「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【70】 女性の生き方のモデル/怒りへの対処

Q: お釈迦様は在家の主婦、母親である信者はどのような人を模範にするようにおっしゃられているのでしょうか。それは具体的にはどのような生き方でしょうか。在家女性信者のモデルとなる生き方を教えてください。

A: 仏教の歴史は長いので、たくさんの人々の話があります。上は御妃様の話から、商家の主婦、農婦、召使いの話まで、さまざまなエピソードがあります。それから、召使いと駆け落ちした億万長者のお嬢様の話、子供ができてやっと嫁として認められたキサー・ゴータミーという名の悲しい母親の話、インド上流階級の美女たちの話、お釈迦様と対等に問答を交わせるくらい能力があった少女の話など、いろいろあります。出家した女性たちの話もまた、たくさんあります。ですから、「この人がモデルになりますよ」と一人を挙げることは難しいのです。

 女性でも男性でも、生きている上でいろいろな場面に出合います。何か問題に出合ったときには、ブッダの弟子たちが、その問題と似た問題に出合ったとき、どのように対応したかを参考にするとよいのです。一人だけを参考にして生きようとすると、その唯一の人物が絶対的な存在になってしまいます。ですからたくさんの人をモデルにした方がいいと思います。一人の人物のエピソードを読んで感動しても、その人の人生が自分の人生に完全にぴったりくるということはありません。人間は皆、人格としては、それぞれ違うのです。

 在家女性の仏弟子たちの中で、一番目の仏弟子として尊敬されていたのはヴィサーカー夫人です。億万長者の娘で、若いころから仏教を良く理解していました。彼女は他宗教の億万長者の家にお嫁にいったのです。嫁として、まったく違う環境の中でどのように生活すればいいかを彼女は教えられていたので、時間とともにお嫁にいった家の人々が皆仏教徒になっただけではなく、彼女をすぐれた指導者として尊敬するようになりました。ヴィサーカー夫人の物語では、参考になるところがいっぱいあります。彼女はお嫁にいった家の親戚中からも尊敬され、たくさんの子供たち、孫たちからも敬われ、お釈迦様と弟子たちの面倒も良く見て、東寺院という名の、インドで2番目に大きいお寺をお布施しました。また、国王からも信頼されていたので、社会人としても高い地位を得ていました。仏教の智恵で生きるならば、男尊女卑の気持ちが激しかった当時のインドの社会環境においても、女性でも社会から仰ぎ見られる人物になれるのだと証明した例です。この方はあまりにも大物で、そのまままねることはむずかしいですが、参考になることだけは確かです。

 夫婦はどのように仲良くするべきかということの模範を探すなら、ナクラ夫婦の話があります。

 人が生きていく上では、複数の役を演じなくてはいけません。一人の女性はある人に対して妻になる、またある人に対しては母になる、舅姑さんに対しては嫁になる。また同じ人が、自分の両親に対しては娘にもなる、兄弟に対しては姉や妹になる、教師に対しては生徒になるし、仲間に対しては友人になります。住んでいる社会においては、一人前の社会人になる。宗教を持っている場合はその宗教に対して信者さんにもなる。ですから「あなたは誰ですか」と訊いても、簡単には答えられないと思います。人は誰でも複数の役を演じなくてはならないのです。役というのは人間関係のことです。演じると言葉では言っても、人間関係というのは真剣に持つべきものです。

 仏教はこの人間関係を、互いの幸福繁栄につながるように、有効に持つことを推薦しています。大雑把に曖昧に生きていこうとするのではなく、自分と他人の間にどのような関係があるかを見極めて、真剣に生きるべきです。そうすると、自分も他人も幸福になります。モデルになる人を探す場合も、自分の、どういう人間関係の参考にしたいのかはっきりさせた方が良いのです。たとえば、子供をよく育てたいと思う。その場合は、母としての人間関係に参考になる例を勉強してみる。ダンナと仲良くしたいと思うならば、夫婦関係で参考になる例を探すことです。

 人間関係についてまとめて説法された経典が一つあります。それは長部経典の『六方礼経 Sigâlovâda sutta 』です。参考になると思います。

Q: 相手が怒っているときの対処法を教えてください。相手を観察すればよいのでしょうか?

A: それはケースバイケースなんですね。たとえば相手が父親で、カンカンに怒って怒鳴っているような場合、こちらは聞くことしか、選択の方法がありません。父親の怒りの中に入ってしまうことなく、「父親が怒っている」と怒りを観ます。そうするとおもしろく観察できるんですね。普段の父はやさしくて何でもやってくれるのだけれど、怒ったらこんな調子なのだと観察しながら、お父さんの話をゆっくり聞いてあげてはいかがでしょうか。

 また、話し合いのような場面なら、やはり観察して、相手の怒りが爆発しているような状態なら、「今話してもうまくいかないですから、怒りがおさまった後で話しましょう」と提案してみるということもできます。

Q: 相手が自分に対して怒っているなら、自分の中に原因を探すというような観察を行った方がいいのでしょうか?

A: 原因が自分にあるにしても、怒っていれば何も通じません。相手はいわば『動物』になっているのです。たとえ自分に原因があったとしても、謝って許してくれるような状態でなければ、怒りがおさまるまで逃げてもかまいません。原因が相手にある場合はなおさら話が通じないでしょう。とにかく、その動物状態がおさまってから、きちんと謝るなり、相手の間違いを指摘するなりした方がいいのです。

Q: 人から馬鹿にされたり、何を言ってもけちをつけられたり、あげあしを取られたりするような場合、何か良い対処法がありますか?

A: そういう場合は、私たちも腹が立って、怒ったりしますね。それは一般的なことですが、あまりよくないことだろうとはわかりますよね。そこでちょっと考えてもらいたいのです。人のことを馬鹿にする人というのは、一般的に自分のことは大げさに言うという性格の人だと思います。要は人間的にできていない人なのです。そのような人に怒るということは、自分の価値を下げることなのです。たとえば暴走族が夜うるさい場合は、相手が人間ですから、何とかしてくれと警察に訴えても意味がありますが、野良猫野良犬が吠え始めたときには、これに怒る意味はないんですね。犬猫のことだからと、無関心でいた方がいいのです。

 ですから、真に受けないことですね。どうぞ自由にやってくださいという感じで、受け流しておいた方がいいのです。馬鹿にされて怒っちゃうと、苦しいのは自分なのです。馬鹿にする方の人は、口から言葉を発した途端に忘れてしまっている可能性もあります。気にしていないのです。それなのに、自分が損する必要はまったくないでしょう。自分はそんな人の言葉にめげない、落ち着いた人間だということを思い出して、1,2回やってみれば、楽になると思いますよ。

Q: それで余計に攻撃が激しくなった場合はどうすればよいのでよう?

A: どんなに激しく攻撃されても、冷静でいた方がよいですね。相手に一言言い返して、怒らせて満足している人もいますが、戦いは長くなるばかりでちっとも解決しません。いやみを言う方法もあまりよくありません。馬鹿にされたら「ありがとうございました」なんてね。智恵があれば、『正しいいやみ』を言うこともできますが、なかなかむずかしいことなので、自信がないなら、冷静に観るということに徹した方がいいのです。

 こちらが本当の意味で冷静でいれば、そのうち相手が自爆します。自爆というのは、精神的に自分に気づくことです。自分が何と醜い人間かと、自分に見えるところまで落ち着いてくるということです。誰にでも失敗したことはあるはずです。ですから、誰にも、人を馬鹿にすることはできないはずなのです。そしてまた、馬鹿にされたからといって、馬鹿になるほどつまらないことはありません。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(文責:舟橋左斗子)

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