「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
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【94】 ブッダは「生」の謎を解く

Q:  ブッダは、生きる意味とか、どうして生きるのかとか、そういうことについて何かおっしゃっているのでしょうか。

A: これは、仏教だけじゃなくて、宗教全体のテーマですね。どんな宗教を勉強するのも、我々の生きる意味は何なのか、どのように生きていればいいのか、何か生きる目的はあるのか。そこら辺を教えてもらうためなのです。

 ブッダが説かれたことは、直接この質問に答えている教えです。お釈迦さまは、それ以外のことは無駄話だと退けられ、ほとんど語られなかったほどです。経典には、政治・経済や夫婦関係のことなど世間的なことについても残されていますが、それは必要最低限のことだけです。それに対して「生きる」ということについては、膨大な教えが説かれているのです。

 だから、おそらく質問した方は「生きる意味はこれですよ」という簡単な答えがほしかったのでしょうが、答えは莫大なものです。仏教そのものがこの質問の答えですからね。心のはたらきやら、物質のはたらきやら、生命はどのように現れてどのように生きているのか、生命をつくるものは何なのか、苦しみはどのように生まれるのか、何を幸福だと思えばいいのか、何を目指して生きればいいのかなどなど、あるわあるわ、一生勉強しても足りません。その膨大な教えはすべて、この質問に答えるためなのです。

 そのたくさんの教えを飛ばしていきなり答えを言うと、聞いても納得いかないし、理解もできないかもしれません。しかし、結論的に答えるならば、生きるということは、何の意味もありません。命には何の目的もないのです。

 それを聞くと納得いかないでしょう。「そんなはずはない」と思うのです。なぜかというと、人は、自分には何かすごい価値があるはずだと思ってるいるのです。生きることには尊い何かがあると思っている。それでお釈迦さまに何の意味もないんだよと言われると、納得できないんです。しかし、お釈迦さまは平気で、生きることには何の意味もないんだよ。生きるということにべったり執着して必死になって、バカ者ではないかとおっしゃっています。それでは苦しいんだ、と。

 そう聞いても、人々が納得いかないということは、最初からわかっています。一人一人の人間が、自分の命こそ尊いと思っているからです。しかし、私たちが何かを思ったからといって、それが事実になるという理屈はありません。人は、アラジンのランプのことや、空飛ぶ絨毯の話など、どんなことでも考えることができるでしょう。子供たちが遊ぶ時は、いろんなことをイメージして、妄想で遊んでいます。それを我々は、大人になってもやっているのです。しかも、子供みたいに遊びでやるならいいのですが、大人は真剣まじめにやっている。ただの妄想を本気にするのは病気でしょう。事実を語ろうとするならば、妄想で語ってはならないのです。「事実」と言ったとたん、自動的に、法則に則って語られるべきなのです。

 こういう話をしていても形而上的な話になってしまって、あまりピンと来ないと思います。本当に生きる意味について理解したければ、恥ずかしがらずに、自分の生活の中にある生々しい問題について質問した方がいいのです。ちょっと哲学っぽく「生きる意味とは何なのか」と訊くと、質問を自分と関係ないことにしているのです。頭がすごく良くて情報を受ける能力が抜群であればそれでもいいのですが、普通の人間はそうじゃないでしょう。自分が生きているのだから、自分の身近な問題を訊かないと、生きるということを具体的に理解することはできません。

Q: 神はすべての人に生きる意味を与えていると聞いたことがあります。

A: 妄想的な観念をつくっても答えは出てきません。具体的に見てください。神が生きる目的を与えているのであれば、あなたは自分が生きる目的をはっきりと知っているはずでしょう。けれども、誰も「自分が生きる目的はこれだ」と、はっきりと言えないのではないですか。自分さえその目的を知らないのに、どうやってその目的を達成できるのでしょうか。「我々が知らぬうちに、すべては神の希望通りに運ばれているのだ」という話もあるようですが、もしそうであるならば、人間は自分のわがまま放題に、好き勝手に生きればいいということになってしまいます。自分のわがままで判断したら、人は堕落の道ばかり選ぶことになるでしょう。また、毎日あまりにもひどいニュースが聞こえますが、それらもすべて神の意志だということにもなります。だから、その理屈は成り立ちません。そうやって神の意志を主張する人々も、生きる意味は何なのかという疑問に答えようとがんばってはいるのです。しかしその人々は、思うことは自由であって、どんなことでも思ったり考えたりすることはできる。だから具体的に見ないと事実から離れてしまうということに気づかなかったんです。

 とにかく、まず、自分の人生を客観的に見ることです。実際のところを見ると、実生活というものはおもしろくもなんともないでしょう? 必死で苦労してがんばって、住む場所や食べるもの、着るものを確保して、そのうちに歳を取って、病気になって、死ぬ。どんな人を見ても、ただそれだけの人生なのです。お父さんも、お爺さんも、子供たちも、皆、そのパターンから抜け出せません。結局、同じことを繰り返しているだけなのです。

Q: 生きることに意味がないと思うと、生きることがバカらしくなって、生きるのがつらくなるのではないですか。

A: 逆です。意味がないと本当にわかると、すごく楽になるんです。それで苦しみが消えるんです。神経をガリガリにして、笑うことも知らなくて、地獄にいるような感じで生きる必要はなくなります。簡単に、ニコニコと笑いながら日々生きることができるようになるのです。

 人生に目的があると思うと、苦しいんです。例えばすごく能力があって仕事がよくできる人がいたとします。会社は、あなたはうちの財産だと大事にしてくれる。しかしそれで、その人が、そこに意味を置いてしまうと、苦しくなるのです。別に意味などないと知っていると、ほめられようがけなされようが、何とも思わずに平気でいられます。どんなことがあっても、全然気にしないでいられるのです。人生に目的がある、意味があると思ってしまうと、そういう楽な生き方はできなくなってしまいます。

 女の人は、人生の最大のゴールは結婚だと言って、真剣まじめに結婚式をしようとしますね。私は人生のゴールに達しました、と。では、その後の人生はどうなるのでしょうか。それから堕落する?なぜ毎日ゴールじゃないのでしょうか。本当は瞬間、瞬間を生きることが大事なのです。何でも一回きりなのだから、どの瞬間ももう二度と来ないのです。だから「これこそ生きる目的だ」とか「これが人生のゴールだ」とか、そういう言葉はおかしい。仏教的な生き方は、いつでもその瞬間に、おもしろおかしく全身でアタックする。その瞬間を失敗しても、これはもう終わったんだからと何のことなく次の瞬間にアタックする。それが正しい生き方です。その事実を説明するために、お釈迦さまは、無常論や、瞬間論や、因果法則など、人間の脳細胞が理解できないほど巨大な智慧から、皆にわかりやすいところだけを選んで説かれています。

 瞬間瞬間を全力投球で生きる。そこに大げさな目的なんかつくると死にそうに苦しいんです。意味があるのは、ただその瞬間だけのことなんです。生きる上での意味というのは、現在進行形でしか成り立ちません。将来に意味があると思うと間違います。過去にも意味はありません。フォークでリンゴを食べる瞬間には、フォークに意味があります。食べ終わったら意味が消えているんです。もしかすると明日も生きているかもしれないと思って洗って置いておきますが、その夜に心臓発作で倒れちゃって入院し、管で栄養を体に入れることになったら、今度はその管に意味がある。あのフォークの意味は消えています。

 意味はいつでも現在進行形だとわかった人は、人生について心配しません。悩んだり苦しんだりもしません。例えば足の骨が折れるとギブスをしますね。「ああ不便だ、不幸だ、何と苦しいか」と思い悩むのは頭が悪いんです。そのギブスで喜ばないといけないんです。なぜかというと、今の自分にとって、そのギブスこそ意味があるのだから。その時は、他のものには何一つも意味がないんです。将来を考えて「来週のサッカーに出れなくなった」と落ち込んだら、不幸です。実際に今あることは、不幸じゃないのです。今の自分にとっては、ギブスをつけていることがいちばん幸せなんです。だから本当は幸福なのにわからない。頭が、現在からずれてしまうのです。それは妄想観念という病気です。妄想する時は、事実は関係ありません。観念には何の事実もいらないのです。我々はそういう妄想の遊びを、本気になってやってます。妄想を本気で事実だと思うのは、バカだとしか言えないでしょう? ブッダは、その愚かさに気づいて幸福に生きる智慧を育てなさいと教えられるのです。

 ですから、ブッダこそ、生きるということについて答えを出す方です。すべての科学者より本物の科学者です。論理的で具体的に見る方といえば、ブッダ以上の人はいません。問題を完全に最終的に解決する。何一つ、曖昧中途半端ではありません。人間の幸福だけにテーマを絞って語られます。恐ろしいほど膨大な知識と智慧の方ですが、役に立たないことは語られません。ブッダは、人は自分が生きることに関わることさえ正しく知れば幸福になれますと、人間が生きるという、そのひと言葉について答えられたのです。

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)

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