「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【79】趣味を楽しむことは良いか悪いか

Q: 趣味を持つとか好きなことを追求するというのは、執着につながりやすいので、仏教から見ると、趣味などは持たないほうがいいのですか?

A: 脳には、ある程度の刺激というか運動は必要です。ですから、脳が楽しくなる、明るくなる運動としてやって、用が済んだらサッと終えることです。そうしないと、危険はあります。

Q: 欲に溺れてしまうということですか?

A: たとえばフランス料理が食べたくなったとします。それは、普通の食事ではおもしろくなくなっちゃって、舌から刺激を得たいということでしょう。それでフランス料理が食べたいのだけれど、危険があるからやめました、というと暗くなるのです。お金もあって近くにお店もあるというなら、フランス料理を食べてもいいのです。だからといって、とにかく食べるは食べるは食べるは……というのはやめなさいということです。ほんの1食だけおいしく食べて「おいしかった」というところでやめる、もうちょっと食べられるというところでやめると、楽しみはピークなのです。脳の楽しみがピークになっているのです。食べたいだけ食べるぞというと、楽しみはドーンと落ち、逆に「嫌なもの」になってしまいます。音楽にしても、好きな音楽だからといって朝から晩までずっとヘッドフォンをつけっぱなしでいると、耳が痛くなっていやになっちゃうんですね。「もうちょっと聞きたい」というところでやめると楽しいのです。ですから趣味もそのへんでやめることです。むちゃくちゃ、とことんまでやる、というのはよくない。

Q:  度を過ぎると楽しみでなくなるのですね。

A:  もうひとつの弊害は、すぐに悪い癖がついてしまうということです。依存症になっちゃうんですね。たとえば毎月子供に500円あげるというと、子供はそれで満足しているんですよ。500円でいろいろ計画たてて節約して「本を買いたいから今回はお菓子は買わないぞ」とか、いろいろ考えて頑張って楽しくしているのに、子供がお母さんに「本を買いたいんだけどお金が足りないからあと500円ちょうだい」と言うので、お母さんが「はいわかりました」と言って子供に500円あげると、それから毎月1000円あげなければならなくなってしまうのです。今まで500円あげていた子に一度1000円あげたら、その子は瞬時に1000円のプログラムに変えてしまいます。もう、500円では足りなくなる、満足しなくなるのです。そこをよく理解しないといけません。つまり、その場その場で満足する、ということが答えなのです。仏教では、満足することがものすごく大事だと言っています。
これは俗世間にはない考え方ですから、みんな、麻薬中毒状態になってしまうのです。麻薬中毒になったら、どんどん量を増やさないと効き目がなくなってくるでしょう。量を増やせば増やすほど身体は壊れていくのですが、本人は気にしないのです。
麻薬に限らず、「満足する」ということを実行しない人はみんな中毒です。味にしても、食べ過ぎて太ったりする人は舌を刺激したいのです。何かを食べてそのとき舌を刺激しても、その刺激はすぐに消えちゃいますから、また食べるということを繰り返す。とにかく人間は依存しやすいですから、常にその瞬間を十分喜んで、満足して生きていなければなりません。

 仏教は「この道は満足する人のための教えであって、満足しない人のためのものではない」とはっきり言っています。
瞬間瞬間、少欲で満足する人の道であって、多欲で満足しない人にはできない、満足するという能力があるという人にはヴィパッサナーの実践ができますよと教えています。

 我々が理解しなくてはいけないのは、我々はちょっとしたことで依存症になるのだということです。
音楽でも食べ物でもかんたんに依存症になる。すぐに満足しないと危険なのです。
ですからお腹がすいたとき、あるいはお腹ではなくて精神的に音楽が聴きたいなという状態になったとき、食べるなり聴くなりして、満腹になったらすぐにやめることです。「もういいや」と、用が済んだらピシャッと終わる。そういうふうに気をつける人には仏道も実践できるということなのです。

Q: 趣味をやめろというのではなくて、量を決めなさいということですか?

A: 我々は肉体や脳細胞を持っている生の人間だから、この「身体」という物体には油や燃料を入れてあげなくてはいけないのです。具体的には、音を聞くとか、何かを見るとか、味わってみるとかね。車は、ガソリンを入れるだけでは動かないでしょう。オイルも2種類ぐらい入れなくてはいけないですし、車を動かすだけでも、電気を含めて4つの刺激が必要なのです。私たちの身体は、眼耳鼻舌身意の6つの刺激を欲しがっているのです。

 たとえば日本の皆様はダイコンをおろして食べるでしょう。そのとき、ちょっとしょうゆをかけて食べる。しょうゆがないと何か物足りないという感じがして、しょうゆをかけることでおいしく食べられる。身体にとってはダイコンの栄養だけで十分ですよ。でも、しょうゆをかけることで舌が刺激され、香りもあるから鼻も刺激されるでしょう。それでけっこう刺激を受けているのです。そのように我々の身体にも「オイル」などが必要なのですが、これが入れすぎになると危ないのです。ガソリンが必要だからといってあふれるほどガソリンを入れたり、車のあちこちにガソリンをまいておいたらどうなるでしょう?

 危険ですね。そういう意味で、必要な分だけ入れるということなのです。決して、趣味を持つのが悪いというわけではありません。医者みたいによく自分の身体をチェックして、欠けている量だけ与えることです。これが俗世間での生き方です。

Q: それは、俗世間を超える生き方もあるということですか?

A: 仏教の世界では想像を絶する高い次元のことを教えています。
それは、眼耳鼻舌身意から離れることを楽しむという生き方です。眼耳鼻舌身意を刺激して楽しいという生き方と、そこから離れることで楽しいという生き方はずいぶん違うのです。眼耳鼻舌身意から離れるにはものすごい力が必要です。離れた瞬間に、心は「依存していない」という純粋な喜びを感じ始めます。眼耳鼻舌身意から離れた瞬間に第一禅定が出てきます。これは、強烈な楽しみです。これは冥想をしてみないとわかりませんね。

 グルメでおいしいものをたくさん食べることも楽しいのです。でも、必要な量しか食べないという主義でやってみてください。身体は軽いし、気持ちは軽いし、病気にならないし、たくさんたくさん食べるよりも抜群に楽しいのです。誰にとっても食べることは楽しいことなのですけれど、グルメを楽しむことより、身体に必要な量でストップすることのほうがはるかに楽しいのです。音楽を聴いて楽しむより、静けさを楽しむほうが楽しいのです。音楽を聴くということは、耳を刺激して楽しまなくてはいけない。リミットがあるのです。耳もずっと仕事できるわけじゃないし、疲れて痛くもなるでしょう。脳の中でも、ずっと聴覚をとってプログラムして、感情をつくって、また返してあげる、それをずっと繰り返す。脳細胞も疲れてしまいます。ですから、これ以上は楽しめませんよというリミットが、音楽を聴く楽しみには成り立つのです。モノから得る楽しみには、いつでもリミットがあります。

 そこで、音ではなくて静けさを楽しむとするとどこまで楽しめますか?
 どこまででも楽しめるんですね。疲れませんからね。脳細胞も疲れませんし、耳も疲れませんから、いくらでも楽しめます。ですから欲から離れる楽しみは、欲で楽しむ楽しみよりも、計り知れないほど大きいのです。ですが、「冥想してはどうですか」と言うと、俗世間の人はちょっといやな顔をして「後でやります」とか「そのうちやります」と言います。それは、この楽しみがわからないからなのです。最高の楽しみは、一切の感覚を停止させて涅槃を経験することなのです。それが究極です。

 お釈迦さまは、より上の楽しみを教えているのです。
みんな、これを勘違いして、仏教は悲観論をしゃべっている、俗世間の楽しみにケチをつけていると思い込んで、仏教に対して悪感情を持ってしまうのですが、お釈迦さまは幸福論として、よりすぐれた楽しみ、よりすぐれた楽しみへと順番にレベルアップして、最後に涅槃を経験する楽しみを味わいなさいと言っているだけなのです。スタートは、音楽を聴いて、おいしいものを食べて、家族と遊んで、という俗世間の楽しみ。世俗生活の檻の中にいるなら依存症にならないように気をつけることが必要です。それから少しずつ檻を破って、欲から離れてみよう、欲から離れても何か楽しみがあるだろうかと探してみる。探してみると確実に見つかるのです。

 ですからまとめてみると、楽しんではいけないということではなくて、そんなつまらない、すぐに疲れてしまう楽しみを追求するのではなくて、より次元の高い楽しみ、幸福を求めてはどうでしょうかということなのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(文責:舟橋左斗子)

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