「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【87】楽しむ門に福来たる

Q: 仏教の勉強をする時、どうも「悩みから逃れたい、早く楽にしてくれ」というような焦りがあるんです。でも、悩みや不安がないと仏教を勉強しようというエネルギーは出てこないようにも思います。

A: できれば、仏教の勉強は、「知らないことを知りたい」という興味で、明るくやるのがいいのです。別に悩みや不安がなくても、「知らないことを知るとおもしろい」という知識的なアプローチでチャレンジすることはできます。どんなことでも、「やらなきゃいけない」という強迫観念でがんばるより、楽しくやる方が、心は早く成長するのです。

Q: 考えてみると、昔から、勉強も仕事も、イヤだけどしょうがないからやってきたように思います。

A: 人間には、いくらイヤでも、やらないといけないことはあります。「イヤだから止めた」と言う人は、誰の役にも立ちません。だからといって、「イヤだけれどしょうがない」と嫌々やるのは不幸な人の生き方です。ストレスもたまるし、暗くなるしね。だから「やるのであれば、楽しくやるぞ」と強引に楽しくやろうとするしか、他の答えがないと思います。それが能力向上の道です。成長には喜びが必要なのです。
 イヤで、義務感でやると、うまくいかないし、楽しくもないし、能力も向上しない。だからよけいにイヤになる、という悪循環に陥ってしまいます。不満ばかりが増えてしまうのです。それで苦しくなって何かにすがろうとしても、すがるものなどないのです。それよりも、基本的な問題を解決することです。自分の生き方を直すのです。大胆な成功を夢見るから、人はダメになるのです。人は、瞬間瞬間、充実感という喜びを感じて生きていくべきです。嫌な仕事をやっている時も、仕事全体を考えず、その課程の瞬間瞬間の行為を楽しめばよいのです。「ここが楽しい、ここが楽しい」という感じで生きていくことを心がけると、リラックスできるし、頭が自動モードでほめられることになって能力も向上します。日々自分が向上すると、自分でも楽しいし、「よい方向に変わっている」と感じて、将来に対しても明るい気持ちになれます。そのように知識プログラムを改良するのは大事なことです。
 難しくしゃべりましたが、まとめていえば「楽しくやりなさいよ」というだけのことなんです。どうせやらないといけないんだから充実感を感じてやりなさいよ、と。

Q: 主婦業なんかは、やる仕事もつまらないし、評価もされないし、子供が独立してしまうと、「いったい私は何をやってきたのかな」と思うことがあるんです。

A: 

やることの内容は関係ありません。私たちはそこを間違って、自分の仕事の価値判断をしてしまいます。料理であろうが、掃除であろうが、荷物を運ぶことであろうが、その時間でやらないといけないことを楽しくやっちゃえばいいんです。家族の面倒を必死で見ているうちに歳を取ってしまった。気がつくと子供はもう家にいないし、ダンナも家にいない。そこで「私の人生は何なのか」と思う。それは失敗で、すごく不幸な生き方です。

 私が言うのは、「ダンナに逃げられないようにがんばりなさい」という話じゃないんです。逃げるなら勝手にどうぞと、そこは気楽でいいのです。問題は自分の生き方であって、他は何ひとつ関係ありません。1秒1秒自分が生きているんだから、やらないといけない目の前の1秒の仕事を楽しくやればいいのです。掃除でも洗濯でも料理でも買い物でも人としゃべることでも、それを楽しんでやる。そうすると人生は楽しい。たとえ離婚することになっても、離婚手続きというものを楽しんでやる。財産分与のために弁護士としゃべるなら、それまた楽しくしゃべる。離婚したかしなかったかということで、幸福は判断できません。管理職か平社員かも関係ない。そういう世間的なことはどうでもいいことで、食べて生きていくためにやっている世の中のことにすぎません。

 幸福というのは心で判断するんです。今やることを楽しくやってるのか、ということが大切なんです。自分の生き方を、瞬間瞬間喜びを感じる生き方にする。そうすると、見事に能力は向上します。すごく幸せを感じるんです。それが仏教が奨める道なんです。それは生き方を根本的に変えることです。といっても難しくはない。簡単です。ちょっと真剣に、具体的に自分の人生を見ればいいのです。

Q: 以前「自分を知ることは仏教を知ることだ」と習ったことがあるんですが、「自分を見る」とは「自分を知る」ということなのでしょうか。

A: まあそうなのですが、皆、それを難しく捉えるでしょう?  すごく単純に考えてください。まず神秘主義を捨てることです。「『自分』とは何か尊いものであって、不可思議なものであって、知り得ないものである」という神秘主義はやめて、単純に見るのです。具体的に自分を見ると大したことは何もないのです。毎日、仕事に行くわ、疲れて帰るわ、お風呂にはいるわ、何かご飯を食べるわ、イビキかきながら寝るわ、「もっと寝たいなあ」とイヤで起きるわ、慌てて準備して出かけるわ。その繰り返しで人生は終わっちゃうんでしょうに。子供が何やっているか知らないわ、奥さんが何をやっているか知らないわ。そのための時間もないし、暇もない。人生とはそんなものだから、いつ幸福になるんですか。今の瞬間に幸福にならないと、どうにもならないんです。大成功して億万長者になってから幸福になるぞ、というのはバカらしい。億万長者が幸福というわけでもない。そういう人々は我々より苦労しているんです。

 とにかく我々は、無常論、瞬間論で生きるべきなのです。ものごとは瞬間瞬間変化している。その瞬間を、うまくやる。瞬間のことだから、そんなにどうということはない。能力も何もいらない。ただ楽しくやればいいのです。だから「うまくやる」というより「楽しくやる」と言った方がいいでしょう。そうするとうまくいく。

 それが「自分を知る」ということになるんです。何を知るかというと、「自分、自分」と言っても、別に何もないんじゃないか、ただくだらない流れだけのことでどうってことないんだ、とわかるんです。それが、自分を知ったことになるんです。それで心も、すごく穏やかになります。

 ですから、瞬間論、無常論を大事にしないといけない。ものは無常であって、瞬間だよということ。永遠のものは一つもないんだぞということ。それが幸福の源・成功の源で、仏教から言える答えです。

 蛇足なんですけど、仏教を勉強する時は、「怒らない、悩まない、クヨクヨしない、そういう清らかな人間になりたい。そちらに何かアドバイスがないのか」という気持ちで勉強してみるといいんです。その時も、社会は関係ありません。社会に対して清らかな人間になろうと思っちゃうと、がんばるところを間違います。ただ単に「自分自身のために自分の心を清らかにしたい。だからより注意するんだ」とがんばる。どこで注意するかというと、家族関係で心が汚れたら、そこで注意をする。仕事関係で心が汚れたら、そこら辺で注意をする。人間と関係を持ったところで心が汚れたら、そこで注意をする。そういう感じで具体的に気をつけるんです。

 「清らかな心をつくって、社会で『良い人間』と言われるようになろう、社会で成功しよう」と思ったら間違いで、その人は清らかにはなりません。結果は出てこない。なぜかというと、その気持ち自体が汚れているんです。自分の幸福は社会が決めるということになっているんです。自分を捨ててるんです。

Q: 自分の心を見ると、欲張りだし、悪いクセがあるし、心をきれいにしようとがんばってもなかなかうまくいかなくて悔しくなります。

A: 自分の心を見ると欠点だらけなのは当たり前で、普通のことです。だからこそチャレンジするんです。やるべきことがいっぱいあるんです。「悪いと思っているのに何でやってしまうのかなあ」と、自分の心を勉強すればいいんです。そうすると見事に人格が向上します。論理的で知識的な自分の答えを自分で捜すのです。それでまた話が元に戻る。つまり「知識的な興味で楽しく勉強する」という最初の話になります。

 自分の心が汚いのはずっと昔からです。今更別に「ああ汚い、気持ち悪い」と思ったって意味がないんです。以前も、今も、明日も汚いのだから。「自分を見る前は自信があったのに」というのはおかしい。もっと汚れていた時は自信があって、なぜそれに気づいたところで自信がなくなるんですかね。それは、ちょっと、理屈が通らないんです。

 結局、汚れているとわかった時点で、かなり成長しているんです。その時点で、けっこう、自己管理が入ってるんです。そういうことだから、「発見するものが、悪かろうが、臭かろうが、そんなことは知ったことじゃない」と、明るく自分を探検する気持ちでがんばってください。

 本当は、善い人間になるのは簡単なんですけどね。皆、難しく考え過ぎなんです。例えば慈悲の冥想でも、「慈悲を育てるのは難しい」と思ってやらないよりも、「まあ中途半端でやっても、今よりましな人間になるんじゃないかな」という気楽な気持ちでやってみる。「ちょっとでもよくなればいいや」と、気楽にやらないとうまくいかない。何事も気楽に、楽しくアプローチすればいいんです。

Q: 楽しくやるということは、集中しているという意味が含まれているのでしょうか。

A: 「楽しむ」ということにはたくさんのことが含まれていますが、できるだけ単純に考えてください。「集中してやるぞ」と思うと、楽しめないでしょう? 例えば、子供たちは、何がそんなに楽しいのかとあきれるくらい、簡単に楽しんでいるでしょうに。そういう単純なアプローチで楽しくやると、必要な集中力や他のことは自然に揃ってきます。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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