「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【68】 能力ある人より役に立つ人/歩く冥想の姿勢

Q: 世の中で必要とされるのは能力のある人ではなく役に立つ人なのです、とお聞きしたのですが。これをもう少し詳しく説明していただけないでしょうか。

A: 

  1. ある人が役に立っている。しかし、その人には全く能力がありません。→これは矛盾です。 成り立ちません。
  2. ある人が役に立っている。なぜなら、その人には役に立つための能力がある。 これは成り立ちます。
    しかし、
  3. ある人に能力がある。ゆえに、その人が役に立つ。 この項目は成り立ちません。

なぜなら、

 a. 能力が完全に役に立つ場合もある。
 b. 能力の一部が役に立つ場合もある。
 c. 能力が全く役に立たない場合もある。
 d. その能力は、逆に、役に立つためではなく、迷惑になるように、邪魔になるように、不幸をもたらすように、使用される場合もある。

 あなたは、以下の例の、どれに賛同することができますか。

a. 一郎さんはネジひとつさえ、ろくに締めることはできませんが、素晴らしい溶接技術があります。
  見事に溶接だけはしてくれるので、溶接工場でたいへん役にたっています。

b. 次郎さんは優秀な工学士です。その上、経理士の免許ももっています。
  しかし、彼は工場の道具のかたづけを仕事にしています。工場にはたいへん役に立っているのです。

c. 三郎さんは工学エンジニアで、博士号ももっていますが、彼は自分の庭で野菜を作って、それを食べて生きているのです。
  誰とも何の関わりももっていません。

d. 四郎さんは工学博士だけではなく、新しい技術を開発する能力も抜群にもっています。
  かれは、テロリストたちにセキュリティを破って爆弾を仕掛ける技術を提供しています。

 これらの例から、おわかりいただけたのではないでしょうか。
倫理的に誰に賛同するべきか、誰を評価するべきか、誰の生き方が正しくて誰の生き方が間違っているか‥‥判断する人は、「役に立つ」という条件を基準にすると思います。その場合は「能力がある」という条件は基準になりません。この状態を省略して簡単な言葉で表現するなら、「世の中で必要とされるのは能力のある人ではなく役に立つ人なのです」になります。しかし、「世の中は人の能力を問わない」という意味の推測を引き起こすかもしれませんね。もう少し正確に言うなら、「世の中で必要とされるのは能力があるだけの人ではなく役に立つ人なのです」ということです。

 

Q: 歩く冥想で、足を運ぼうと片足をあげたとき、ヨロヨロしてしまいます。形が悪いのか、やり方が悪いのか、どうしてでしょうか。

A: 歩くことに慣れていないのではないかと思います。普通に歩いてみて、歩くことに少々慣れた方が良いと思います。それから冥想実践を始めるのも、悪くないのです。

 歩くヴィパッサナー実践の基本的なやり方を少々紹介いたします。
歩く冥想の場合は、まず背筋をしっかりと伸ばしておくことが必要です。人間というものは、座るときも歩くときも、何かをするときも、姿勢だけはちゃんと正しくしておけば、それだけでかなり、人格も変わってしまいます。自信のある、明るい人になるのです。姿勢というのは、自己コントロールできる部分です。姿勢を正すと、自己も正したことになります。姿勢が良ければ人格もよい、姿勢が悪いと人格も悪いと言えるのです。人の性格が悪くなってくると、姿勢も悪くなってくるのではありませんか。悩んだり苦しんだりしていると、姿勢が悪くなってくるのです。ですから必ず、歩く場合も、姿勢を整えて背筋を伸ばして行うのです。

 歩くときには胴体を動かしたり揺らしたりはしないのです。このポイントを覚えておいて下さい。
足で歩くのであって、からだで歩くのではないということです。ですから、胴体を動かしたり揺らしたりしないでください。

 次に、歩く方法ですが、2つの方法があります。
  (1) ゆっくり歩くことと、
  (2) 速くか、普通に歩くことです。
まず、鈍歩方法が良いと思います。

 「右足」と頭の中で実況して、右足全体を感じてみる。
それから、「上げます」と言って上がる足を感じる。
そして「運びます」と実況して、運ぶことを感じる。
次に、「下ろします」と実況して、その動きを感じる。
それから、体重を移動してあげるのです。それも感じて下さい。
移動を終わると、右足はかたくなっているはずです。そこで右足の修行は終了です。
今度は左足を軽く感じるのです。この軽さを感じます。
それから、「左足、上げます。運びます。下ろします」と右足と同じように感じて実践すると、左足もかたくなるところで終わるのです。
左足の仕事は終了。
次は、右足が軽い。軽い右足を「右足、上げます。運びます。下ろします」と続けます。

 ここで言う訓練というのは、意識を上手に移動できるかどうか、ということなのです。
左足から右足に移動する。右足からまた左足に移動する。最初はそのくらいでいいのです。
実践が進むと、こころと身体の働きがありのままに現れてきます。それが、智恵の開発につながります。できるだけスローモーションでやってみることです。

 もう一つの方法は、速くか、普通に歩いてみて修行することです。
公園とか道路とか、広いところで速く速く、歩くのです。実況は、「左足、右足」です。この場合も、背筋を伸ばすこと、胴体を動かさず足だけを動かすことに気をつけておかないと、修行にはなりません。

Q: 今、毎朝、40分くらい、左右左右と確認しながら、早足の散歩をやっています。汗びっしょりになるくらい、早足で歩いています。

A: 汗びっしょりになるまで、歩く冥想をするというのは、歩く冥想になっていない可能性があります。すごく疲れるまでなさっているならば、運動をやっている感じになりますね。冥想は運動ではないのです。こころを育てる方法なんですね。きちんと集中してくると、そんなに疲れません。落ち着いてくるはずですよ。

Q: ところで、冥想会などで、みなさんの様子を見ていると、足をすごく高く上げておられる方や、ほとんど上げない方、かかとから下ろす方、つま先から下ろす方といろいろですよね。安定して、気持ちよく歩ける方法があるなら、教えていただきたいのですが。

A: いつもそのように、人の方法を見て、生きておられるのではありませんか。ふだんの生活でも、人がどうやっているかを見て、そのように自分の人生を調整しておられるのではありませんか。

 まあ、ふだんの生活では、人の様子を見たり、人の言うことを聞いても良いのですが、ヴィパッサナーというのは自分のこころを育てることですから、自分が集中していけるような感じで、自分のやり方でやればいいのです。

 誰であれ、あまりにも不自然な歩き方はしない方がよいと思います。
ふだん自分が歩いているように歩いて、その足の感覚を感じて、それに集中する。それが基本ですので、覚えておいてください。
もし集中することができなくてこころが散漫になるなら、自分なりに足を高く上げたりしてもかまいませんが、そのように、あまりにも特別な方法に依存してはならないのです。
不自然な歩き方が身につくと、修行するほかの人もその影響を受けてしまいます。修行する人たちは歩き方が変だと言われると、たまったものではありません。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(文責:舟橋左斗子)

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