「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【90】 『物』とのつきあい方

Q: 私は商売をしているんですけれど、つい「もっと品物を売りたい、もっとお金がほしい」となっていくのは、仏教的に見て、過剰な欲の世界なのでしょうか。

A: 仏教では「もっと、もっと」という際限のない欲の道は正しい道ではないと言っています。

 今の質問から見ると、商売が自分より大事だと思っているようですね。逆なんです。あなたが幸せでいて、商売はそれを支えてくれるものでないといけないんです。生きるためには何か仕事をしないといけない。だから働いているのであって、商売は自分の幸福のための生活を支えてくれている道具にすぎない。そのリミットを超えて「もっと、もっと」となると、商売と一緒に自分がくたびれるんです。

Q: どこまでやるとリミットを超えてやりすぎになったことになるのでしょうか。

A: それは自分の主観で考えればいいんです。個人的に、どこら辺で自分が幸福を感じて、安らぎを感じて、悩むことなく生きていけるのか。そこで線を引けばいいんです。そこを満たしてくれたなら、もうそれで、商売の成長は十分です。これぐらい儲かれば自分と自分の家族は十分安心して生きていられるという線をまず設定する。もし自分が簡単にその線に達して、まだエネルギーもあるし、品物も売れるというならば、後はのんびりと仕事をする。売れるのに売らないでいるということもあまり意味がないのだから、仕事を休む必要もないしね。でもそれからは客が「ほしい」と言うから売っているのであって「もっと売らなくちゃ」とアセる必要はなくなります。だからストレスはたまらなくなって気楽になるんです。そういう線を引かなければ地獄です。「もっと、もっと」ときりがなくなって、商売の奴隷になってしまう。際限なく働いて過労死したり、客をだまそうとしたり、よけいな必然性を人工的につくり出そうとしたりして苦しむことになるんです。

 もうひとつ大事なことは、リミットを作る場合は、できるだけ低い設定にしておくことです。でないと非論理的なんです。人には家が必要ですが、だからといって、台所が4つある豪邸が必要だというと、狂っているでしょう? まあせいぜい奥さんがちょっとおしゃれの服も買えて、子供の教育もできて、家族が食べられれば十分だと。それくらいで線を引けばいいんです。その線まではがんばらないといけませんが、そこまではがんばって、後は気楽にいればいいんです。それで人生は楽なんです。

Q: 日本ではハードルが高いと思うんです。キッチンが4つほしいとまで思わなくても、人並みの暮らしをしようと思うだけでかなりたいへんで、リミットが高くなってしまいます。

A: とにかく自分を冷静に見て、実現できるくらいのリミットをつくってください。世間のことは見なくてもいいんです。個人個人で生きているのだから、「一応、自分はがんばればこの程度はできるかな」という、それぐらいのリミットを設定するんです。庭付きの家がなくても、公園のそばにアパートを借りればいいでしょう。すごい豪華な生き方がしたければ、新宿や渋谷とか大きな街の近くで家を借りれば、その辺りで買い物をするから、けっこう贅沢気分で暮らせます。だから生きることは工夫次第ですよ。

 子供たちはそういう工夫をして生きてますよ。例えば、高校生くらいの子供たちが、夜になると街に出て、タダだけどいちばんカッコいいところで集まって、皆で坐って音楽を聴いたり、しゃべったり、踊ったりしている。別に悪いことは何もしてないんです。大きなビルの前に、大きな木があったりして広くて感じの良いスペースがあるでしょう。そこを使うんです。そこにラジカセを持ってきて皆で踊ったりして、「あんたのステップはダメだよ、そうじゃなくてこうやるんだよ」とか偉そうに言いながら友達同士で一緒に遊んでいる。それを見ると、しっかりがんばっているなと、可愛いんです。

 だから、自分には実現できないハードルがあると思ってはいけないんです。実現できるくらいのリミットをつくって、その中で生きるように工夫をする。自分が結婚しようとしている女性が高すぎるリミットを作っているのであれば、リミットの線を下げてもらうか、別れるしかない。だって一生のパートナーだから、間違った人と一緒になると、人生はメチャクチャでしょう。結婚相手を選ぶ場合は、外見ではなく、性格を見るんです。価値観が合う協力的な人を選んで結婚すれば、楽に生きていられます。現代人は、そういう、本当に考えるべきポイントを見ない。ブランド品で着飾った女性をカッコいいと思って、その人を選ぶんです。そういうあべこべ思考で生きているから恐ろしい世界になるんです。

 とにかくリミットは実現できるくらいのところに設定して、そこまではがんばる。そこまで行ったらクールダウンして、楽に、気分よく仕事をする。そうやって余分にできたお金や時間は、適当に自分の暮らしをより豊かにするために使ってもいいのですが、本当は、より良い人間になるために使うといいのです。それで幸福になれます。すごい大きなダイヤを買ったり、海外に家を買ったりしても意味がないんです。リミットを達成して余裕ができたところは、より穏やかな人間になるために、より良い人格を作るために使う。例えば、ボランティアをしたり、飢えている子供たちに寄付したりね。そういう生き方をする人々は決して不幸になりません。社会からも認められます。それが正しい道です。

Q: 私はいつもお金や物がほしくなったり、ほしい物が手に入らないと腹を立てたりしてしまって、そういうのがイヤだなと思うのですが、直す方法はあるのでしょうか。

A: 物欲というのは、自分が刺激を求めているだけなんです。ただ「見たい、聞きたい、触りたい」という、それだけのことなんです。

 正しく見るための方法があります。まず、何かをほしくなった時点で、「これが私に本当に必要なのか」とその利点を見る。「なぜ私はこれがほしくなったのか。これが私にどういう喜びを与えてくれるのか」と観察する。喜びはすべて「見る、聞く、嗅ぐ、なめる、触る」という五欲の世界の中です。そこら辺でどんな喜びを与えてくれるのかを観察するのです。

 次に「これを得るのはどれくらい迷惑か」と欠点を見る。「ほしい」と思っただけで自分のものにはならないのだから得るための苦労もあるでしょうし、やっと得ても維持する苦労があります。実際は何一つ「自分のもの」になるものはないのです。高価なスーツを買っても、スーツはスーツの勝手で変化していきます。それは自分の気持ちとはまるっきり関係ないんです。自分の自由にはなりません。だから、苦労してお金払って買っただけ。まあそのスーツを着る時は、それなりの感触があったり、見栄を張ることができたり、そういう特権はあります。しかし、利点と短所を比べてみたらどうでしょう? 髪型や体型や自分の身体を服に合わせないといけない。他の持ち物もその服に合わせて必要になる。服を着ていく場所もいる。結局服の奴隷になっている。そういう欠点を利点から引き算すると、価値があるのかどうか。

 それから、「それがなくなったら本当に私はたいへんだろうか」と考えてみる。それぐらいで、だいたい不必要な物欲は消えます。

 次に「物にやられない、自由な心」ということも考えてみる。例えば、「この服はカッコいい。着たらカッコよく見えるだろう。しかし俺にはいらん。こんなことで見栄を張らなくても、私は自分の人格で生きるぞ。ブランドバッグ、イタリア製スーツ、高級車などの陰には隠れないんだ」と、物に頼らない生き方を考えてみる。

 そういうふうに、項目ごとに考えた方がいいんです。そこら辺をきっちりと考えてないから、欲が管理できないということになるんです。

 しかし、それはあくまでも緊急処置です。完全に欲をなくして楽になるためには、やはりヴィパッサナー冥想をするしかないんです。ヴィパッサナー冥想で無常を発見すると、欲が消えます。

 修行して無常を発見して欲が消えるまで待っていられないというならば、次善の策として、無常の見方でものごとを見ようとするという方法もあります。例えば、「いくら高価な服を買っても、自分は歳を取る。自分の気持ちも品物も変化する」と見てみる。それは悟りではありませんが、無常という真理を自分の幸福のために使うというやり方です。そうすれば、物欲などに乗せられないように、しっかりできます。

 以上のようなことを検証して、それでも買った方がいいのであれば買えばいいし、買わなくてもいいとなれば買わなければいい。きちんと検証せず、すぐ感情に走って買うと、悔しくなります。

 中にはどうしても自分の手に入らないものもたくさんありますが、その場合は「自分には何の関係もない」とあっさりあきらめて、それで終わる。「悔しい」とか「ほしかった」などと思う必要はありません。物欲については、そういう考え方で対処してみてください。

Q: ある程度の欲は、生きる上で必要だと思います。期待、希望があると、人は怠けず努力する。欲を、危険を冒さない範囲で管理することが、理想的な生き方なのでしょうか。

A: 欲は危険だと説く仏教では、ある程度の欲は危険ではないと言えません。論理的に言えるのは、「ある程度の欲も、ある程度危険」ということです。今まで説明したのは、罪を犯してでも欲を満たしたがることや精神的に病気になってしまうことは、どうすれば管理できるのかということです。人には一日にして完全に欲を絶つことはできないので、徐々に努力して欲しいという気持ちで説明したのです。

 ある程度の欲も、とても危険なものです。欲は必ず悩み苦しみを作るのです。自己管理してある程度の欲を楽しんでいる人は、自分が安全だと錯覚するのです。欲が招く苦に気付かないのです。しかし、ある程度の欲も、ゆっくり成長するガン細胞のように、人の幸福を蝕んで、やがて破壊するのです。欲の危険性に気付かないことが、無知というものです。「ある程度の欲」の人は、無知を繁殖するのです。欲がこの原因だと理解して、徐々に消していけば良いのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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