「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【77】修行を続けるには…


Q: お釈迦さまは悟りを開かれる前に非常に厳しい修行をされた、また大変恵まれた環境を捨てて出家されたと聞いているのですが、そういう厳しい修行に耐えられるような心のエネルギーはどこから起こったのか、何が真理を求めさせたのか、そのへんを教えていただきたいのですが。

A: 仏教の伝統的な答えは、お釈迦さまは輪廻の中で、数えきれない昔から、人格をしっかり叩き直してきました、何万何億光年もかけてパーラミタ(波羅蜜)を完成しましたというものですね。パーラミタというのは人格を完成させるために必要な10の項目なんです。

たとえば1番目は布施。
 布施というのは他人を助けること。
人間は社会で生きているのだから、いつでも周りに協力して生活しなくてはいけない。決して自分の方向だけ見てはいけないのです。これは性格のことで、ただ、たまたま人に何かをあげたというのは布施波羅蜜にはなりません。「あげるという性格」を持つことなのです。協力するという性格を持つ。だから人から見れば「あの人ならすぐ助けてくれる」と感じさせる性格ですね。

2番目には戒律、
 道徳を守ること。
道徳的な人間になること。

3番目は、忍耐。
 そう簡単にはあきらめない性格。
何か良いことをしようとする場合、世の中では、いつもなめらかにいくわけではありません。賛成する人も反対する人も必ずあります。たとえ「一人で勉強するぞ」と思っても、眠気が襲ってくるんだからね。だから何かするときは周りから入ってくる邪魔を気にしないで、負けないで、ずっと目的に達するまでやる。これも一つの性格です。

4番目は、誓願。
 何かを決めることです。
決めるということも性格で、優柔不断ではない。忍耐とはまた違います。ものすごく良いことだったら、たとえそれが大胆なことでも「やるぞ」と決める。決めて、着々とその目的を目指していく。いつでも心の中ではっきりと「こういうふうにします」と決めること。それも一つの性格なのです。

そして5番目が真理。
 嘘は言わない性格のことです。いかなる場合でも嘘は言わないし、うわさも認めない。何が本当のことか、事実はどういうものかと真理を求める性格。

6番目に、智慧。
 智慧を育てるということ。

7番目にウペッカー、
 落ち着きですね、感情的にならないということ。

8番目は慈悲。

9番目がネッカンマ、
 離欲。

最後、10番目に精進。

このように10種類の波羅蜜があります。10種類の性格があって、それをお釈迦さまは無始なる過去から育ててきたのです。「解脱」という目的を達成するために長い間生きてきたのです。それで性格が完成されていた。これは仏教の解釈です。

 一般的に知識的に言うならどうでしょうか? その場合はお釈迦さまの性格を見てみる。
お釈迦さまは、生まれたときから釈迦族の「希望の星」でした。ものすごく恵まれた環境の中で、みんなから期待されていたのです。将来は王になる人だと言われて、小さいときから王になる訓練を受けてきました。王というのは国民を守るのが仕事ですね。国民を幸福にするという責任、つまりものすごく重い荷物を背負って生まれてきたのです。優柔不断の怠け者の腰抜けだったらすぐに逃げてしまいますが、お釈迦さまは「なんとかしなくては」と考えたのです。お釈迦さまはものすごく正直な方で、父親や皆から「あなたは我々を幸福にしてくれる人です」と言われて真面目に考えたのです。人間はどうすれば幸福になるのかと。
そこでわかったのは「結局どんなことをしても何の意味もないのではないか。みんな老いて病気になって死んでしまう。何をしても何の役にも立たない」と知ったのです。そこがポイントなんですね。
 たとえば人にお金をたくさんあげても役に立つのか。もらった人はいずれ歳をとって病気になって死ぬ。いくら贅沢な食べものを与えても身体はどんどん衰えて老いて死んでしまう。これは虚しいことだと気づいたのです。
 だから自分は王になって政治をするのではなくて、この永遠の問題に答えを出した方がいいのではないかと考えたのです。
それで親の計画からは脱線して、誰も発見していない道にチャレンジすることにしたのです。誰も発見していない幸福の道を発見する、つまり歳をとっても病気になっても死にかけていても幸福な道、変わらない幸福というものがないかを探すことにしたのです。
王子でしたから、負けてはいけないという戒めがありました。それは王家で受けた教育だと思います。

 たとえば、なぜお釈迦さまは苦行したのでしょう?
本当かどうか実際にやってみないとわからないからなのです。
当時「人は死ぬものだが、永遠の命を得るためには苦行すべきだ」という世間の考え方がありました。今もありますけどね。それでお釈迦さまは、苦行している行者たちから話を聞いて「やってみるぞ」と、誰もできないレベルまでチャレンジしたのです。みんな中途半端で優柔不断でちょっとしたことで「やめた」と言う。お釈迦さまはこの人たちと一緒にいたのですが「こんなやり方ではあなたがたは真理を得られるわけがない」と言って、自分はしっかりと死ぬ覚悟で完璧にやってみたのです。
いろいろな苦行を6年もやったのです。
 でも悟ることはなかったのです。
そうすると死ぬまでやらなくちゃいけないことになる。そこで、お釈迦さまには智慧がありましたから、「このやり方ではただ死ぬだけ。心が汚れることはないが真理を発見することもできない。別の道があるはずだ」と言って中道を発見したのです。
 ただやみくもにやるということではないのです。
やる場合は徹底的にやるのですが、ちゃんと状況を判断しながら、結果が得られる方向へ自分の人生を持っていく、そういう性格でした。
 そこでお釈迦さまは悟りを開いて、悟る方法を、人間の脳細胞では全く理解できないほどの膨大な智慧で明確に分析して、きれいに整理して、我々の手のひらの上に載せるような感じで教えてくれたのです。
教育者としては生命一です。
お釈迦さまは堂々と言っています。「私は天人の師である。自分ほど教えることが上手な人はいない」と。
我々にとっては、疑問は成り立たないはずです。
あれほど明確に話されているのだから一貫してやればいいだけなのです。
あいまいな教えじゃない、全部はっきりと断言されているのですから。
「何か疑問があるなら言ってみなさい」とそこまで言っているのですから。

 しかし、ひとかけらも脅してはいないでしょう?
不完全な教えを教える人や、嘘を言う人は脅すでしょう。「神を否定したら永遠に地獄に落ちるぞ」とかね。
お釈迦さまにはそういう脅しはひとかけらもないのです。
 逆にチャレンジする。
文句があったら言ってみなさい。
この教えに何か欠けているなら言ってみなさいと。すべての神々、梵天、人類にチャレンジを出しているのです。それぐらい自信を持って語る。
だから曖昧な人には実践できないと。
これは100%清らかで純粋な道です。余計なものは一つもない。栄養分だけ与えているのだから、そのまま摂ればいいということなのです。

Q: そうすると良い性格をつくるという目的で修行すればいいということですか?

A: いえ、それはすごく長い道のりで考えている話であって、道は違うのです。なぜ生まれてきたのかと、もっと大胆なスケールで考えなくてはいけないのです。ちょっと性格が良くなるためにとか、もっとしっかりしなくちゃというのは、あまりにもスケールが小さい。せっかく人間に生まれたのですから、生命が至るべき目的に達するのだと。音楽家になるとか、有名になるとか、そんな小さな話ではないのです。心を完全にするぞ、人格を完成するぞと。わかりやすく言えば解脱するぞと。それもできるだけ早く、お釈迦さまが獲得した悟りを開いてみるのだと。究極的な目標をドーンをつかまなくてはいけないのです。

Q: 修行していると、ときどき不安になるのですが。

A: 不安は成り立たないはずです。お釈迦さまはしっかりと道を教えているのだから、その通りにやればいいのです。何の疑問も不満も何もなくやればいい。そうすると自然と、我々の弱いところは治っていくのです。たとえばエベレストに登りたいと思ったら、まず足の筋肉をつけて、体力をつけて……そういう順番を考えると40年ぐらいかかりますよ。とにかく登るんだとはっきり決めて始めないとできませんし、決めたあとでも、これだけはやらなければいけないということが当然でてきます。こういうものを揃えなくちゃいけないとかね。しかしそれをただ揃えさえすれば、それで登れるのです。とにかく一番高い目的を狙い定めて歩くと、必要な条件というのはいとも簡単に揃ってきます。だから性格を良くするためとか、それは考えてはいけません。修行をしっかりやると、自動的に性格は直っているのです。

 本物の仏教徒だったら、人生の不満はひとかけらもありません。
はっきりと何のために生きるのかを決めているのですから。
悟るためだと。
それだけを目的にしていると、他のことは何の関係もなくなってしまうでしょう。ついでにやるだけでしょう。たとえば農業をやっている仏教徒は、農業が人生の唯一の目的だとは思っていないのです。私は死ぬ前に悟りを開くぞ、ということで生きているのだから、ついでに農業もやるという感じで。それに神経を集中し、死ぬまで苦労するようなことはしません。目的は別ですから。そうするとすごく楽に生きていられる。
ですから仏教の世界では、悩んだり、不安になることはないのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(文責:舟橋左斗子)

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