになると思います。

(このページでは、皆さんからの質問をスマナサーラ長老にお聞きし、まとめています)

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